4 確率現象は──奇々怪々

文字数 2,382文字

 このなんとも心細い言葉を、神束は自信満々に断言した。
「珍しく弱気だな」
「そうではなく、確率という現象そのものが、とても厄介なんです。そこをしっかり認識しておかないと、簡単に足下をすくわれますよ。試しに、いくつか例を出してみましょうか」
 神束はこう言うと、確率に関わるパズルを何題か出題した。「モンティ・ホール問題」、「三囚人問題」、「シンプソンのパラドックス」……仕事中の一課の刑事相手にパズルを出すのもなかなかの神経だが、おれはほとんどの問題を、ものの見事に間違えてしまった。まあ、おれは同じ科学雑誌編集でも、生物関係が専門だから……
 とはいえ、これが実に面倒で、間違えやすいものであることは、なんとなく感じ取れた。ひととおり問題を出し終えると、神束は自分でうんうんとうなずいて、
「ね? 確率って、とにかくめんどくさいんですよ。だからここは一つ、思いっ切り問題を単純化しましょう。
 まず、確率の計算は『起きた回数を全部の回数で割る』だけにします。正規分布とかなんとか検定とかは全部無視です。実態として、こういう仕組みが効いてくるのは避けられないでしょうが、直接に扱うのはやめにします。ただし条件付き確率は、割り算の組み合わせなので含めます。
 それから『10%じゃなくて11%が正解』なんて細かい違いには興味がないでしょうから、『ありえない』が『ありえる』に変わるような、劇的に答が変わる仕組みだけを考えることにします。細かいデータや計算の間違いではなく、さっき問題に出したような、確率の捉え方、計算の枠組み自体に間違いが無いか、それだけを考えることにしましょう。
 そこで警部さん」
 神束は宇津井に向かって、
「まずは確認です。住民登録を調べたそうですけど、正確にはどんな数字でした?」
 宇津井は資料の一枚を取り上げた。
「地崎署管内の人口は約十二万三千二百人、うち鹿村姓は一二四人です。多い姓とは言えませんね。名前の『のあ』も珍しいらしく、漢字まで同じ例は本人以外にありませんでした。字が違っても良ければ、カタカナで『ノア』が一人と野原の『野』に『明るい』が一人、同じく野原の『野』に亜鉛の『亜』が一人で、合計三人が見つかりました。いずれも、姓は『鹿村』ではありません」
「村上はどうやって部屋に忍び込んだんです。マンションの五階でしょ?」
「その点は、はっきりしていません。玄関の鍵にはこじ開けられた形跡はなく、村上の所持品には合い鍵やピッキング道具などはありませんでした。夜間はベランダ側の窓を開けて網戸だけにしてあるそうですが、ベランダや屋上の手すりなどにも侵入の痕跡が残っていません。昼間、夢子が家にいる間は玄関の鍵をかけていないそうですから、その隙に入り込んで、夜まで潜んでいた可能性はあります。隠れていたとすれば、勝由の部屋でしょうか」
 そうだとしたら、なおさらに気味が悪い。
「村上と鹿村一家に、つながりはないの?」
「鹿村夫妻は面識がないと言っています。ただ、夫妻は仕事の関係で転勤が多く、十三年前にも地崎市に赴任して二年ほど住んでいたことがありますから、この時になんらかの接点があった可能性はないとはいえません。ただし、乃亜は夫妻が北海道へ転勤した年の八月の生まれで、北海道生まれの北海道育ちです。当然ながら、村上との会ったことなどありません。夫妻が地崎市に戻ったのが二年前、村上が地崎市に戻ったのは今年の四月で、ストーカー行為が始まったのもその後です。乃亜と村上の接点ができたのは、おそらく四月以降のことと思われます」
「乃亜の父親はどんな人ですか」
「鹿村勝由、三十四才。身長百八十センチのスポーツマンで、十三年前には少年サッカーチームの監督をしていたこともあるそうです。現在は単身赴任中で、家には週末に戻ってくるだけ。特にトラブルがあったという情報は入っていません」
「少年サッカーね。村上はそのチームにはいなかったの?」
「村上はサッカーの経験はありません。学校の休み時間には校庭に出るより教室で絵を描いているのが好きな子で、スポーツは苦手だったようです」
「じゃあ、母親はどんな人?」
「これと言った情報はありませんね。鹿村夢子、三十六才。専業主婦で今まで勤めに出た経験も無し。趣味のダンスに熱中していて、現在は発表会の準備中……こんなところです」
 乃亜の両親は地崎市にいたことがあるのだから、村上との関係を想像することもできる。しかし肝心の乃亜は二年前まで地崎市に住んだことが無く、その頃には村上の方が地元を離れていたのだ。やはり、村上が地崎市に戻った後で何かあったのか。それとも大学時代に、里帰りの際にでも乃亜を見かけた可能性もあるのか? しかし、どちらにしても、卒業文集が作られたはるか後の出来事だ。だとすると、あの『幸せにする』という言葉は、結局は偶然の産物になってしまうのだが……。
「そうですか。では、こちらも資料を作っておきたいので、詳しい説明は明日でどうでしょう。いいですか? ではまた、同じ時間にここに集合と言うことで。あっ、それと」
 神束は最後に付け加えた。
「警部さん、前回の復習もしてきて下さいね」
「前回とは、南藪町の事件ですか? 今回はアリバイが問題になるような件ではありませんが」
「同型対応っていうのがあってね、そうでもないかもしれないんです。ではまた、その時に」







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 探偵役も言っていますが、確率って本当に難しいです。確率を勉強された方が読んだら、こいつ何か変なこと言ってるな、と思われるかもしれません。が、ここは「ミステリに登場するような確率」(つまり、素人の読者がついていける範囲で、結論が派手に逆転するもの)に限定しての話ということで、勘弁していただければと思います。

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