9 大前提として犯人は

文字数 2,292文字

 それもそうか。第三者が犯人なら、最初からアリバイも何もないのだ。おれはうなずいて、了承の意を示した。
「共犯は排除しませんが、実行犯はこの二人とします。同じ理由から、犯罪ではなく単なる事故だった可能性や、いわゆる遠隔殺人の可能性も否定しておきます。
 次に、警察や消防署など公的機関の記録や鑑定には、誤りはないものとします。つまり、通報時刻や消防が事故現場に到着した時刻は確定とします。指紋の鑑定結果も確定ですから、事故を起こした車は亜佐子が運転していたことも決まりです。犯行時刻も同様ですが、これはもともと幅をもった推定でしょうから、ある程度の余裕を持たせた上で確定とします」
「異論をはさむような内容ではありませんね」
 宇津井がしれっとした顔でコメントした。
「ここから、被害者は典枝、犯人は亜佐子で確定となります。先ほども触れられた検死結果から、典枝の受けた打撃は事故によるものではなく、犯人は典枝と亜佐子のどちらかなのですからね」
「あれ? そうなるのか」
 おれは声を上げた。別に犯人が亜佐子であってもいいけれど、こんな論法で決まってしまうのが、ちょっと不思議だったのだ。だが、少し考えてみてもうまい反論が見つからない。典枝犯人説は、それほど(もろ)いものだったのかもしれない。
「また、亜佐子宅と展望所、展望所と典枝宅間の最も速い移動手段は車であり、所要時間が二十分であることも、警察の判断としてここに含めましょう。パラグライダーやスケートボードなどの超絶テクニックを使わない限り、車の移動が最も速いはずです。当日の天候や事件の偶発性を考えれば、そんな手段が使われたとは思えません。
 三つ目。事件の中心にない人物の証言には、偽りはないとします。具体的には、盗まれた車から持ち主が離れた時刻や、亜佐子がアパート近くで目撃された時刻などです。ただし、大まかな記憶による証言もあるでしょうから、そんな場合はある程度の幅を持たせておきましょう。
 四つ目。事故が偶発的であったことも、仮定しておきたいと思います。アリバイのために意図的にぶつけたという説もありましたが、やはり無理があると思います」
「ま、実際問題としてはそうだろうな」
 おれも特に異論は無かった。神束はここで、言葉を探すような顔で、ちょっと一息入れた。
「五つ目。偶然に頼りすぎる推理は失格とします。事件を説明するために、あまりに多くの偶然を使うのは避けるべきです。これではちょっと曖昧ですね。具体的にいきましょう。
 犯人が事故を起こした直後に知り合いの車が通りかかる、といったことは無かったとします。これを許してしまうと、たとえばさっきの典枝犯人説でも、偶然出会った知り合いに家まで送ってもらった、という答が成り立ってしまいます。が、これはあまりにご都合主義的ですよね」
「それは思いつかなかった」
 おれは言った。思いつかなかったということは、無意識のうちに、そんな推理は馬鹿げていると考えていたのかもしれない。
「この『知り合い』には共犯者も含むこととします。つまり、何らかの犯行計画があり、共犯者がそれに従った行動を取ったために展望所近くにいた、という説明も却下です。計画どおりに動くなら必然ではないかと言われるかもしれませんが、そんな計画が作られていたこと自体、偶然ですから。
 最後に、犯行現場は典枝宅とします。これまで説明したとおり、犯人は亜佐子で確定、犯行後に典枝が自力では動けなかったことも確定です。典枝宅では出血と、部屋が荒らされたような痕跡も確認されています。典枝が一旦は自宅に戻っていたことも確定ですし、彼女の車が残されていることなどを考慮すると、その後で北藪町にいった可能性はかなり低いと思われます。これらのことから、現場は典枝宅と推定されます」
「うーん、それはちょっと……そうじゃない可能性だって、考えられるだろ」
 ダメ元で反論してみたところ、神束は意外にも素直にうなずいて、
「そうですね、やや強い仮定です。ですが、こう考えるのが最も自然なのも確かでしょう。
 それにですね。これをおかしいと思うのなら、これと逆の仮定を使った答を、別途探せばいいんです。こうやって仮定を明示しているのは、そのためでもあるんですから」
 神束はこう言うと、厚紙のカードを取り、マグネットでホワイトボードに貼り付け始めた。
「事件には数多くの場面がありますが、今回は説明を簡単にするため、この八つを選びました。実際には、『典枝が北藪町で買い物をした』など、この外側にさらに多くのノードが存在しています。
 各ノードには、そこに登場する人物、場所、行動の内容、所要時間を書いてあります。場所については、カードの縦位置で示すようにしました。その方がわかりやすそうなので。下にある数字は発生時刻で、左端が開始時刻、右端は終了時刻です。仮定により動かせない要素は太字、未確定で動かせる要素は斜体の細字にしてあります。そうそう、先輩から言われた『時間の余裕』は、十分間にしておきました。これも仮定に含めるべきでしたね」
 神束はカードとカードを矢印で結んで、次のような図を作り上げた。




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 ノードがたくさん登場していますが、重要なのは「事故」「殺人」「事故発見」の位置と、斜体字になっているところです。そこにだけ注目していただければと。

 ……スマホだと画像が小さいですね。読めないようでしたら、どうにかして画像を保存して、別ソフトで表示するという手も……それでも小さいかなあ。お手数をお掛けします。

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