5 動機は──エンターテイメントだ

文字数 2,872文字

「動機とは何でしょう。あるいは、動機を明らかにするとは、どういうことなのでしょう」
 その翌日、十三時きっかりに宇津井が訪ねてくると、そのまま会議室に場所を移して、神束の説明が始まった。ホワイトボードには『動機論』の文字が書かれている。今回は話す内容をノートにまとめてあるらしく、メモやレジュメっぽい紙は用意されていない。
「我々は他人の心を知ることはできません。厳密に言えば、そもそも他人に心があることさえ、知ることはできないでしょう。たとえば、友人が痛風にかかったとします。この病気はとても痛いものだそうですが、その経験がない私には、友人の痛みを知ることはできません。せいぜい、自分の経験で最も似ているもの、たとえば関節痛の痛みあたりから類推するしかできないのです。また、失恋したことがない若者は、失恋した友人の痛みがわからず、へたな言葉をかけて怒られてしまうかもしれません。
 これらは単なる経験不足ではありません。若者が失恋を経験したとしても、あるいは医師の誤診で友人がただの関節痛だったとしても、その痛みを本当に『知る』ことはできないのです。人間以外だと判りやすいですね。飼い主がペットのしぐさを見て、『喜んでる』『悲しんでいる』『あくびしてる。眠そうだな』と思うのは、相手の行動を自分に照らし合わせて判断しているだけです。それは相手が人間であっても同じであり、また同じことしかできないのです。ちなみに、犬があくびをするのは、緊張した時だそうですよ」
「他我問題というやつだな」
 おれはさっそく口をはさんだ。
「面白い人には面白いんだろうが、興味ない人にはまったく興味がわかない議論だ。それがどうした?」
「興味のある人も無い人も」
 神束も即座に応じる。
「たぶんみんな、こんなことは判っているんです。我々の苦い経験から、ね。人の心はわからない。人は、本当のところは他人の心を知ることはできず、外見や行動から推測するしかない。ここで最初の問いかけに戻ります。動機とは何か。それは外見や行動から推測した、犯人の心理である。この答から、二つのことが明らかになります。

 一つは、動機とは『犯人がおかれた状況』と『犯人の行動』をつなぐ説明だ、ということです。行動が判明し、犯人についての情報が与えられると、我々はなんらかの説明によって、その間をつなごうとします。そこがうまくいかないと、動機が問題とされるんです。
 もう一つは、その説明は、あくまでも推定されたものだということです。その推定を行うのは誰でしょうか。もちろん、犯人ではありません。事件の情報を与えられる人物です。ここでは『観察者』と呼ぶことにしますが、動機が観察者による推定だとすれば、動機論が求めるものも明らかになります。犯人の心理を正確に述べること、ではありませんよ。その説明に対する観察者の納得の度合いを大きくすること、それが目的となるんです。観客をどれだけ笑わせたか、どれだけ喜ばせたかによって評価される、芸人やエンターティナーのように」
「それはちょっと……形式的に過ぎるだろう。それだと、犯人の本当の心を知るのではなくて、どれだけうまい説明や解釈を見つけるか、になってしまう」
「ええ、解釈ですよ。だって、それしかできないんですから」
 神束はあっさりと肯定した。
「そんなのでいいのか? だいたい、観察者って誰だよ。納得の度合いなんて、人によって違ってくるぞ」
「警官や事件の当事者など、その事件を観察している人ですね。事件の情報を読み解く人という意味で、読者と言ってもいい」
「読者ぁ?」
「まあまあ。神束さんのお話は、それほど変なことではありませんよ」
 おれがあきれ声を上げたところで、宇津井が割って入ってきた。
「犯人の心理を推定し、証拠によって納得させる。きわめて実用的です。なにしろそれは、社会制度として実際に行われているのですから」
 宇津井の言わんとしていることがピンときた。こいつは裁判のことを言っているのだ。法廷では、検察官と弁護士がそれぞれ思い描く動機を述べ、自分の正しさを立証しようとする。そこで根拠とされるのは外形的な証言や物的証拠であって、被告の内面そのものではない。被告自身も何か話すかもしれないが、それも証拠の一つとして扱われるだけだ。本人の話が、真実とは限らないのだから。その意味では、神束の主張は実用的なのだろう。
「さて、動機に関してはもう一つ、述べておきたいことがあります。それは、まったく新しい動機が現れることはほとんど無い、と言うことです。
 他人の心を知ることはできませんが、それでも、人の心にそれほどの違いはありません。少なくとも一般的には、そう考えられています。一方、これまでに数多くの事件が解決され、例外的で特異な事例も含めて、様々な動機が明らかにされてきました。これらの蓄積を利用すれば、まったく新しい説明が必要になることは、まず無いでしょう。
 そこで、本論では次のように仮定します。
 『既存の動機、あるいはその組合せによって、すべての事件の動機を説明することができる』」
「もしも、まったく新しい動機が生まれていたとしたら?」
「出てきた答に満足できなければ、その段階でこの仮定を否定して、新たな動機を探すことになります。つまりこれは仮定というよりも、探索の手順が近いでしょうね。
 ああそうだ、この仮定は、過去にまったく同じ動機があるはずだ、と言いたいのではありませんよ。既存の動機を分類しておけば、新しい事件の動機も、分類上はそのどこかにきれいに収まる、という意味です」
「そうじゃなくてさ。出てきた答に不満はなかったとしても、本当は新しい動機だった、ってこともあるだろ。それはどうやって見分けるんだよ」
「それはありません。繰り返しますが、動機とは観察者の満足度によって決まるものです。ですから、答に不満がないのであれば、それが正しいことになるんですよ。言わば、『社会的に正しい動機』ですね。それとは別の『本当の動機』、『真の動機』などというものは存在しえない(・・・・・・)んです」
 あ、そうか、と俺は思った。そういえば、そういう前提で話していたんだっけ。神束はいいですか? と軽く確認してから、話を続けた。
「さっき言ったとおり、この仮定は実質的には探索の手順です。しかし、動機モデルにとっては大きな意味をもちます。これによって、分析の方針が決まるからです。
 まず、基本的に重要なのは、事例の収集と分類です。既存の動機ですべての動機を説明できるとは言っても、既存の動機を知らなければ何もできません。典型的な例からレアケースまで、幅広い事例を集めなければなりません。
 そしてもう一つ。さらに大事なポイントは、推理の方法です。この仮定により、求める答は、集めた事例の中にあることが保証されます。ということは、動機の決定に消去法による推理(・・・・・・・・)を使うことができるんです」
 神束は立ち上がって、簡単なフロー図を板書した。

   犯人がおかれた状況 → 動機 → 犯人の行動 → 結果

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