4 映像ではなく、言葉にして

文字数 2,968文字

 ちょっと早いですが、解決篇です。もともとが「第0話」の、序章扱いだったので。

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 おれたちは林道を引き返した。ゴジラの看板まではそれほどの距離はなかったが、そこを過ぎても神束は止まろうとしない。歩きながら、思い出したように宇津井に話しかけた。
「林の中の足跡って、まだ残ってますかね?」
「足跡があったのなら、おそらくは。このところ雨も降りませんでしたから」
「そうですか。では、ここで質問です。目撃者の証言に嘘や誤りがなかったと仮定しましょう。さらに、消失地点に足跡がないという情報も正しいと仮定したら、島瀬が脱出することはできるでしょうか。動機や価値の判断は無視するとして、つまり純粋に物理的に、足跡を残さずに姿を消せると思いますか?」
 宇津井は即座に首を横に振った。
「無理でしょうね。前もって準備ができるのなら、もしかしたら方法があるのかもしれません。たとえば、道の上側に登るロープを用意しておいて、登り切ってからロープをたぐり寄せる、なんて方法も考えられないことはない。しかし今回、島瀬があの場所で目撃されたのは、アクシデントでしょう。何もない状態ではどうしようもありません」
「落合たちは嘘をついていると思いますか?」
「それも考えにくいですね。偽証するような個人的関係は見あたりませんし、あったとしても、偽証するメリットがありません」
「では偽証ではなく、勘違いや記憶違いの可能性は?」
「個人的には、無いと思います。証人はしばしば間違えるものですが、今回の証言は、島瀬を見た、そしてすれ違わなかったというだけの内容です。間違えようがないでしょう」
「妥当な線でしょうね。断定はできませんし、特に三つ目はやや強い意見ですが、それでも妥当な線だと思います。だから、三つとも仮定として採用しましょう。宇津井さん、これは非常に重要なポイントなんですよ」
 おれたちに背中を向けたまま、神束は独り言のようにしゃべり続けた。
「……男が消失した時刻は、重要ではない。なぜなら、目撃者たちは直接に顔を合わせているからそれが同じ時刻だったことは間違いないく、他の時刻との比較もされていないから。男が誰であるかも、重要ではない。なぜなら、それが島瀬でなかったとしても、消失という現象は変わらないから。したがって時刻や対象の変更は無意味であり、操作対象から除外できる。
 消失地点の周囲に足跡はなく、仮定により、足跡を残さず物理的な方法で脱出することはできない。同じく仮定により、目撃者の証言に誤りはないので、島瀬が目撃されている間、彼は消失することはできない。付け加えると、島瀬は自分から消失しようとすることはなく、島瀬以外の人物も、意図して彼を消失させるつもりはなかった。
 問題のパターンは、目撃証言で構成される消失現象。時刻の移動、対象の交換は検討から除外されるから、考えられる可能性は一つ。それを決定する要素は三つあるが、うち二つは補助的なものであり、実質的には一つだけである。その操作を、最も簡単に実現するには──」
「ちょっと待った」
 意味不明な言葉を続ける神束を、おれはあわてて止めた。
「なにを言ってるのか、まったくわからん。論旨は明快に、術語を使いたければ、きちんと定義してから使え」
「そう、まさにその通りです! 定義もなしに、形式的な操作ができるはずがありませんね。この、厳密に定義した部品によって組み立てたものは、推理そのものではない。そうではなくそれを生み出す道具、そう、モデルとでも呼ぶべきもので──」
 神束はすっとんきょうな叫びを上げたかと思うと、しばらくぶつぶつと独り言を続けた。そして急に、くるりと半回転して、おれたちに向かい合った。
「ところで、その論旨というか結論なんですが、このあたりを見て、何か気づきませんか?」
 そう言われて、おれと宇津井は辺りを見回した。道は緩やかなカーブの後に鋭角な曲がりを続けたかと思うと、再び緩やかなカーブに戻っている。山にはあまり手が入っていないらしく、ところどころで小さな崩落が起きて、乾いた地肌を見せている。要するにあたり一帯の平均的な地形であり、取り立てて特徴的なところはなかった。
 ところが、しばらくは不審そうに辺りを見まわしていた宇津井は、急に顔色を輝かせ、胸の前で両手を打った。ぽむ、とこもった音が響く。
「その手がありましたか。なるほど。これは、われわれの失策ですね」


 そのままうんうんとうなずき、一人で納得している。おれは少々いらっとした。
「何が、なるほどなんだ?」
「ですから、この場所ですよ。大きなカーブがあって、小さな急カーブが続いて、道の周りが崩れています。どうです、先ほどの場所に似ていませんか」
「いや、似てはいないぞ」
 おれは即座に否定した。ここは宇津井が形容したとおりの地形で、言葉にすれば同じようなものかもしれない。しかし、見た目はまったく異なっている。周囲の明るさも、へこみの大きさも、崩落の広さや地肌の様子も。要するに、全体の印象が違うのだ。この程度で似ていると言うなら、どこでも同じくらい似ているだろう。ところが宇津井は落ち着いた調子で、
「映像ではなく、言葉にするんです」
「言葉に?」
「そうです。落合や中曽根が、島瀬を見失った場所を証言したと考えて下さい。言葉にすると、同じ表現になりませんか? つまりですね、彼らが証言したのはこの場所だと、神束さんは言っているんですよ」
「正確には、候補の一つですね」神束が短く口をはさむ。
「落合たちがいたのもここ、鈴木がかがみ込んでいたのもこの場所でした。おそらく島瀬は道から下りて、木の陰にでも隠れたのでしょう。そして四人をやり過ごした後で、どこかへ逃げていった。ただそれだけだったんです。考えてみれば、それが最も自然な行動でしたね」
「間違えるはずないだろ」
「間違えたんですよ。神束さんの言うとおり、変わり映えのしない景色ばかりですからね」
「だけど、落合たちが場所を確認したんだろ?」
「いえ、こちらから職場に出向いて事情を聞きました。ここは町から遠いですし、殺しと直接の関わりがあるわけではありませんからね。わざわざ現地まで来て頂くのは申し訳ないと、配慮したんです」
 確かに宇津井は学校の話をしていたし、ここは捜査の本筋ではないとも言っていた。
「それでも、鈴木は間違えないだろう。大事な遺跡だし、自分が立てた看板まであったんだぞ」
「そこなんですけど」
 今度は神束が口を開いた。
「この事件で彼が果たした役割は、目撃者ではありません。いわば、基準点なんです。彼の提供した位置情報は、発掘現場や看板という証拠が伴っていたので、警察も信用しました。でも、それらの証拠を否定してもいいなら別の場所でもいいんだし、そこになら足跡を付けることもできます。これが最も簡単な解決でしょう」
「なぜ、鈴木がそんなことをする? 動機がないだろう」
「動機は問題じゃないんですよ」
 神束はやや語気を強めた。
「この事件では、私たちは物理的な不可能性を扱っています。このような場合、動機の優先順位なんて二番目か三番目、どんな理由でもいい。物理的に可能な説明かどうかが重要なんですよ。
 でも今は、議論以外にもできることがありますよね?」

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