1 『両替男』はなぜ、五十円玉二十枚を千円札に両替するのか?

文字数 2,135文字

(ヒマだなあ……)

 北条奈波はあくびをかみ殺した。店内には数人の客がいるが、みな立ち読みか時間つぶしが目的らしく、奈波のいるレジカウンターには誰も近づこうとしない。
 書店のアルバイトは、仕事量にけっこうな波がある。朝の品出しでは、配達された本をそれぞれの棚に運んで、きちんと並べておかなければならない。本というのは体積のわりに重たいもので、開店前の限られた時間内に終えるのは、けっこうな肉体労働だ。かと思うと、レジに入っている間は、客さえ来なければずっと暇な状態が続く。そんな時はカバーの紙を折って在庫を補充したり、コミックのパックをしたりするのだが、それも一段落ついてしまえば、とりあえずは何もすることが無い。今がちょうど、そんな時間だった。そうなれば店内をうごめく客をぼーっと見ているしかなくて、それはそれで苦痛だったりするのだ。ちなみに、時給は他のバイトと比べて高くはない。はっきり言ってしまうと安い。ただ、従業員向けの特典として、新刊本を二割引で買うことができた(自分で読む本に限る、という制約はあるが)。栃本書房は学生のアルバイトが多く、夕方から夜間は高校生も日替わりでシフトに入っていたが、全員揃って読書好きなのは、この特典に引かれたからだろう。もっとも、冷静になって時給と二割引とを比べてみると、やっぱり割のいいバイトとは言えなかったのだが。
 奈波が睡魔と戦いながら時給の損得を計算していると、レジ横の自動ドアが開いた。
(あ、来た)
 頭の中のもやが、急速に晴れていった。

 入ってきたのは、少しくたびれた感じの中年男だった。背が低く、太り気味で、紺の背広にストライプのネクタイを締めている。片手にビジネスバッグを提げ、もう片方の手は背広のポケットにつっこんだままだ。ネクタイの締め方がぞんざいで革靴も薄汚れているが、取り立てて身なりが悪いわけではない。どこかのさえないサラリーマン、といったところだ。しかし奈波は、この男に見覚えがあった。
 男は落ち着かない様子で店内を眺め回していたが、やがて意を決したようにレジに向かってきた。レジの正面に立ち、奈波を見つめてくる。奈波もやむを得ず、男と目を合わせた。
「いらっしゃいませ」
「千円札に両替してください」
 男はポケットから手を出して、握っていたものを釣り銭皿に広げた。皿の上に、五十円硬貨がずらりと並んだ。

 奈波は黙ってうなずいた。書店に限らず、商売をしているといろいろな客が来る。中にはほんのささいなことに、猛烈な剣幕で苦情を言う人もいる。つまらないトラブルを避けるため、業務以外のことでも親切に応対するよう、店長から言われていたのだ。奈波は爪先ではじくようにして硬貨を数え、ちゃんと二十枚あることを確認した。そして旧式のレジを操作してトレイを開け、中から千円札を取り出した。
「これでよろしいですか」
 男はお札を受け取ると、礼も言わずに出口へ向かった。ところが、ドアから出たところで外にいた客にぶつかり、その場でしりもちをついてしまう。相手は丸顔に坊主頭の中学生だった。子供とは思えないほど上背があり、分厚い胸板は見事な逆三角形を作っている。学生服の上半分が妙にきつそうだ。男は一瞬、ぽかんとした表情で相手を見上げていたが、すぐに立ち上がると、にらみつけるような視線を浴びせて、店を出て行った。学生はちょっと呆然の体で、鼻の頭をかいている。
「また来たわね」
 バイト仲間の浜村淑美が近寄ってきた。書棚の陰に見え隠れすると思ったら、今のやりとりを観察していたらしい。割と融通の利かないところのある彼女が、仕事そっちのけであんな行動をとるのは珍しい。それほど、さっきの男のことが気になっているのだろう。淑美が訊いた。
「やっぱり五十円玉?」
「うん。枚数をごまかしているのかと思ったけど、ちゃんと二十枚あったよ。ゆっくり数えたせいか、なんだかいらいらしてた」
「これで三週連続? それで本は一冊も買わないんだから、いい度胸よね」
 奈波はうなずいた。ただし、最初に気づいてから三回目というだけで、それ以前に無かったとは断言できない。ともかくあの男は毎週土曜になると栃本書房に現れ、両替をしては去っていくのだ。しかも、使われるのは決まって五十円玉二十枚。淑美が他のアルバイトに確認したところ、彼が現れるのは土曜日だけで、他の曜日では見かけないと言う。
「いったい何者なんだろ?」
「全然わかんない。店に入ったらすぐ両替して、すぐに出てっちゃうからね」
「これは謎よね」
 淑美は少年探偵のように腕を組むと、高らかに宣言した。
「『両替男』はなぜ、五十円玉二十枚を千円札に両替するのか?」



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 今回の事件? は、作家の若竹七海さんが実際に体験した出来事だそうです。この問題には、これまでにプロの作家やアマチュアの方から数多くの解答が提出されており、『競作五十円玉二十枚の謎』というアンソロジーも出版されています(けっこう古い本ですが)。私も答を考えたので、「動機論」に仕立ててみました。人間心理の問題と神束の推理法は相性が悪そうですが、あくまでも神束流に、論理をひねくっていきます。
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