第六話 飲んだ後にえずく奴は放置されがちなこと
文字数 1,022文字
「おい、口を近づけるな。臭くてかなわん」
将夜が露骨に顔を顰 める。
酔い潰れた宗助に肩を貸しているのだが、宗助の顔は将夜の方を向いており、そのだらしなく開いた口から凄まじい異臭が吹き付けてくるのである。
(これでは当分、あの店にも行けんなあ)
いくら酒を飲ませる場所とは言え、いやしくも武士たる者が正体を失くすほど酔うなど恥ずべき醜態。町人たちの嘲りの混じった視線から逃れるように店を出てきたのだ。
それのみではない。
須臾 の間とは言え、おみよに対し斯様 なあさましき衝動を覚えてしまった己の方が、実はより深刻な問題を抱えていると言わざるを得ない。
夜道に、乱れた宗助の足音が耳障 りに響く。
木戸が閉まる四ツ時(午後十時)にはまだ早い筈なのに、辺りは夜更けのような静けさだ。
やはり、例の血腥 い事件が影響しているに違いない。
(奇態な月だ)
ふと、将夜は思った。
さっきまで雲間に隠れていたのだが、急に空が晴れて月が顔を出した。
満月。
その色がやけに赤い。
見ているだけで、故もなく胸が騒ぎ出しそうな不穏な色。
将夜は頭を振り、できるだけ空を見ないようにして歩を進める。
「宗助よ、気のせいだろうか」
黙って歩いていると、わけもなく月の光に引き寄せられそうな気がして、将夜はとにかく口を動かすことにした。
「む? 何を申しておる。気のせいでは、ないぞ。断じてない。おれは本気でひさ江殿に……ほ、惚れておる!」
「お前のようなやつは、このまま近くの掘割 にでも蹴落としてやった方が、世のため人のためだという考えが頭から離れないのだが、それも果たして気のせいだろうか」
「だから、気のせいではない、と申しておろうが。おれは本気でだな……ったく、わからんやつだ。――うげっ」
いきなり手を離された宗助がずるずると滑り落ち、地べたに両手を突くと、派手にえずき始める。
それを介抱 するでもなく――
将夜は、はっと後ろを振り返った。
聞こえた。確かに。
気のせいではない。
女の悲鳴。
附近ではない。それでも、はっきり聞こえた。
昼間は異様な気だるさに悩まされる将夜だが、日が沈み、闇がこの世を支配する時刻になると、五感が生き返ったように冴えてくるのだ。
「宗助、ここで待っていろ」
言い捨てると、返事も待たずに将夜は走り出していた。
疾駆。
風が耳元で唸りを上げている。
尋常ならざる迅 さだが、息一つ乱れない。
いや、逆に動けば動くほど身体中に力が漲ってくるのである。
将夜が露骨に顔を
酔い潰れた宗助に肩を貸しているのだが、宗助の顔は将夜の方を向いており、そのだらしなく開いた口から凄まじい異臭が吹き付けてくるのである。
(これでは当分、あの店にも行けんなあ)
いくら酒を飲ませる場所とは言え、いやしくも武士たる者が正体を失くすほど酔うなど恥ずべき醜態。町人たちの嘲りの混じった視線から逃れるように店を出てきたのだ。
それのみではない。
夜道に、乱れた宗助の足音が
木戸が閉まる四ツ時(午後十時)にはまだ早い筈なのに、辺りは夜更けのような静けさだ。
やはり、例の
(奇態な月だ)
ふと、将夜は思った。
さっきまで雲間に隠れていたのだが、急に空が晴れて月が顔を出した。
満月。
その色がやけに赤い。
見ているだけで、故もなく胸が騒ぎ出しそうな不穏な色。
将夜は頭を振り、できるだけ空を見ないようにして歩を進める。
「宗助よ、気のせいだろうか」
黙って歩いていると、わけもなく月の光に引き寄せられそうな気がして、将夜はとにかく口を動かすことにした。
「む? 何を申しておる。気のせいでは、ないぞ。断じてない。おれは本気でひさ江殿に……ほ、惚れておる!」
「お前のようなやつは、このまま近くの
「だから、気のせいではない、と申しておろうが。おれは本気でだな……ったく、わからんやつだ。――うげっ」
いきなり手を離された宗助がずるずると滑り落ち、地べたに両手を突くと、派手にえずき始める。
それを
将夜は、はっと後ろを振り返った。
聞こえた。確かに。
気のせいではない。
女の悲鳴。
附近ではない。それでも、はっきり聞こえた。
昼間は異様な気だるさに悩まされる将夜だが、日が沈み、闇がこの世を支配する時刻になると、五感が生き返ったように冴えてくるのだ。
「宗助、ここで待っていろ」
言い捨てると、返事も待たずに将夜は走り出していた。
疾駆。
風が耳元で唸りを上げている。
尋常ならざる
いや、逆に動けば動くほど身体中に力が漲ってくるのである。