12 三人目の犯人

文字数 3,386文字

 閉まりきっていなかったドアをきっちり閉めて、神束は戻ってきた。座卓に置いた緑茶のペットボトルを一口飲むと、おもむろに説明を始めた。
「さて、水と接着剤の件は片付いたので、この二つは除いて考えましょう。それからドアと金庫の鍵についても、施錠したという証言には疑問の余地もあるので、とりあえずは置いておくことにします。すると、一つの構図が浮かび上がるんです。この部屋を含むホテルの一角は空間的に仕切られていて、その出入りも監視されていました。にもかかわらず、その中からノートパソコンが消失した。つまりこれは、密室の中で起きた出来事だったんです」
 神束は取材用のノートを取り出して、開いたページに簡単な表を描いた。



「密室と言うと難しそうに思えるかもしれませんが、構造はわりと単純です。それを構成するのは空間を取り囲む『壁』と、その内部にいる『被害者』、これだけです。厳密には『他殺の推定』『遠隔操作の否定』の仮定も加えるべきですが、今回は関係ないので省略します。
 壁と言っても物質的な壁に限らず、例えば足跡の無い雪面なども壁の役割を果たすことがあります。そして壁には必ず、出入口となる『扉』がついており、それは『開』か『閉』かのいずれかの値を取ります。また、『被害者』も人間である必要はありませんし、中で行われたのは犯罪行為とは限りません。室外の者によってなされたと思われる、何らかの『状態の変化』があればいいのです。
 その変化が起きた時に、扉が『閉』の状態になっていた。これが密室の、最も簡単なモデルです」
 神束は熱のこもった口調で説明を加えていく。三人の聴衆からは何の質問もなかったが、これはおそらく話に納得していたのではなく、あっけにとられて反応ができなかったのだろう。
「このモデルに、今度の事件をあてはめたのがこの表です。扉の役割を果たしているのは部屋の窓と間山さんの目撃で、被害者にあたるのはノートパソコンです。状態変化はパソコンの消失ですね」
「この表で何がわかるんだい」ようやく、海野が質問を入れた。
「これは事件についての情報をまとめたものです。でも、扉が閉じている間は中のものが出入りすることはできませんから、ここには矛盾があります。つまり、表のどこかが間違っているんです。ですから、表の各項目を一つずつ検討して、絶対に間違っていないものを除いていけば、残ったものが答になります。
 では、『扉』から考えていきましょう。まずはホテルの窓ですが、海野先輩との調査では、ここからパソコンを出すのは不可能との結論になりました。内側から鍵がかけられていましたし、パソコンだけを窓から外に出すのは無意味と思われるからです」
「次に間山さんの証言です。パソコンの大きさからして、普通に持って出たなら間山さんが気づいたはずです。隠すようなそぶりをした人もいないので、こっそりと持ち出されたとも思えません。また、今までのところ彼の話は事実とよく合致していますし、関係者との利害関係もなさそうです。意図的な嘘の可能性も排除できるのではないでしょうか」
「ああ。ぼくもそう思う」海野が再び同意した。
「そして『被害者』のパソコンですが、これが事件当初にこの部屋にあったことも間違いありません。事件当初というのは、洞谷さんたちが目撃した時点ですね。立場の違う三人の人間が目撃しているのですから、この証言は信頼できるでしょう。よって、パソコンの最初の状態も『有る』だったことは確実です」
「そうだろうね。それで?」
「それでも何も、以上ですよ。
 一。パソコンは、窓を使って持ち出されたのではない。
 二。間山さんの証言に意図的な嘘はなく、単純な見落としもない。
 三。針木さんが風呂に行くまで、パソコンはこの部屋にあった。
 この三点を正しいと仮定(・・)すれば、第一の仮定により、表の『窓』の行はすべて『閉』から動かせないことになります。『廊下』の行も、仮定二により『閉』で確定です。そして最後の仮定から、『パソコン』の最初の項が『有』なのも確定。右横のクエスチョンマークは密室の成立に関与していませんから、変更可能なのはその右の『無』だけ。表の矛盾を解消するには、これを『有』にするしかありません。よって、パソコンが『無い』は誤りであり、事件の最後まで密室の中にあった。これが結論です」
