7 鏡を見れば明らかなこと

文字数 3,619文字

 各務の疑問に、向川は面白そうな表情を浮かべた。
「どうしてそう思う?」
「だって、顔や格好が似ている上に、走り方まで一緒だったんでしょう? そんなの、同一人物としか思えませんよ。それに、身寄りがいないんだったら、見つかった遺体が誰なのか確かめようがないんじゃないでしょうか。先生には、警察から依頼がありましたか?」
「来なかった。私は大学時代の一友人に過ぎないからね。だが、仮に生きていたとしても、秀明がどうして京院大の入試会場にいたんだい? 彼は阪大を卒業しているんだよ」
「卒業した後、もう一度入学する人もいます。でなければその……替え玉受験とか」
 各務としては、わりと思い切ったアイデアのつもりだったが、向川は即座に首を横に振った。
「それはどうかな。京院大にいた頃、私も試験官をしたことがある。昔はずいぶんおおらかだったそうだが、最近はきっちりしていてね。一人一人、手元に用意した写真と見比べて、少しでも疑わしい受験生はしっかり確認を取るんだ。よほど顔が似ていないと、難しいだろう。
 それにね、身寄りがないと言うけれど、施設で育ったのなら、そこの職員が身寄りみたいなものだ。少なくとも、本人をよく知っているという点ではね。ご遺体が見つかったのは、秀明が育った京都市の山中だった。おそらく、施設の人たちが身元確認したんじゃないかな」
 各務は、なんだか暗い気持ちになった。もしかしたら、各務たちが訪問していたのと同じ施設かもしれないと思ったからだ。
「それに、身元不明の遺体が発見された場合は、昔の記録と照合するんじゃないか? 虫歯を治療した痕だとか……刑事ドラマの見過ぎかもしれないが」
「いえ、正しい知識だと思います」神束がうなずく。
「それから、最後にもう一つ。君は大事なことを忘れている」
「大事なこと、ですか?」
「彼が生きていたとしたら、もう四十近くになっていたはずだ。ところが、私が見た秀明は、確かに大学生の頃の彼だった。髪型や服装は違うけれど、なんと言うか全体の雰囲気がね……だから、あれは秀明ではなかった(・・・・)。鏡を見れば明らかだよ。私は、こんなに変わったんだから」

