13 破られた呪いは

文字数 3,527文字

「これ、あなたのお友達ですよね。私からは連絡がつかなくて。このお店によく来ると聞いていたんですけど」
 食い入るように写真を見つめる各務に、神束はこう語りかけた。
「ちょっと待ってください。どうして山倉が藤瀬なんです」
「向川先生は京院大の入試会場で寺本を見たんですよ。その正体は藤瀬ですから、藤瀬は今、京院大にいるんです」
「でも……他人の空似って事もあるし」
「顔が似ているだけではありません。向川先生の目撃は三年前のことです。そこにいた玉田ゼミのゼミ生が『可愛い子がいたのでゼミに誘いたい』と言ったのですから、そこは社会学部の試験会場だったはず。今は社会学部の三年生になっているでしょう」
「合格したとは限らないし、合格しても入学したとは限らないでしょう」
「目撃は三月の後半でした。この時期の入試はいわゆる二次募集ですから、受験しているのは他の大学に合格しなかった学生が多いでしょう。それに、失礼ながら京院大は、京大や阪大よりも偏差値は下です。藤瀬であれば、合格した可能性は高いでしょうね」
「社会学部の三年だけでも、何百人もいます」
「二次募集の定員はそれほど多くないはずです。山倉君はどうでしたか?」
 各務は言葉に詰まった。山倉は『最後の最後に合格が決まった』と、言ってはいなかったか。
「まだあります。山倉君……と呼ぶことにしますが、彼は『いい国作ろう、山倉博人』と言っていましたね。あれは『いい国作ろう鎌倉幕府』のひねりなんです。源頼朝が鎌倉幕府を開いたのが1192年とされていたので『イイクニ』、つまり暗記のための語呂合わせなんですよ。でも、あなたはこんなことは習っていないでしょう。最近では、幕府の事実上の成立は1185年という説が有力で、1192年説は教科書から消えているからです。そんな数字がテストに出ることはないし、覚えさせようとする教師もいなかったはずです。あなた方の年代ならね」
 そういえばそんな話も聞いたことがある、と各務は思い出していた。
「それから、彼は『チャンネルを回す』という言葉を使っていました。昔のテレビは回転式のダイヤルでチャンネルを選んでいたので、チャンネルを変えることを『回す』と言っていたんです。今のリモコンはボタン式ですから、最近の人は使いませんね。『アベック』と『ジーパン』も引っかかりました。『アベック』はもう死語ですし、『ジーパン』も普通は、『デニム』か『ジーンズ』です」
 そのあたりは、各務も変だと感じてはいたのだ。
「でも、言葉や語呂合わせなんて、誰かから聞いたのかもしれないし──」
「では、これはどうでしょう。あなたが時速六十キロでバイクを運転していると言った時、『十キロの速度超過なら警察も捕まえない』と山倉君は笑いましたね。おかしいと思いませんでした? 彼は、バイクの制限速度が五十キロだと思っているんです。かつて、バイク免許には中型という区分があって、中型バイクは五十キロが制限速度でした。六十キロ制限の道路でも、五十キロしか出してはいけなかったんです。今はそのような制限は撤廃されています。山倉君がそう思ってしまったのは、彼が交通法規を習った時、おそらくは免許を取得しようとした時に、そういう決まりだったからに違いありません。後から、そのことを昔の知識として知ったとしても、現行法規と勘違いする人はいないでしょうから。
 顔が似ていて、三年前の京院大社会学部二次募集合格者で、古い知識と言葉遣いを持っている人。そんな人がいたら、藤瀬に違いないと思いませんか」
 各務は反論することができなかった。神束はさらに続けた。
「若さとは社会的なものである。これは真実の一面かもしれませんが、一面でしかありません。若さが生物学的なものでもあるのは、厳然とした事実です。四十歳を過ぎれば、徐々に変化が起きているでしょう。肉体的には、下腹が出たり、胸の筋肉が衰えてきます。特別に鍛えない限りはね。山倉君はどうですか。服を着ているとわからないかもしれませんが、プールなどで気がつきませんでしたか」
「ぼくは、あいつの裸を見たことがありません」
 各務は首を振った。おそらく、月穂も見たことはないだろう。
 各務は改めて藤瀬の写真に目を落とした。髪はぼさぼさ、眉の手入れもしていない純朴そうな青年だ。だが何度見返しても、その顔立ちは山倉博人に間違いなかった。
「あいつは、どんな罪になるんでしょう」
「少なくとも死体遺棄は該当するでしょう。あとは公文書や私文書の偽造、もしかしたら遺棄致死罪……ですが、疑問もあります。府川以降は、本当に自殺なのかでしょうか。一度目は偶然に自殺を発見、二度目は偶然に自殺しそうな学生と出会ったとしても、それが四度も続いたとなると……すべてが殺人とは思いませんが、すべてが自殺とも思えません。まだ発見されていない本物の山倉も含めて、私には疑問です」
「この話、記事にするんですか」
「『月刊パスカル』はそういう雑誌ではありません。ですが『週刊ミライ』の先輩に手伝っていただいたので、あちらが記事にすると思います。警察がすぐに信じてくれるかどうかは、わかりませんけどね。ちょっと、突飛な話なので」
「そうですか」
 各務は、この日何度目かになるため息をついた。その時、再びドアベルが鳴った。顔を出したのは、買い物袋を抱えた喫茶店のマスターだった。マスターは各務を見ると、愛想良く話しかけてきた。
「いらっしゃい。おやあ、今日は女の人と一緒? 山倉君は帰ったのかい」
「山倉?」
「あれ、さっきまでいたんだけどな……なーんだ、いるじゃない。そんな隅っこでどうしたの」
 マスターは店の奥に向かって呼びかけた。各務が振り返ると、隅の席の暗がりから、小柄な男が立ち上がった。

