5 明快といえば明快な

文字数 3,995文字

「目撃証言が嘘、ですか?」
 宇津井が、いぶかしげな顔で問い返してきた。
「簡単に考えるんだ。もしも九時半に事故が起きてなかったとしたら、その時刻に被害者を殺すこともできるだろ。その後、車で町境まで行き、Uターンして事故を起こせばいい。九時四十分までに典枝の家を出れば、十時には展望所に着くんだから、消防到着の十時二十分には楽々間に合う計算になる」
「時間的はそうですね。しかし、なんのためです? 事故が起きる前に通報したとなると、尾藤の証言は虚偽で、車は後から意図的にぶつけたことになりますが」
「もちろん、アリバイ作りのためだ。犯行時間に事故で動けなくなっていたのなら、完璧なアリバイになるだろ。今、おれたちが直面しているとおりに。九時半から十時くらいまでの間に、他の車がそこを通ってしまうとまずいけど、旧道は通行止めだったんだから、その心配もなくなるわけだ」
「うーん、まあそうかもしれませんが……」
 宇津井はわずかにうつむいて考えをまとめる様子だったが、やがて顔を上げて、
「やはり問題がありますね。まず、あなたの説では亜佐子と尾藤が共犯だったことになりますが、亜佐子と尾藤、さらには柳沢との間の接点は、現在のところ判明していません。また、使ったのが盗難車だったことも引っかかります。木下が車が放置したのはまったくの偶然で、亜佐子がそれを発見したのも偶然でしょう。その後のわずかな時間でアリバイ工作を考え、共犯と打ち合わせたんでしょうか。どうにも、考えにくいですね」
「それは、最初からそんな計画があったところに、盗めそうな車を見つけたのかも──」
「一番の問題点は、運転手が二人とも死亡していることです。私も事故の写真を見ましたが、かなりひどい状態でしたよ。亜佐子の車はフロントガラスが割れていたくらいでしたが、柳沢の軽トラックは運転席が完全につぶれていて、これでは生きている方がおかしいと思えるくらいでした。アリバイ工作のための事故なら、こんな結果になるでしょうか」
「わざと車をぶつけるなんて初めてだろうから、加減を間違えたんじゃないか」
「その場合、どちらかと言えば弱くぶつかる方に間違えるんじゃありませんかね。それから、亜佐子が死亡したのはシートベルトをしていなかったためです。フロントガラスのひび割れは、運転席の前を中心に大きく広がっていました。頭部を強く打たないとああはならないそうで、さもなければ助かったかもしれません。意図的な事故なら、さすがにシートベルトはするでしょう。うん、やはりダメですね、これは」
 宇津井は断言した。わりとうまいアイデアではないかとも思ったが、犯人が死んでいては、やっぱり苦しいか。だがおれは、今の話の中に引っかかるものを感じた。
「ガラスが割れただけだって? 亜佐子の車は、あんまり壊れてなかったのか」
「車両の損傷は比較的軽微でした。ただし、動かすことはできませんよ。車の前に、軽トラックがめり込んでいるんですから」
「ドアの開け閉めはできたのかな」
「可能でした。そのため、亜佐子に関しては、救急による救出もスムーズに行われたようです」
 軽トラの方は時間がかかったと言うことかな。それはともかく、
「なら、身代わりって手もあるんじゃないか? 尾藤が見たのは亜佐子ではなく、別の女だった。亜佐子は犯行後に車に戻って、その女と入れ替わったんだ」
「確かに、暗がりで見ず知らずの女性を目撃したんですから、見間違いが無いとは言い切れませんが……どうしてそんな考えになるんですか」
「だって犯行時間は動かせないし、尾藤の通報が嘘でないのなら、事故の時間も後ろにはできないんだろ。それなら、事故を前にずらすしかない。事故は、殺人の前に起きたんだ」
 強めに言い切ってみせたが、伊津野も神束も、何の反応も見せてくれなかった。おれは説明を続けた。
「そうだな。こんなストーリーはどうだろう。
 亜佐子が車を盗んで、事故を起こしたところまでは同じだ。だが、彼女は頭を打ったものの、気は失わなかった。そこで亜佐子はどうしたか? 普通なら救急に連絡するところだが、彼女はそうはしなかった。なにしろ、盗んだ車で事故を起こして、相手の運転手は死んでしまっているんだ。救急に助けてもらっても、その後は確実に、警察の厄介になるだろう。でも、幸いにと言うかなんというか、車は自分のものではない。それなら、このまま逃げてしまえば、誰が事故を起こしたかなんてわからないんじゃないか? そう考えた亜佐子は、展望所まで迎えに来てくれ、と助けを求めたんだよ。たぶん、友達か誰かに。
 だけど迎えを待つうちに、彼女は方針を変えた。考えてみれば、車の中には自分の指紋が残ったままだし、フロントガラスには血だって着いているかもしれない。体力的にも気力的にも、今から全部の証拠を隠滅するのはできそうになかった。それなら最初の計画どおりに、典枝を殺したらどうだろう? そしてとんぼ返りで車に戻って、気を失ったふりをしながら、救助が来るのを待つ。そうすれば、最初の計画よりも強固なアリバイが作れる。窃盗は避げられないが、事故の責任は相手が悪かったと言い張れるかもしれないし、殺人罪からは逃れられる、とね。
