6 それなら、まだ望みはあるのかな

文字数 2,166文字

 廊下に出たところで、海野は神束に尋ねた。
「捜すって、何かあてがあるのかい」
「さっきのおじいさんに話を聞いてみましょう。何か見ているかもしれません」
 その老人は、所在なげに天井を眺めていた。この休憩所は、壁をコの字型にへこませたところに座席をつけただけの簡単な作りで、窓もついていないので目に入るのは正面のトイレだけである。トイレのドアには、「清掃中」の札がかかっていた。神束が話しかけると、老人は間山宗利と名乗り、今月から派遣で従業員通用口の守衛をしていると自己紹介した。
「では間山さん。あなたはいつ頃からここにいましたか」
「引継が八時だから、その少し過ぎぐれえかな」
 支配人に対したのとは打って変わって、間山は伝法な口調で答えた。
「あなたが来た後で、立入禁止の案内板を出入りした人はいましたか」
「いたよ。おれがここに着いたとき、ちょうど」
と言いながら、間山は手にした雑誌をめくった。開いたページには『雷王戦プレマッチ クラスターズ勝利』の見出しの下、三台のパソコンの前で笑顔を見せる針木の写真が載っていた。海野は、それが『将棋FAN』の先月号だと気がついた。
「この針木先生が浴衣で出てきた。朝風呂にでも行ったのかね。あとは男の人が二人と、従業員も入れるんなら四人ばかりが通っていった」
「通った時刻はわかりますか」
「従業員が来たのは、この先生が出たすぐ後だ。それから十分くらいで若い男が入って、しばらくして出ていった。それからまたしばらくして別の男が入った。従業員が出てきたのは、二人目の男が出る前だったな。しばらく経って針木先生が戻ってきたと思ったら、大変な勢いで飛び出ていって、あんたたちと一緒に戻ってきたんだ」
 仕事柄だろうか、間山はしっかりと人の出入りを見ていたようだ。
「その人たちはどの部屋に入りましたか」
「そこまでは、見てなかったな」
「男二人の人相は?」
「顔は覚えてねえが、二人ともずいぶんひょろっとしていたな。一人目は迷彩服を着ていて、なんだか体つきとちぐはぐだった。二人目は妙に頭がでかくて、まるでマッチ棒みたいだった。その頭がパイプをくわえてたもんだから、ちっと笑っちまった」
 海野と神束は顔を見合わせた。
「その二人、いえ従業員の四人も含めてですが、出てくる時に何か持っていませんでしたか。例えば上着を脱いで小脇に抱えていた、とか」
「従業員はバケツとビニール袋を持っていた。男二人は空手だったな。上着も脱いでなかった」
「変なことを聞くようですが、バケツやビニール袋の中に、ノートパソコンは入っていませんでしたか」
「なんだって? いや、そんなもんはなかったよ。バケツは小さかったし、雑巾や洗剤みたいなので一杯だった。ビニール袋も、細長く下に垂れてたからな」

「あ、そうだ。ちょっと待っていてください」
 間山との話を終えると、神束はそう言って(つが)の間に入っていった。出てきたときには、ホテルの鍵らしきものを手にしていた。
「針木さんの部屋の鍵を借りてきました」
「よく貸してくれたな」
「ノートパソコンが見つかるかもしれないって言ったんです。そうしたら貸してくれました」
「おいおい、いくら取材のためと言っても、そんな安請け合いは──」
「でも、本当なんですから」
 神束は真面目な顔で答えた。向かいの(まさき)の間には『針木 様ご一行』の張り紙があり、ドアノブに『Don't Disturb』の札がかかっている。預かった鍵を使うと、軽い金属音が響いてドアが開いた。
「鍵はかかっていますね。二日酔いの寝ぼけ眼でも、わりとしっかりしていたようです」
「ここにパソコンがあるっていうのか?」
「その可能性もゼロではないですけど、ちょっと確認したいことがあるんです」
 中の間取りは、コンピューターがあった部屋と同じだった。ただ、畳の上には鉄板などはなく、代わりに布団が一組敷かれている。可能性がゼロではないらしいので、海野は作り付けのタンスを開けてみた。中には針木のものらしいコートと背広がハンガーに吊され、未使用の浴衣が二組用意されていた。続いて金庫も覗いたが、中はやはり空っぽだった。神束はその後ろを通りすぎ、窓の(さん)に手をかけた。
「動きませんね。ちゃんと鍵がかかっています。ちなみに、(つが)の間の窓にも鍵はかかっていましたよ。こちら側は、すぐ下が川になっているんですね」
 神束は窓を開けて、しばらく外の景色を眺めていた。せせらぎの音と共に、冬の冷たい空気が室内に流れ込んでくる。神束は外を向いたまま、海野に尋ねた。
「間山さんの話、どう思います?」
「男二人というのは荒井さんと宅間さんだろうな、まず間違いなく。だが、あの二人が……荒井さんはベテランの記者だぜ。コンピューターとの対戦が面白くないというだけで、こんなことをするかね」
「それを言ったら、将棋ソフトの開発者がするとも思えませんよ。待ちに待った対戦が実現する、ソフトにとって晴れの日なんですから。ところで先輩、さっきの雑誌をよく見ました? 写真に写っていたのは、壊された三台のパソコンですよね。変なシールが、同じところに貼ってありました」
「あれは、クラスターズのイメージキャラクターだよ」
「足の生えた駒がですか? すると、やっぱり同じパソコンですよね。それなら、まだ望みはあるのかな」


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