12 永遠の青春

文字数 3,195文字

「若さとは、社会的なものである。
 これは、一面では真実でしょう。学生時代にしかできない経験、学生にしかありえない友情といったものは、確かに存在するように思えます。特に恋愛関係は、年齢を重ねると、なんていうか将来を見たものになりがちなんですよ。あなたにはまだ、わからないかもしれませんが」
 各務は、さっきの月穂の言葉を思い出していた。自分はまだ実感できないが、彼女にはもう、わかっているのだろうか。
「だから繰り返し大学生になったんですか? そんなの不健全です。だってそうでしょう。誰だっていつかは社会に出て、家族のために稼がなければならないんですから」
「藤瀬は両親を事故で亡くし、その代償としてある程度のお金を手にしていました。『稼がなければならない』や『家族のため』といった意識は薄かったのでしょう。
 寺本と入れ替わった生活を想像してください。年齢はそれほど変わらず、周囲よりも経験や知識が豊富で、手元にはお金もある。こんなに恵まれた環境なら、かつては犯してしまった過ちを回避し、逃してしまったチャンスを捉えることも可能かもしれません。まさしく理想的な青春──そんな生活を、やりなおすことができるんです。就職活動に失敗した藤瀬にとっては、とてつもなく魅力的なものに映ったに違いありません」
 青春時代のやり直し──自分の現在の状況、自分のエントリーシートと比べると、なんて素敵な言葉だろう。しかし、各務はうなずくことができなかった。玉田ゼミや『があふぁんくる』の連中の顔が次々と脳裏に浮かび、そして最後に、坂道を下る月穂と山倉の後ろ姿が、鮮明なイメージとなって結んだ。各務は首を振り、なんとか反論の言葉を口にした。
「でも、それでもですよ。そんなことのために人を殺したんですか」
「その点なのですが、警察は自殺とみていますし、片門については自殺未遂の経歴もあります。となると、少なくともすべてが殺人ではないのではないかと思えます。むしろ、一連の出来事が始まったのは、自殺が契機になっていたのではないでしょうか。
 しかし、自殺がどうやって、入れ替わりに結びつくのでしょう。ここで、最初の入れ替わりである、寺本のケースに注目します。寺本の場合、大学に現役で合格していて、浪人期間がありません。ですから、二人の入れ替わりは施設を出て大学に入るまでの、ごくわずかの間になされなければなりません。それから実際問題として、顔の違いは問題です。願書の写真と実物との違いを、どうやってごまかしたのでしょう?
 私はこんな想像をしているんです。もしかしたら、彼らは既に入れ替わっていたのではないか。本格的な入れ替わりは寺本が死んでからでしょうけど、ある限定された範囲では、藤瀬はそれ以前から寺本として行動していたのではないでしょうか」
「それって、もしかして替え玉受験?」
 各務の思いつきに、神束はうなずいた。
「藤瀬は、自分の就活がうまくいっていなかったにもかかわらず、卒業の直前まで寺本に勉強を教えていました。まあ、就活がうまくいかないから、そちらに力が入った面もあるかもしれませんが、それでも寺本に感情移入していたのは間違いないでしょう。その寺本は、センター試験の失敗で落ち込んでいました。そんな寺本を見た藤瀬が、替え玉となって受験したと想定するのも、それほど不自然ではないと思います。予め計画した替え玉受験であれば、藤瀬が寺本に変装するなどして、どちらにも似ている写真を準備することもできますよね。その結果、寺本は無事に、大阪大学に合格することができたんです。
 ところが、寺本は入学直前になって、自殺してしまいます。良心がとがめたのか、それとも自力で合格したわけでもない大学に入って、やっていく自信がなかったのか。『ひどく落ち込んでいた』のが鬱的な状態だったとしたら、合格という結果よりも、自分では何もできなかったという事実の方が、こたえていたのかもしれません。いずれにせよ、藤瀬が発見した時には、寺本は死んでいました。藤瀬は衝撃を受けたでしょうが、しばらくして、自分が寺本として暮らせることに思いあたります。そして、寺本の遺体を隠して、彼の代わりに新入生としての生活を始めたんです。
 あ、自殺が入学直前と言ったのは、施設関係者が気づかないんですからそれは施設を出た後で、かつ、入学後の友人が気づかないんですから学生生活が始まる前、に絞られるからです。それから藤瀬が発見したと言ったのは、入れ替わるためには遺体を隠さなければならず、そのためには自殺を真っ先に知らなければならないからですね」
 神束は一息ついて、冷めてしまったコーヒーを口に運んだ。
「まったくの想像に過ぎませんよ。ですが、こんな経過だったとすれば、寺本の大学合格、その直後の自殺、藤瀬の入れ替わり、といったことが説明できると思うんです。
 こうして藤瀬は、二周目の青春時代を過ごすことになりました。一周目よりもはるかに恵まれた生活は、もしかしたら本当に、『若さ』をもたらしてくれたかもしれません。苦労をした人は老けると言いますが、その逆ですね。久しぶりに会った同級生が別人のように老けてることって、本当にあるんですよ。話を聞くと、ずいぶん苦労していて。これも、あなたにはまだわからないかな」
「だとしたら、どうして藤瀬は、寺本のままでいなかったんですか」
「それは、彼が『若さ』から抜け出せなくなってしまったからではないでしょうか。
 藤瀬は卒業のたびに、就職活動に失敗しています。能力はあるのに就活と相性が悪い人もいる、と聞いたことがありますが、彼の場合は、『もう一周できる』という考えが頭の隅にあったせいかもしれません。なまじ逃げ道を知っていたため、厳しい道を選ぶ覚悟ができなかったんでしょう。ある時は、向川先生のような人が側にいたにもかかわらず、共に進んでいく決断ができませんでした。そうはせずに、戻っていってしまったんです。永遠の『青春時代』に」
 永遠の青春。この言葉がこんなにも忌まわしく、奇怪な響きをもつものだとは、各務は思ってもいなかった。
「二回目からは、意図的に入れ替わりを狙った痕跡があります。現役合格ではなく、一年間の浪人生活を間に入れていますし、進学先も地理的に離れた大学を選んでいます。どちらも、入れ替わりに気づかれるリスクを減らすものです。福祉サークルに入ったのも、身寄りの無い高校生に近づくためかもしれません。そして自殺しそうな人を選んで、その人の学習指導担当に立候補した……。
 三人の遺体は、彼の自宅に隠したのでしょう。遺体が発見された時期が暗示的です。家が処分された、その次の年ですから。家が人手に渡る前に、隠していた遺体を山中へと移したんでしょうね。大変な作業だったはずですが、せざるを得なかったんです。自らの『若さ』のために。
 ですが、遺体はやがて発見され、それが眠っていた記憶を呼び起こして、三つの噂となりました。その結果として、あなたがたの耳に入ることになったんです」
 各務はため息をついた。座って話を聞いていただけだったのに、急激な疲れを感じていた。
「藤瀬という人は、本当は何歳なんです」
「一九九六年に大学を卒業していますから、今年で四十一才ですね」
「四十一。そいつは今、どこでどうしているんでしょう」
「それも調べました。いえ、そんなに難しいことではありません。今度は、府川が世話をしていた高校生を探せばいいんですから。それから、写真も手に入れることができましたよ。その高校生ではなく、藤瀬の京大時代の写真です。その頃はまだ、彼もカメラを避けていなかったんですね」
 神束はノートに挟んであった写真を取り出した。各務はその人物に見覚えがあった。髪型や服装は違うが、そこに写っていたのは紛れもない、山倉博人の姿だった。

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