1 平和な南の島にいた(18字改行版)

文字数 3,022文字

(宇津井警部、手にした数枚のルーズリ
ーフをぼんやりと眺めている。紙は少し
汚れており、左肩に一枚の写真がとめて
ある)
神束 :なにしてるんです?
宇津井:ああ、神束さん……いえ、何で
    もありません。少々考え事を。
神束 :なんですそれ。また事件ですか?
    (ルーズリーフを見ながら首を
    かしげる)
宇津井:いえ、事件ではありません。事
    件ではないのですが、ちょっと
    ありましてね。
今野 :おまえなあ、わざわざこんなと
    こまで来て、何してんだよ。
(今野が立ち上がり、宇津井の反対側か
らのぞき込もうとする。その紙には、こ
んな文章が書かれていた)

───────────────
   ふと思い出すことがある。そう以
  前のことではない。ほんの数日前の
  話だ。
   ぼくたちは、平和な南の島にいた。
  どこかが狂ったような暑い日が続き、
  窓  からはあふれるほどの光が差
  し込んでいた。真っ白い部屋の中で、
  稚子は腕を組み、カンバスを見つめ
  ていた。……
───────────────

今野 :なんだこれ。小説か?
(宇津井は肩をすくめ、写真を外す。そ
してルーズリーフだけを神束に渡す)
宇津井:実はこんなものが届いたのです。
    私の担当とも思えないのですが、
    どうにも判断がつきかねまして
    ね。
神束 :読んでいいんですか?
宇津井:(軽くうなずき、二人の顔をじ
    っと見つめる)どうぞ。でも、
    面白いものではありませんよ。

   ───────────────
   ふと思い出すことがある。そう以
  前のことではない。ほんの数日前の
  話だ。
   ぼくたちは、平和な南の島にいた。
  どこかが狂ったような暑い日が続き、
  窓からはあふれるほどの光が差し込
  んでいた。真っ白い部屋の中で、稚
  子は腕を組み、カンバスを見つめて
  いた。ぼくは友香梨の肩を軽くたた
  くと、車椅子から離れて稚子の右に
  立った。なにかのデッサンらしいが、
  何を描いているのかはわからない。
  「おまえ、女なんだから」
  「え?」
   稚子はきょとんとしている。ぼく
  は彼女の耳に手を伸ばし、短く切っ
  た髪からのぞいている鉛筆をさっと
  引き抜いた。
  「ハハ、ありがと。でもこうしない
  と気分でないんだよね」
  「もう、おねえちゃんたら」
   友香梨が笑うと、稚子は
  「あんたも人のこと言えないでしょ」
  と、妹の手を指さした。右手の薬指
  と中指には絆創膏が貼られている。
  「ちゃんと料理できなきゃ、布川君
  にきらわれるよ」
   友香梨はちょっと顔を赤らめた。
   稚子は鉛筆をぼくから取り、髪の
  毛にさしなおすと、再び腕を組んだ。
  袖からやけどの痕がのぞいている。
  子供のころ、妹と遊んでいてできた
  というやけど。今でも家族以外には
  見せたがらないが、ぼくの前では気
  にしなくなっていた。ぼくは友香梨
  の側に戻り、長い髪がかかっている
  肩に手を置いた。性格も外見も対照
  的な二人だが、こうして横顔を見て
  いると、やはり姉妹だと思う。
   友香梨は軽く頭をあずけて、幸せ
  そうな表情で目を閉じた。
   ───────────────


   ───────────────
   気がつくと、もう外は暗くなって
  いた。唇が離れ、ぼくの体が離れる
  とき、車椅子がきしんで音を立てた。
  暗がりでみる彼女の表情は、いつも
  より悲しげに見えた。
  「ちゃんと食べた?」
   彼女は小さくうなずく。しかし見
  たところ、食べ物はほとんど減って
  いない。
  「友香梨、ちゃんと食べないとだめ
  だ。良くなるものも良くならないよ」
   少し大きな声になった。彼女は二
  の腕を抱いたまま動かない。差し出
  したスプーンはおとなしく受け取っ
  たが、目の前の皿に手を付けようと
  はせず、中のスープをじっと見つめ
  ている。髪をなでようと頭に手をの
  ばしたが、彼女は左手をあげて、ぼ
  くの手をそっと外した。
   ぼくがドアを閉めるときも、彼女
  はまだスプーンを持ったままだった。
  廊下に出ると、友香梨の母親が心配
  そうな表情で立っていた。しかしぼ
  くには、彼女にかけるべき言葉が見
  つからなかった。だから
  「まだ、会いたくないって」
  とだけ告げて、その側を通り過ぎた。
   ───────────────
  
  今野 :なんだこれ、小説か? な
      んでこんなところで、こん
      なもの読んでるんだよ。お
      まえが行こうって言うから、
      久しぶりの母校に来たって
      のに。嫌がる神束を引っ張
      ってさ。
  神束 :まあ、私も久しぶりに一ノ
      谷先生にお会いしたかった
      ですから。でも、いいんで
      しょうか。教授室に、三人
      も押しかけてしまって。
  今野 :いいんじゃないかな。先生、
      お留守みたいだから。それ
      にしても不用心だな。部屋
      を開けっぱなしにしたまま
      で。
  神束 :全然、戻ってきませんもん
      ね……ところで、ルーズリ
      ーフに書いてあった文章で
      すけど、これって小説でし
      ょうか? それにしては短
      すぎます。けど、日記にし
      ては書き方が不自然ですね。
  宇津井:基本的には日記です。書き
      方が変なのは書き手が趣味
      で小説を書いていたからで、
      短すぎるのは、ここにある
      のが、そのうちの一部だけ
      だからです。
  (今野、添えられていた写真を手に
  取る。車椅子に長髪の少女が座り、
  両隣に若い男女が並んでいる)
  宇津井:車椅子に座っているのが白
      谷友香梨、隣のショートカ
      ットの女性が姉の白谷稚子
      です。もう一人の青年が手
      記の『ぼく』で、布川仁茂
      というK大の学生です。
  今野 :ここの学生なのか……(姉
      妹を見比べて)似ているよ
      うなことが書いてあるけど、
      写真だとそうでもないな。
  宇津井:友香梨は子供の頃の事故が
      原因で下半身不随になり、
      実家で両親と一緒に暮らし
      ていました。稚子はK市の
      美大に進学しているのです
      が、この時は帰省していた
      のでしょうね。布川は学生
      ですが友香梨と婚約してお
      り、これは彼が婚約者の実
      家をたずねたときの記録で
      す。
  神束 :と言うことは、本当にあっ
      たことなのかな。
  宇津井:聞いたところでは、フィク
      ションではないようですね。
      もっとも、他人にはどうで
      もいいことですが。
  今野 :まさにどうでもいい内容だ
      な。しかし宇津井、おまえ
      が持っているんだから、仕
      事関係なんだろ。
  宇津井:まあ、そうなのですがね。
  神束 :そうなの? じゃあ今回の
      テーマは、「叙述トリック」
      ですね!

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