「なんだって?」
 海野は備え付けの金庫を開き、改めて中を調べた。もちろん、そこには何もない。念のため手を突っ込んでみたが、隠し底のような仕掛けもなさそうだった。
「違いますよ。『扉』はホテルの窓と間山さんの証言なんですから、『密室』も金庫やこの部屋のことではなく、間山さんのいたところからこちら側の、ホテルの一角です」
 ここまで話すと、神束は再びペットボトルを手にした。そのまま口を閉じ、まるで一仕事終えたかのように、平然とした顔でお茶を飲んでいる。海野はたまらず、
「ちょっと待て、それで終わりか? 結局、パソコンはどこに行ったんだよ。それに、もしもそうだとすると、犯人はここか針木さんの部屋に、パソコンを隠したことになる。いったい何のために、そんなことをしたんだ?」
「えーと、今の説明で納得してくれませんかね? この先はちょっと、気が進まないんですけど……」
 神束は三人の顔に順繰りに目をやったが、納得した顔は一つも無かった。神束は軽く肩をすくめて、
「仕方ありません、もう少し続けましょう。もう答は出たので、ここから先はその解釈になります。解釈なら、状況証拠で想像をふくらませてもいいですよね。
 改めて振り返ってみると、この事件にはいくつかの奇妙な点が残されています。まずはドアと金庫の鍵です。さきほどは一旦横に置きましたが、やはりこれは問題です。針木さんは、本当に二つともかけ忘れたのでしょうか。それから、ホテルの従業員が四人も目撃されていたのも不思議です。この区画には針木さん以外の宿泊客はいませんし、さっき見た限りでは、部屋の清掃などはされていませんでした。彼らは何をしに来たのでしょう? これらに加え、カルキの匂い、『清掃中』のままのトイレ、針木さんの部屋にあった余分な浴衣……」
「余分な浴衣?」
「ええ。この部屋には、備え付けの浴衣が二組用意されていましたね。針木さんの部屋もそうでした。では、針木さんが着ている浴衣は、いったいどこから来たのでしょう?」
 神束は一人の男を見つめていた。風月閣支配人の大原だ。神束の発する迫力の無い高音が、大原の顔を次第にこわばらせていった。
「お気づきでしょうけど、これらの点はすべてホテルに関係しています。逆にホテルが関与していたのなら、すべてが理解できるんです。一つ二つならともかく、これだけあれば、状況証拠でも重みがありますよね」
「……」
 大原は何も答えなかった。
「ところで、ご存じですか。消えたノートパソコンなんですけど、あれさえあれば、今日の対局は出来るんですよ」
 大原は驚いた表情で顔を上げた。海野も「本当か?」と口をはさむ。
「ええ。今日の対局は、針木さんの研究室にあるコンピューターを使うんだそうです。相手の指し手をインターネット経由で送って、コンピューターの指し手もネットで受け取る、こんなイメージですね。やはり、ご存じではありませんでしたか」
「じゃあ、ここにあるのは?」
「接続がうまくいかなかった場合に備えた、バックアップのマシンなんです。研究室の機械と比べると、処理能力は十分の一だそうですが」
 神束は再び大原を見据えた。
「今からコンピューターを立ち上げたとして、準備が終わるのは予定時刻ぎりぎりでしょう。それでも、まだ間に合います。それにですね。もしもパソコンが出てこなければ、針木さんは盗難届を出しますよ。そうなったら警察沙汰です。全国的な注目を集める中での事件ですから、その内容は逐一、マスコミで報道されることでしょう」
 大原は立ち上がった。何も言わずに廊下に出て、とぼとぼと右隣の部屋へ向かう。海野たちもその後に続いた。マスターキーでドアを開け、また別のキーで金庫を開けると、大原は神束に座を譲り、自分は後ろに下がった。
「やっぱり、ここでしたか」
 神束が取り出したノートパソコンには、「と金」に手足をはやしたような、変なキャラクターのシールが貼られていた。

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