 口の中が干上がったようで、各務はなかなか次の言葉を出すことができなかった。
「……山倉。いたのか」
「月穂に呼ばれて、仕方なくな。どんな話か想像がついたから、他のやつと顔を合わせたくなくて、奥にいたんだ。さっきあいつが入ってきたときは、すごい剣幕だったんで、出て行けなかった」
 いつもの山倉の調子だった。だがその表情は、先ほどの面接官のようにこり固まって、動かなかった。
「今までの話、聞こえてたよな。山倉。神束さんの言ったことは本当なのか?」
「ばかばかしい。そんな写真、他人の空似だよ。ぼくがどんな言葉遣いをしたかなんて、おまえだって正確には覚えてないだろ? なんの証拠にもならないよ」
 山倉は力強く断言したが、神束は落ち着いた口調で反論した。
「証拠ならいくらでも出てきますよ。この写真だけで足りなければ、本物の山倉さんの知り合いを探して、高校時代の写真をお借りしてもいい。それとも、向川先生をお呼びした方がいいでしょうか。先生には、既に私の考えをお伝えしてあるんです。事実でないとおっしゃるなら、今からでもここにお呼びしましょうか?」
「話にならない。こんなバカげたことにはつきあってられません。ぼくは失礼します。それじゃあ各務、またな」
 山倉は軽く手を挙げて、店から出て行った。
 そしてそれきり、各務の前に現れることはなかった。

 その後、一度だけ神束から電話があった。各務は、山倉が大学から姿を消し、いつの間にかアパートも引き払っていたことを伝えた。
「あいつ、これからどうするんでしょう」
「山倉博人のままではいられないでしょうね。次の入れ替わり先を探すにしても、もう限界であることは、本人もわかっているでしょう。藤瀬瑞也に戻るのかもしれません。でも、戻ったところで、何もないんですよね。彼は大学を出て以来、二十年近く何もしていません。自宅を処分したくらいですから、お金も残っていないんでしょう。家族も、友人も、仕事も財産もない。孤独な人になってしまうんです」
「でも、他にどうしようもないんですよね」
「はい。最後は、自分がやってきたことに戻っていくしかないんだと思います」
 各務は思った。やはり、山倉にかかっていたのは呪いだったのだ。今や呪いは破れた。そして破られた呪いは、術者の元へ戻っていったのである。



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 以上で「間話」、完結となります。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
 間話の第1章でも書きましたが、この話、私はわりと気に入っていたんです。が、第1話は最終選考まで行ったけど、この話は行けなかったんですよねえ……他の方から見たら(プロからみた評価は明らかですが、一般の人からみたら)、どうなんでしょうか。気が向いたかたがおられましたら、そのあたりについてでも、感想や評価をいただければありがたいです。


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