6 わりと重要なポイント

文字数 2,340文字

 神束はすらすらと説明を続けていく。昨日、長口舌を聞かされた後遺症か、おれも宇津井も口をはさもうとはしなかった。
「以上が確率的不可能現象のモデルです。モデルを作ってしまえば、あとはそれぞれの過程でどんな誤りが生じうるか、そこを考えればいいわけです。
 まずは『認識』から。起きた回数や試した回数を数えておくなんて当然だと思われるかもしれませんが、そうでもありません。例えば『5カード・メンタル・フォース』というマジックでは、ほんのささいな言葉のやりとりで相手が選ぶカードを誘導し、予言を『的中』させてしまいます。これなどは、生起回数を間違えてしまう例でしょう。ちょっと『ズル』の範疇に入ってますけどね。もっと多いのは、試行回数の間違いです。カードを当てようとしたのが実は50回だったら、10回当たるのは不思議でも何でもありません。そして、カードを当てようとした回数は、常に把握できるわけではないんです。例えば生存者バイアスは、起きた回数、試した回数の両方を、ものの見事に間違えさせます。しかも、これに常に注意を払っていくのは、けっこう難しいんですよね」
 おれが『生存者バイアス』の記憶をまさぐっている間に──確か、昨日のパズルの中に入っていたはずだ──神束はどんどん説明を進めていった。
「つぎは『確率の計算』なのですが、その前に重要な項目があります。『直観的な確率判断』です。先ほども、基準値は暗黙のうちに決められることが多い、と言いましたが、確率の計算自体が、直観的にされてしまっていることもかなり多いんです。直観的だったら、そこに間違いが入りがちなのは当然ですね。やっかいなのは、その判断が直観的になされたこと自体、気づきにくいという点です。『ほめると怠けて、叱ると頑張る』は常識になっているので、わざわざ確率で考えようとはしませんし、『シンプソンのパラドックス』では、一旦は正しい確率が示されているため、それ以降の計算が直観的になされてしまいます。『三囚人問題』を説明したとき、『他人の確率を知っても自分の確率は変わらない』、って誰か言ってましたね。こういうもっともらしい理屈を作ってしまうと、きちんと計算していないことを忘れてしまいがちなんです」
 それを言ったのはおれではなく伊津野だったが、当人は知らんぷりをしてやりすごした。
「『確率の計算』では、『計算式』と『仮定』を設定し、『統計データ』を用意します。
 その確率をどんな式で計算するか、その計算式が間違っていれば、結果がおかしくなるのは当然ですね。ですが、どんな式にするかが、結構難しかったりします。モンティ・ホール問題は、当初は数学者でさえ、間違えたそうですから。割り算とその組み合わせに限定していると言っても、どう組み合わせるかが問題なんです。
 それから、確率を計算する時には、いろいろな仮定が付いている場合があります。『事象の独立性』とか、『正規分布の想定』とかですね。この仮定が成り立たなければ、たとえ計算式が正しくても、出てきた答は間違ってしまいます。サイコロにイカサマがあれば、出る目の確率を計算しても意味はない、ということです。意図的なイカサマでなくても、同じことが起きる場合があります。昔の共通試験では、選択問題の正解の位置に、偏りがあったんですよね」
「それ、聞いたことがあるな。後から二つめの答に、正解が多かったんだっけ?」
「たぶん、そう……それと、答の文字数が一番長いもの、でしたっけ。出題者が、特に意識せずに問題を作ると、そういう偏りが出てしまうんですね。今はもう、修正されているでしょうが。
 次は『統計データ』です。サイコロやカードなら、1回ごとの確率を『1/6』とか『1/5』と、いわば理念的に決めることができますが、そうでない場合は、統計データを用意する必要があります。このデータが現実をうまく反映していなければ、出した答もおかしくなります。この歴史的な事例が『リテラリー・ダイジェスト』誌のアメリカ大統領選予想の失敗で、世論調査の対象が偏っていたために、予想が覆ってしまいました。ちょっと前に、トランプ対ヒラリーでも似たようなことがありましたね。
 最後に『基準値』。これは『ありえる』『ありえない』を判定する基準ですから、むやみに高くしたり低くしたりすれば、結果がおかしくなることがありえます。ありがちなのが、試行回数の無視です。例えば、サイコロで同じ目が百回連続で出るのを『ありえない』と判定するのは正しいと思いますが、回数が二、三回程度だと、そこまで言えるかどうか? 微妙なところじゃないですかね。これは、行った回数によって、1/6という平均は同じでも、分散が変わってくるためです。ですが、こういう確率論的な話は面倒に思うのが普通ですから、そのあたりの配慮を省略してしまい、その結果、判定が間違ってしまうんです」
「それで、今回はどれがあてはまるのですか?」
 性急な宇津井の質問に、神束は首を振った。
「その前に、決めておかなければならないことがあるでしょう? 昨日も聞きましたけど、警部さんが解きたい謎とはなにか、です。
 名前が一致したことか、村上が空想を持ちつづけたことか、女の子と出会ったことか、それともストーカーをしたことか。私としては、『名前の一致』だけに絞りたいと思います。これさえ片付けば、事件の不思議さの大半は消えてしまうからです。それに、空想やストーカーなんて、確率で考える話ではなさそうですしね」
「そうですね、それで結構です」
 軽い調子で答えた宇津井だったが、神束はなぜかにっこりと笑って、こう言った。
「いいんですね? 実はこれ、わりと重要なポイントだったんですけど」




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