5 叙述トリックは──アンタッチャブル

文字数 3,874文字

  神束 :批判される理由の一つは、「正確性の拡張」でしょう。先ほどは、
      「複数ある意味のうちの一つでも現実を表しているのなら、それは
      正確な描写とする」としましたが、やはりこのルールは特殊です。
      広く一般に認められるものではありません。ここに引っかかりを感
      じる人は、「これはずるいトリックだ」と感じることでしょう。

       理由の二つ目は、トリックが強力すぎると言うことです。さっき
      も言いましたが、この世界では叙述をいじれば、なんでもできてし
      まいます。通常のトリックなら不可能な現象を、さしたる苦労もな
      く──と、言ってしまいますが──実現できるんです。ところが、
      その現象にわくわくした読者に明かされるタネは、叙述のからくり
      だけ。これでは、「手抜きだ」「ずるい」となってしまうのもやむ
      を得ません。

       最後に、トリックの成り立ち自体が、ダブル・スタンダードを含
      んでしまっている点です。先ほども述べたとおり、叙述トリックは、
      読者による『解釈』を利用し、一般的な読解の作法を無視したり、
      ねじ曲げることで成立しています。ところが、同じ小説の別の場所、
      と言うよりもトリック以外のすべての場所では、同じ作法を、一般
      的な方法で使ってしまっているんです。これはしかたがありません。
      『解釈』に一切頼ることなく、つまり単語の直接的な意味だけによ
      って、すべての情報を表現している小説なんて、存在しないでしょ
      うから。同じ作法を一方では便利に利用し、他方ではねじ曲げてい
      る。そしてその使い分けは秘密にされているんですから、読者から
      すれば「そんなのずるい」と思われるものになってしまうんです。

  今野 :だとするとだ。逆に、今では認められてきている、ってのはなぜな
      んだ?
  神束 :まずは、一つ目にあげた「正確性のルール」が、それなりに認知さ
      れてきたからでしょう。ある種の小説では、こういう書き方がされ
      ることがあるんだよ、と。要するに、ジャンルとして認められてき
      たんでしょうね。

       また、作品の側からの対応もあります。叙述トリックは、強力す
      ぎるのが問題でした。なにしろ叙述を操作するんですから、うまく
      すれば、見破ることができないトリックを作ることも可能なほどで
      しょう。しかし、絶対に解けないパズルは、優れたパズルではあり
      ません。トリックが強力であるほど、そこには制約が必要になるん
      です。

       ミステリの場合、その制約は「手がかりの提示」となります。最
      も強力な形は、「矛盾の存在」でしょうね。解釈がAとBの二通り
      あり、普通の読み方ならAの意味なんだけれど、正解はBであると
      します。ここで、Aと解釈すると矛盾が生じるようにしてあれば、
      それは当然Bと解釈すべきであり、パズルは解けるものになるわけ
      です。「読解の作法」と「明確な矛盾」を比べれば、後者の方がル
      ールとしては強いんですから。この方法なら、恣意的な使い分けに
      もなりませんので、ダブル・スタンダードの問題もカバーしていま
      す。

       優れた叙述トリックには、それを暴くための手がかりが伴ってい
      なければなりません。女性を男性であるかのように思わせたのなら、
      どこかで女性であることを示さなければならないのです。この「ト
      リックとしての傷」によって初めて、叙述トリックは完成するのだ
      と思います。一般には、こうした手がかりを伴わないものも「叙述
      トリック」と呼ぶのでしょうが、本論ではこれを満たすもののみを
      叙述トリックとし、そうでないものは考察対象から外すこととしま
      す。