 研究室を辞したところで、各務はさっそく、神束に尋ねた。
「どうして神束さんがいるんです? いやそれより、どうやって噂の元が向川先生だとわかったんです。神束さんが探したんですか?」
「そうですよ。どうしてわかったかというと、それはもちろん、噂の内容からです。院生が教職につくのって、とても難しいのでしょう? 調べてみると確かにそのとおりで、京院大社会学部の院生から講師や助教になった人は、ここ数年では一人だけでした。その人は玉田先生の教え子ということだったので、先生にご紹介をお願いしたんです」
 各務は思わず、あっと声を上げてしまった。そう言われればそうだった。だからこそ、友利が就活で苦しんでいるのだ。廊下を歩きながら、神束は話を続けた。
「受験会場の幽霊の噂では具体的な事柄が述べられていたので、跡を追うことができました。まあ、噂が変形していて、実際には別の大学の話だったという可能性もありましたから、その点ではラッキーでしたけどね。実は他の二つの噂にも、とても特徴的な情報が入っているんです。
 同窓会の幽霊の話では、救助隊員が遭難者と一緒に遺体を発見したのでしたね。これも珍しい出来事で、調べてみると該当は一件だけでした。亡くなったのは府川知昌。2010年に東海大学社会学部を卒業しています。卒業直前まで就職活動に熱心に取り組む姿が見られず、周囲に心配されていたようです。結局、就職先未定のまま卒業し、その後は行方不明。翌年、名古屋市の山中で遺体が発見されました。警察では自殺とみているようです」
「なんだか、どこかで聞いたような話ですね」
「福祉施設の職員が会った幽霊は、拳銃を使って自殺していました。物騒な世の中になったとは言え、拳銃で自殺する大学生はそれほど多くないでしょう。調べてみると、ここ十年では一件だけでした。片門浩樹、2005年に名古屋市立大心理学部を卒業し、直後に行方不明になっています。2010年、大阪市の山中で遺体発見。大学在学当時、いわゆる内定切りにあって相当落ち込んでいたらしく、それが自殺の原因と見られています」
「え?」
 各務はまた大声をあげた。
「どうしてそんなところで、片門の名前が出てくるんです」
「はっきりしたことはわかりません。が、もしかしたらとは思っていました。順番に並べてみるとわかりますよ。寺本は大阪大学を2000年に卒業しています。片門は大阪市で遺体が発見され、2005年名古屋市大を卒業。そして府川は、名古屋市で遺体が発見されているんです」
 こう指摘されて、各務もようやく気がついた。三人が自殺した場所と在籍した大学の場所が、連鎖しているのだ。
「さらに、三つの噂は一つのサークルの中で語られていたんです。とすると、これらにはどこかに共通点があるのではないか。もしかしたら、噂の元はサークルの関係者であり、自殺した三人もサークルの関係者ではないか……こんなふうに考えてしまうのも、無理はないですよね。もちろん、これは単なる偶然で、私の考えすぎなのかもしれません。が、向川先生のお話で、寺本と片門には個人的なつながりがあったことがわかりました。片門という名字は珍しいですから、偶然同じ名前だった可能性は低いでしょう。
 ここでさらに、片門と府川にもつながりがあったとしたら? もしかしたら、これらは一連の出来事なのかもしれません」
「まさか、サークルで何かが起きている、と言うんじゃないでしょうね。さすがにあり得ないでしょう。阪大は大阪、名古屋市大は名古屋、東海大は……関東ですよね?」
「社会学部のキャンパスは、横浜にあるそうです」
「それだけ離れていれば、いくら同じボランティアサークルでも、日常的なつきあいなんてありませんよ」
「その辺りは、実際に調べた方が早いですね。片門と府川のつながりも、そもそも本当に噂の元か片門たちかどうかさえ、まだ確かめていないんですから」
 ここまで話して、神束は困ったような笑みを浮かべた。
「それにしても参りました。噂が特定の個人を指していたらまずいと思って、確かめたかっただけなんです。それがどんどん、変な方向に進んでしまって」
「記事に使うのはやめたらどうです?」
「記事はもう、どちらでも良くなっているんですけど、どうしても気になることがあるんですよ。ちょっと、変なことを空想しているんです。噂の元が片門たちで、内容もおおむね事実だったとしましょう。確認は取れていないので、仮定に過ぎませんが」
「確認が取れたらどうなるんです?」
「それは噂ではなく、目撃証言になるんですよ」
 神束は急に立ち止まった。玄関のすぐ前だったので、後にいた学生がとがめるような視線を投げながら、二人の横を通りすぎた。
「それが目撃証言なら、内容が異常というだけで否定はできません。一旦は事実と認めて、その上で合理的な検討をすべきでしょう。
 それから、各務君はさっき、『顔かたちがそっくりで癖まで同じなら、それは同じ人ではないか』と言いましたね。この点は、私も賛成なんです。外見が似ていて癖や仕草、知識などが同じであれは、それは同一人物と推定される。強い仮定ですが、推理を進めるために、これが正しいと仮定してみましょう。そうなると、向川先生が目撃したのは、寺本本人ということになります」
「でも、死んだのが寺本なのは、間違いないんでしょう? こういうことは警察もちゃんと確かめるはずだって、神束さんも言ったじゃないですか」
「それもそのとおりです。警察が行った身元確認に、誤りはなかった。この仮定も認めれば、発見された遺体は寺本のものとなります。向川先生の目撃の時には、彼は既に死んでいたんです。片門と府川についても、身元確認は正しいと考えるべきでしょうね」
 相手が何を言いたいのか、各務にはわからなくなった。科学雑誌の記者だというのに、話すことがまったく矛盾している。各務は戸惑った表情を浮かべたが、そんな彼にかまうことなく、神束は独り言のように話し続けた。
「ですが、確認には手間がかかりそうですね。ここまではニュースの検索で簡単に調べがついたけど、これ以上となると、独力では厳しいかなあ。あそこの編集部の先輩に、協力をお願いしてみるか……」
「ぼくたちで、何かお手伝いできることはありますか」
 考えに沈んでしまった神束に、各務が声をかけた。神束ははっと顔を上げると、少し考えてから、真顔でこんなことを言った。
「就職活動を、一生懸命、頑張ってください」



────────────────────
 このあたり、「蓋然性が嫌い」なはずの神束が、ずいぶん大胆な推理を展開していますね……。まあ、「間話」ですし、別の世界線のお話と思っていただければと。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み