 亜佐子が典枝に電話したのが八時二十分だから、それから出発したとすれば、事故は八時四十分頃。友達に連絡して、車が来るのは九時くらいか。そこから南藪町を往復すれば、犯行時間の九時三十分、救急車が来た十時二十分には間に合う」
「事故発見時、尾藤は運転席に女性がいたと証言しています」
 宇津井が注意を向けたが、おれは首を振って、
「その友達が、歳の近い女性なんだろう。亜佐子がいない間、代わりにそこに座ってもらってたんだ。彼女は戻った亜佐子とまた入れ替わって、自分の車で帰ったのさ」
「これは話していませんでしたが、車内やハンドルからは、木下と亜佐子の指紋は発見されています。しかし、それ以外の不自然な指紋は発見されていないんです」
「指紋をつけないよう、友達が気をつけたんだろう」
「その人にずいぶん危ない橋を渡らせますね。それこそ相手の弱みでも握っていないと、頼めそうもないですが……」
 宇津井は再び考え込んだが、あまり気乗りしないような表情だった。おれは言った。
「やっぱり、無理があるかな。その後で、亜佐子が死んでるからなあ」
「いえ、その点はいいんです。脳出血の場合、しばらくたってから容体が急変するのはありえないことではありません。自動車の向きが説明できるのもいいですね。ですが、やはり難点があります。そんな便利な共犯が本当にいたのか、という点は置いておくとしてもです。
 まず、事故後に友人へ救助を求めたとのことですが、亜佐子の携帯電話には通話記録がありません。八時二十分の、典枝への発信が最後です。木下は、車を離れる際に自分の携帯を持って出ていますから、車内に別の携帯があったとも思えません」
「だったら、友達が展望所の近くに住んでるんじゃないか?」
「付近に人家なんてありませんよ。かなり離れたところに別荘が一軒ありますが、そこも当日は使用されていなかったのは確認済みです。
 次に、消防署員の証言があります。救急車に搭乗した署員が、対向車を目撃していないんです。展望所から十五分ほどは一本道が続きますから、救急が二十時に出発すれば、二十時五分には一本道に入ります。なのに対向車がなかったんですから、その十五分前の十九時五十分以降は、展望所から南へ向かう車がなかったことになります。亜佐子が事故現場に戻って車を返しても、共犯者はそこから動けなくなってしまうんです」
「すれ違ったのを忘れたのかもしれない」
「ないとは言いきれませんが、あそこはすれ違いに退避場所を使うような狭い道です。大雨の中、対向車にはことのほか注意を払っていたそうですから、この証言には信憑(しんぴょう)性があります。そんな道ですから、車が隠れるようなスペースもありません。事故現場近くには展望所へ降りる道があり、事故当時は展望所まで水位は上がっていなかったようですが、いかんせん現場に近すぎます。ここに隠れて救急をやりすごすのも不可能です。
 最後に、そもそもの話ですが、身代わりという行為自体が無意味だと思います。身代わりには目撃者が必要になりますが、ただでさえ通行量の少ない道が、通行止めだったんです。肝心の目撃者がいつ来てくれるか、わからないでしょう」
「そんなに少ないのか」
「正確な数字はわかりませんが、一時間に二、三台あればいいほうでしょうね」
 確かにそうだった。目撃してくれる人がいなければ、身代わりなんて意味がない。アリバイが成立するには、殺人現場との行き来が不可能になる九時五十分頃までに、目撃されなければならないのだ。二、三台なら意外に多いとも思えるが、通行止めだったのだから、目撃者なんて来てくれないと考えるのが普通だろう。

 こいつの反論は、いちいち筋が通っている。が、せっかく出したアイデアを片っ端から否定するその態度に、おれはなんだか腹が立ってきた。
「じゃあ、警察はどう考えてるんだよ。亜佐子が犯人と言うのなら、明快な説明があるんだろうな」
「明快といえば明快ですね。容疑者は八時二十分に北藪町で確認され、九時三十分には事故車の中で目撃されています。その間が七十分、移動に合計六十分かかりますから残りの十分で犯行とUターンがなされればいいのです。八時二十分の電話直後に移動開始、九時に現場到着。被害者を殺害して北薮町へ車を走らせ、途中でUターンした直後に事故を起こして、発見されたのが九時三十分。こんなところですか」
「それだと、犯行が九時半にならないぞ」
「そうですね。しかし他の証拠が揃っている以上、犯行時刻の推定が誤っているのでしょう。そう考えるしかありません」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み