えぴろおぐ
文字数 816文字
その時、店の戸が勢いよく開くと、若衆姿の女剣士がぬっと現われた。
「神崎将夜!」
相変わらず敵討ちかと誤解されるような調子で喚く。
「こんな処で油を売っているのか! 暇なら今すぐ道場へ来い! 性根を叩き直してやる!」
「お、おう、瑠璃。ひ、久しぶり――」
将夜の笑顔が引き攣る。
平次の視線が冷たく背中に突き刺さるのを感じる。〈こんな処〉という語に敏感に反応しているらしいが、失言をしたのは自分ではないのに、何故いつもこちらが睨まれるのか。
つくづく損な役回りだと嘆息せずにはいられない。
「いいから、はやく来い。神崎将夜!」
「いや、まだ飯を喰ってないし……」
「おみよ、お客さんのお帰りだ」
「へ、平次殿?」
「えぇ! まだ仔犬の名前も考えてないのに。帰りたいなら、将夜様だけお帰りください。あ、やっぱり宗助様も御一緒に。――ね、白之進 」
「おれまで追い出されるのか」
「というか、もう名前を付けておるではないか!」
○
騒がしい店の中へ、この時もう一人の娘が入ってこようとしている。
組頭から何か伝えられたらしく、お城から蒼い顔をして戻ってきた数馬が、いきなり将夜の義絶をなかったことにすると言い出したのだ。
理由はさっぱりわからないが、また同じ屋根の下で暮らせると思うと胸が弾む。
(はやく、はやくお伝えしなければ……)
長屋へ行ってみたが蛻 けの殻で、あちこち探し回った挙句、ようやくこの店を突き止めたのだった。
一刻もはやく見つけ出さなければ、また何処かへ行ってしまうようで気が気でなく、武家の娘の身として慎みに欠ける程急ぎに急いでやってきたのである。
目指す店の看板が見えた。洗いざらしの暖簾が初春の風に揺れている。
それが笑いながら手招きしているように、ひさ江の目には映った。
白く美しい手が、紺の暖簾を、はらりと払う。
「小兄様――」
そう、呼びかけた。
(了)
「神崎将夜!」
相変わらず敵討ちかと誤解されるような調子で喚く。
「こんな処で油を売っているのか! 暇なら今すぐ道場へ来い! 性根を叩き直してやる!」
「お、おう、瑠璃。ひ、久しぶり――」
将夜の笑顔が引き攣る。
平次の視線が冷たく背中に突き刺さるのを感じる。〈こんな処〉という語に敏感に反応しているらしいが、失言をしたのは自分ではないのに、何故いつもこちらが睨まれるのか。
つくづく損な役回りだと嘆息せずにはいられない。
「いいから、はやく来い。神崎将夜!」
「いや、まだ飯を喰ってないし……」
「おみよ、お客さんのお帰りだ」
「へ、平次殿?」
「えぇ! まだ仔犬の名前も考えてないのに。帰りたいなら、将夜様だけお帰りください。あ、やっぱり宗助様も御一緒に。――ね、
「おれまで追い出されるのか」
「というか、もう名前を付けておるではないか!」
○
騒がしい店の中へ、この時もう一人の娘が入ってこようとしている。
組頭から何か伝えられたらしく、お城から蒼い顔をして戻ってきた数馬が、いきなり将夜の義絶をなかったことにすると言い出したのだ。
理由はさっぱりわからないが、また同じ屋根の下で暮らせると思うと胸が弾む。
(はやく、はやくお伝えしなければ……)
長屋へ行ってみたが
一刻もはやく見つけ出さなければ、また何処かへ行ってしまうようで気が気でなく、武家の娘の身として慎みに欠ける程急ぎに急いでやってきたのである。
目指す店の看板が見えた。洗いざらしの暖簾が初春の風に揺れている。
それが笑いながら手招きしているように、ひさ江の目には映った。
白く美しい手が、紺の暖簾を、はらりと払う。
「小兄様――」
そう、呼びかけた。
(了)