  今野 :なるほどな。で、それを解くにはどうすればいいんだ。
  神束 :いくつかの方法というか、選択肢があります。一つ目は簡単ですね。
      「叙述トリックは、そもそも解こうとすべきものではない」です。
  今野 :え? 解かなくてもいいのか?
  神束 :かまわないでしょう? なぜって、私は今、刑事や探偵といった、
      謎を解くべき立場にはいないんですから。叙述トリックは読者に作
      用するもので、小説内世界の人物には関係がありません。私が叙述
      トリックを解こうとしていると言うことは、私は登場人物ではなく、
      単なる読者にすぎないということです。それなら、トリックを暴く
      なんてせずに、逆に味わってみるのもいいでしょう。
  伊津野:なるほど。「手品を見る時は、タネを見破ろうとするより、騙され
      ることを楽しんだほうがいい」といいますからね。
  神束 :そういうことです。手品も叙述トリックも、普通なら不可能な出来
      事をやってくれるんですから、そこに仕掛けがあるのは当たり前で
      す。苦労してイリュージョンを見せてくれるのなら、それを楽しま
      なくては損でしょう。

       以上の点については、ミステリのトリック全般に言えることなの
      ですが、叙述トリックに関してはもう一つ、現実的な理由もありま
      す。叙述トリックは、読者の解釈を利用するものでした。というこ
      とは、一切の解釈をせず、一切の流れや含みを無視して、「切れ切
      れの言葉だけを理解する」ことに徹すれば、トリックに引っかから
      なずにむはずです。そうですよね。でも、それって楽しいんでしょ
      うか? 達人級の読み手のように深い読み込みをする人でなくても、
      小説を読む際には、みんな自然と「解釈」をしているはずです。こ
      の反応を押さえつけ、単語の意味だけを一つずつ拾っていくなんて、
      苦行以外の何物でも無いと思います。やってみたら、できるのかも
      しれませんよ。が、おそらくは労力と本代とを費やして、つまらな
      い時間をすごすことになるんじゃないでしょうか。

       あ、忘れてた。決まり文句的にまとめると、こうなります。
       叙述トリックは──アンタッチャブルだ。
  今野 :そんなに決まってはいないと思うけど、まあいいや。
  伊津野:ですが、手品のタネを見破りたい人、そういう見方に楽しみを見い
      だす人も、中にはいますよね。そんな人は、どうすればいいのです
      か。
  神束 :残念ながら、明確なモデルやアルゴリズムなどはありません。相手
      は人間の認識能力を逆用してきますから、トリックを暴こうと文章
      を読み始めたら、とたんに罠にはまってしまいます。慣れればそれ
      らしい叙述に敏感になりますけど、感覚に頼るようでは手法とは呼
      べませんね。
       ただ、先ほど私が言った、「本論で扱う叙述トリック」に限定す
      れば、糸口はあります。それは、どこかに用意されているはずの手
      がかりです。わざわざ手がかりを用意してくれているんですから、
      それを使うのが筋でしょう。そこに叙述トリックは施されていない
      はずなので、普通の読み方で矛盾や不自然さを探せば、見つかるは
      ずです。
  今野 :なんだか漠然としてるな。
  神束 :もう一つ、起きている現象に注目する手もあります。トリックの目
      的は読者の認識を誤らせることであり、それによって現象を作るこ
      とです。何らかの現象が起きているなら、それを構成する要素に注
      意すればいいでしょう。密室現象なら壁・犯人・被害者、アリバイ
      現象なら人物・時刻・場所・行動内容・所要時間、などですね。そ
      の近辺で、手がかりを探していけばいいでしょう
  今野 :うーん、やっぱり漠然としているな。
  神束 :(うなずいて)そうですね。中には、表だっては何も起こらないま
      まに話が進んで、ラスト近くになって初めて、現象に気づかされる
      ものもあります。そうなると、トリックに使われそうな要素を全部
      リストアップして、一つずつ当たっていくしかありませんが……今
      回はこの程度の量(と、ルーズリーフを指ではじく)ですから、な
      んとかなるでしょう。
  今野 :これを例にするのか? さっきも言ったが、事件なんて起きてない
      ぞ。
  神束 :描写がないから存在しない、とは限らないんですよ。まあやってみ
      ましょう。ところで宇津井さん。ここに登場する妹さんの方は、い
      まも元気なんですか? さっきは、暮らしていまし『た』って、過
      去形で言ってましたけど。
  宇津井:おそらく、亡くなったのではないかと思います。
  神束 :そうなの。ふーん……(しばらく間をおいて)まあいいか、続けま
      すよ。

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