3 普通なら、ほぼ決まりです。が──

文字数 2,631文字

「発見者は隣家の主婦、駒坂百合美です。六月二十六日午後九時四十分、駒坂は被害者宅の戸が開いたままなのに気づき、家の中をのぞき込んで、倒れている被害者を発見しました。その時はなにかうわごとをつぶやいていたそうですが、五分後に救急が到着した頃には既に意識はなく、病院へ搬送された後、そのまま死亡が確認されました」
 職業的スマイルは絶やさぬままに話を進めていく。が、神束の顔を見る限り、素直に相手をしそうにはない。やむを得ず、おれが合いの手を入れてやることにした。
「よその家を訪ねるには、いい時間じゃないね」
「雨が吹き込んでいたので、一声かけようとしたのです。先月の集中豪雨の日ですからね。駒坂が外に出たのも付近の川の様子を見に行こうとしたためで、この日はほとんど一時間おきに、見に行っていたそうです」
 おれの脳裏に、ニュース番組の一場面が浮かんだ。町をあふれる濁流、水中に放置された自動車、崩れ落ちる川沿いの建物。田んぼの様子を見に行って帰ってこなかったおじいさんや、車で出たまま車ごと行方不明になった女性の話……インタビューを受ける人の背後には、テレビや家財道具の残骸が山と積まれていた。それは局地的な集中豪雨で、九山市一帯に大きな被害があったのだが、見るだけの側にとっては、あまりにおなじみの光景だったのだろう。おれの頭に浮かんだのは『あのテレビ、リサイクル料はどうなるのかな』という、しょうもない疑問だった。
「被害者は玄関からすぐの部屋に倒れており、雨の中を出歩いたのか、衣類が濡れた状態でした。遺体には首を絞められた痕もありましたが、死因は頭部への打撃です。後頭部、正確には首のすぐ上あたりを鈍器で殴られて、陥没骨折を起こしていました。犯人は背後から頭部を一撃し、その後で首を絞めてとどめをさそうとしたと思われます。実際には頸部の圧迫は不完全で、最初の打撃が致命傷となりましたが。また、倒れた際に床で鼻を打ったらしく、床にはかなりの量の血が流れていました。検死の結果、犯行時刻は発見の直前、九時半前後と断定されました。
 現場のドアの鍵には、破られたような痕跡がありません。押入やタンスが開けられ、中身が部屋中に散らかっていましたが、財布など金目のものは残されたままでした。テーブルの上には飲みかけの缶ビールと、スナック菓子の袋が置かれていました」
「酒を飲んでるところを襲われたのか」
 おれは再び、遠慮の無い口調で訊いた。なにしろこれは、大学の同窓生が世間話をしに来ただけ、らしいので。対する宇津井も気にした素振りはなく、丁寧な口調で説明を続けた。
「そうです。どうやら被害者はこの遅い時間、ひどい天候の中で犯人の訪問を受け、鍵を開けて招き入れたらしい。とすると、部屋を荒らしたのは下手くそな偽装で、被害者は犯人と顔見知りの可能性が高くなります。なお、被害者には息子が一人いますが、全寮制の高校に通っており、この日は帰宅していないことは確認済みです。
 当日の被害者の行動ですが、六時半ころに北藪町のスーパーで目撃されています。自宅近くに大きな店がないため、職場のある北藪町で買い物をしたのでしょう。それ以降の目撃証言はありませんが、被害者宅の固定電話に、七時二十五分の着信と二十七分の発信が記録されていました。着信は被害者の勤める建設会社から、発信は息子の携帯にあてたもので、内容はどちらも安否の確認、被害者本人が電話に出たそうです。
 そしてもう一本、こちらは被害者の携帯電話の方に、八時二十分の着信がありました。相手は高校時代の同級生、安沢亜佐子。そこで彼女にも話を聞こうとしたのですが、電話しても応答がありません。そこで、自宅のある北藪町へ人を出そうとしていたところに、意外な筋から情報が入りました。交通課から、北藪町との町境で自動車同士の事故が起き、通行できないとの知らせがあったんです。双方の運転手は死亡したとのことでしたが、その中の一人の名前が、安沢亜佐子でした。
 この時点ではっきりとした疑いがあったわけではありませんが、単なる偶然にしては話ができすぎです。そこで詳しく調べたところ、当たりでした。その後の捜査で、亜佐子の衣服に付着していた血液が被害者のものと一致し、被害者の爪に残された体組織が亜佐子のものであることが判明しました」
「殺人犯が事故を起こして、自分も死んでしまったのか?」
 それはそれで話ができすぎという感じもするが、宇津井は当然と言った顔でうなずいて、
「その点について、面白いことが判っています。亜佐子は免許は持っていますが、車は持っていません。彼女が乗っていた車は、北藪町に住む木下貴久と言う男のものだったんです。木下の話によると、事件当日七時四十分ごろ、走っていた道路が冠水してしまったのだそうです。まだ車は無事でしたが、後ろに長い車列ができて動けなくなったため、彼はやむなく車を離れて、徒歩で帰宅しました。その車を置いた場所というのが、亜佐子のアパート近くだったんです。こうした場合のマナーとして、車のキーは残してあった。亜佐子はそれを使ったんですね。実際、八時十五分前後に、その付近を歩く亜佐子の姿が目撃されています。
 おそらくは、こういうことだったんでしょう。亜佐子は以前から、典枝の殺害を計画していました。そして事件当日に、水没寸前で放置されている車を見つけたんです。ああ、その時には車列が解消されて、車は動ける状態だったんですよ。それを見た彼女の頭に、こんな計画がひらめきます。この車で典枝宅に行って彼女を殺し、犯行後に元に戻しておいたらどうだろう。そうすれば、犯行現場に行けなかったことになるんじゃないか? なにしろ、自分は車を持っていないし、当日はバスも止まっていたんだから──要するに、一種のアリバイ工作ですね。
 はたしてそれでうまくいったかどうかはわかりませんが、それなりのアリバイにはなりそうです。せっぱつまっていたら、この程度の計画で犯行を犯しても、おかしくはないでしょう。ところが、その日は豪雨で視界が悪かった上にペーパードライバーの久しぶりの運転。さらには犯行直後で、気も動転していました。そのために、事故を起こしてしまったというわけです」
「なるほどね。体組織なんて証拠もあるなら、それで決まりじゃないか?」
「普通なら、ほぼ決まりです。ですが大きな問題がありました。事故の発生時間と、車の進行方向です」
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