9 誰も損していないけど

文字数 2,619文字

「さて、あとは観察者たる警部さんがどう評価するかです。いかがですか?」
 こう言われて、宇津井は困ったような笑顔を浮かべた。
「評価ですか。そう言われても……五十円玉がレジに余分にあったから、それを隠そうとしたんですか」
「うん」
 神束は涼しい顔で答えた。うんは簡単すぎる。
「それなら、なぜ五十円玉が多かったのか、なぜ隠さなければならなかったかも説明していただかないと」
「うーん、もうモデルからは、かなりはみ出てますからね。それに、何度もいいますけど、これは解釈ですよ。事実そのものと思われたら困ります。特に今回は追加データのあてもないので、検証ができないんだし」
「それは承知しています」
「信頼性なんて全然ない、推理とも言えない代物ですよ。それでも良ければ話しますけど」
「思いついていることがあるなら、お願いしますよ」
 宇津井は重ねて要望した。まあ、あれだけ話しておいて、ここでお終いという法もないだろう。神束は「じゃあ、お遊びとして聞いてください」とさらに念を押してから、説明を再開した。

「五十円玉が多いのを隠そうとしたということは、隠そうとした相手が、五十円玉がどの程度入っているかを知っていたことになります。したがってその相手は書店の人間で、おそらくは決算・経理面に責任を持つ人物と思われます。ここでは仮に、店長としておきましょう。店長がレジをチェックし、五十円玉の枚数がおかしいと気づいて問題になりそうになった。つまり、売上に関わる不正があるのではないかと、疑われたんでしょう」
「だけど、五十円玉は多かったんだろ。多かったなら不正にならんだろ」
「そう、足りないのではなく多かった。だから、レジからお金を出すことで不正が起きたのではありません。お金が入る段階で、何かが起きたんです」
「代金をポケットに入れたのか? しかし、それでも五十円玉は増えないぞ」
 どの段階で代金をごまかしても、お金を抜き取ったら五十円玉は増えない。ごまかした金の代わりに五十円玉を入れたのなら話は別だが、泥棒がわざわざそんなことはしないだろう。
「先輩、大切なことを忘れてますよ。両替男は、それをごまかすために登場した。もしも彼が実在し、奇妙な両替が行われていたのなら、不正の痕跡はなくなるはずだったんです。ということは、レジの金額自体はあっていたんですよ。ただ五十円玉の量だけがおかしかった、それが不正の痕跡とみなされていたんです」
「なんだって?」
 意味がわからなかった。お金が足りているなら、なにが不正だというのだろう。
「総額があっているのに、硬貨の残り方がおかしい。どうしたら、こんなことが起こるんでしょう。考えられるのは、お釣りの出し方です。例えば、三千八百円の代金が払われた時は、レジに五十円玉が入る機会はあまりないでしょう。普通は、百円玉ふたつですよね。しかし、三百八十円ずつ十回に分けて払ったのなら、かなりの確率で五十円玉が増えるんじゃないでしょうか。五百円玉でお釣りになったとしても、出ていくのは百円玉と十円玉ですから」
「まだお話がわかりませんね。一体どうしたら、現金で分割払いするようなことが起きるんですか」
 当然とも思える疑問を、宇津井が投げかけた。これに対して神束が持ち出したのは、意外な情報だった。
「警部さんのお話に、使えそうな情報があったんですけどねえ。覚えてません? アルバイトの特権だったという、本の二割引」
 隣であっと声が上がった。宇津井を見ると、驚きの中にも納得したような表情を浮かべている。だがおれには、まだピンときていなかった。
「そんな話もしてたな。けど、店が認めてるのなら、割引で買っても悪いことじゃないだろ」
「ルールにのっとっていたなら、そうですね。なのに隠そうとしたってことは、ルール違反があったんでしょう。従業員割引のルールと言えば、『割引の対象は、自分が読む本に限る』でしたよね。これに反していたということは……要するに、自分以外の人のために、二割引で売っていたんですよ」

 宇津井がうなずいたのを見て、神束は先を続けた。
「従業員といっても、大半は学生のアルバイトですからね。友達が買いに来たら、安くしてあげようと思ってもおかしくはありません。たいしたルール違反でもありませんし、一冊とか二冊とかなら、とりたてて問題にするほどでもなさそうです。ところがその数が、急に増えてしまった。友人に口コミで広がったのかもしれませんが、それよりもありそうなのは、巷の流行ですかね。何かの本やコミックが爆発的にヒットして、たくさんの人が買い始めた、とか」
「ああ、なるほどな」
 おれはうなずいた。そういえば、最近もそんな騒ぎがあったっけ。
「たかだか二割ですけど、お小遣いの少ない高校生あたりなら、クラスの友人がこぞって来店する、なんて事もあったかもしれません。それでも犯人は──あるいは、犯人たちは──律儀に割引で売ってあげました。せっかく来てくれたんだし、『私のいる日に来てくれたら、安くしてあげる』なんて約束でもしていたかもしれませんね。ですが、困ったことがあった。この本に関しては、自分のために買ったという言い訳ができないんです。同じ本を、何冊も買っているんですから。警部さん、どうしたらいいでしょう?」
 いきなり話を振られた宇津井だったが、即座に答を返した。
「そうですね。その日に売れた別の本を、自分が買ったことにする、なんてのはどうですか」
「そう、それ! 380円のコミックが10冊売れたのなら、二千円と千八百円の本を、自分が買ったことにしてしまえばいい。それなら帳尻はあいますし、売上をごまかしてもいません。完全に同じ値段にならなかった時に、ほんの少しだけ高めの本を選ぶ、なんてことはあったかもしれませんけど。従業員割引をどう管理していたのかはわかりませんが、こういうやり方が通っていたとしたら、バイトの子が帳面をつけて、お金の管理もしていたんでしょうね。
 これは厳密にはルール違反ですが、罪の意識はあまり無かったでしょう。友人は喜んでいるし、自分にお金が入るわけでもない。店だって、得をしたはずです。割引しなければ、友人は他の店で買ったでしょうから。
 計算上もこれで合うし、誰も損はしていません。なんの問題もないように思えました。ところがある日、レジを見た店長がこう言ったんです。『どうして五十円玉がこんなにあるんだ?』」

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