第七十一話 氷のくノ一は再び〈袋〉の陣を敷くこと
文字数 1,381文字
ところが――
必殺の筈の〈袋〉の陣を敷きながら、血塗れになって倒れてゆくのは御庭番の方であった。
あり得べからざる出来事である。
いくら菊也が獣人と化したと言っても、相手は一人である。不意打ちで一人がやられたとしても、たちまち穴は塞がれ、組み直された陣には一分の隙もない。実際、〈袋〉は一度確かに菊也を呑み込んだのだ。
腕を喰いちぎられ、足を喰いちぎられてのたうつ仲間の姿を目にし、残った者たちの間には、さすがに動揺が走った。
最前源内が言い放った言葉が、今更のように耳元に蘇る。
血祭りの舞い。
正に、その舞う処 、悪魔に捧げる血の生贄が積み上げられてゆく。
忍び刀を構えたまま、残った御庭番たちはじりじりと後ずさる。
四つん這いになった菊也が低く唸りつつ、次の跳躍に備え、背を彎曲させた。
その時である。
ひと際 小柄で華奢な影が飛び出ると、高く跳躍した。空中で続けざまに蜻蛉を切ると、その手から流れる如く棒状手裏剣が放たれた。
意外にも、飛んだ先は菊也ではなかった。
同じく獣化したものの、戦闘には加わらずこの血の舞いを愉しそうにうち眺めていた源内である。
顔の前に飛来した手裏剣を、うるさい蠅でも追うように手で払ったが、実は手裏剣は一本ではなかった。一本目の手裏剣の尻に先端が触れるほど、ほんの僅かな差で二本目が続いていたのだった。
「――!」
二本目は源内が打ち払った手の下を掻い潜り、その顔を掠めるように空を走った。源内はとっさに首を捻って躱す。
「小癪な」
源内の目に初めて瞋 りが浮いた。
と、意外なことが起こった。
源内の後ろで、空気が激しく乱れたのである。
「もう一度、袋を!」
少女の澄んだ、鋭い声が上がった。
崩れかけていた御庭番の陣は、この一声で催眠を解かれたように生き返り、電光の迅 さで〈袋〉の口を閉めた。
「ぎゃあァああ!」
耳を覆うほどの悲鳴が上がった。
〈袋〉の口が再び広がると、何本もの忍び刀を身体に突き立てられ、針鼠のようになった菊也が、血溜まりの中に倒れ伏していた。
「む、むぅううう……よ、よくも……!」
獣化しているせいか、奇妙にくぐもって響く呻き声を上げながら、源内が鳥籠を抱きかかえていた。
鳥籠の中では、梟が手裏剣に両目の間を深々と貫かれて死んでいた。
手裏剣を放った華奢な影は、もちろん桔梗である。
一体どういう仕掛けなのか、あるいは一種の感応力の如きものなのか。梟の頭の動きと獣化した菊也の目の動きが完全に一致していることに桔梗は気づいたのである。
圧倒的な力で襲いかかってくる獣人の牙と爪の前に、さすがの御庭番たちも浮き足出つ中、桔梗一人が周囲の状況を、冷静且つ的確に捉えていたのである。
獣人は、梟の目を通してこちらの陣の動きを把握しているのだと桔梗は判断した。そこで先ず梟を倒し、獣の心眼を奪ったのだ。
「その眸には見覚えがあるぞ! かつてこの屋敷に忍び込み、鼠の如く逃げおおせたくノ一じゃな。ちょこまかと走り回る下賤の者よ、お前の罪は極めて重い。ただ命を取るだけでは足らぬ、もっとも残酷で苦痛に満ちた死をお前に与えてやろうぞ!」
御庭番は、言葉を発しない。
桔梗を中心に、彼らが再度陣を展開し、〈袋〉の口を正に源内に向けようとした刹那。
き、きききききィ――
金属の軋むような、耳障りな摩擦音が再び響き渡ったのである。
必殺の筈の〈袋〉の陣を敷きながら、血塗れになって倒れてゆくのは御庭番の方であった。
あり得べからざる出来事である。
いくら菊也が獣人と化したと言っても、相手は一人である。不意打ちで一人がやられたとしても、たちまち穴は塞がれ、組み直された陣には一分の隙もない。実際、〈袋〉は一度確かに菊也を呑み込んだのだ。
腕を喰いちぎられ、足を喰いちぎられてのたうつ仲間の姿を目にし、残った者たちの間には、さすがに動揺が走った。
最前源内が言い放った言葉が、今更のように耳元に蘇る。
血祭りの舞い。
正に、その舞う
忍び刀を構えたまま、残った御庭番たちはじりじりと後ずさる。
四つん這いになった菊也が低く唸りつつ、次の跳躍に備え、背を彎曲させた。
その時である。
ひと
意外にも、飛んだ先は菊也ではなかった。
同じく獣化したものの、戦闘には加わらずこの血の舞いを愉しそうにうち眺めていた源内である。
顔の前に飛来した手裏剣を、うるさい蠅でも追うように手で払ったが、実は手裏剣は一本ではなかった。一本目の手裏剣の尻に先端が触れるほど、ほんの僅かな差で二本目が続いていたのだった。
「――!」
二本目は源内が打ち払った手の下を掻い潜り、その顔を掠めるように空を走った。源内はとっさに首を捻って躱す。
「小癪な」
源内の目に初めて
と、意外なことが起こった。
源内の後ろで、空気が激しく乱れたのである。
「もう一度、袋を!」
少女の澄んだ、鋭い声が上がった。
崩れかけていた御庭番の陣は、この一声で催眠を解かれたように生き返り、電光の
「ぎゃあァああ!」
耳を覆うほどの悲鳴が上がった。
〈袋〉の口が再び広がると、何本もの忍び刀を身体に突き立てられ、針鼠のようになった菊也が、血溜まりの中に倒れ伏していた。
「む、むぅううう……よ、よくも……!」
獣化しているせいか、奇妙にくぐもって響く呻き声を上げながら、源内が鳥籠を抱きかかえていた。
鳥籠の中では、梟が手裏剣に両目の間を深々と貫かれて死んでいた。
手裏剣を放った華奢な影は、もちろん桔梗である。
一体どういう仕掛けなのか、あるいは一種の感応力の如きものなのか。梟の頭の動きと獣化した菊也の目の動きが完全に一致していることに桔梗は気づいたのである。
圧倒的な力で襲いかかってくる獣人の牙と爪の前に、さすがの御庭番たちも浮き足出つ中、桔梗一人が周囲の状況を、冷静且つ的確に捉えていたのである。
獣人は、梟の目を通してこちらの陣の動きを把握しているのだと桔梗は判断した。そこで先ず梟を倒し、獣の心眼を奪ったのだ。
「その眸には見覚えがあるぞ! かつてこの屋敷に忍び込み、鼠の如く逃げおおせたくノ一じゃな。ちょこまかと走り回る下賤の者よ、お前の罪は極めて重い。ただ命を取るだけでは足らぬ、もっとも残酷で苦痛に満ちた死をお前に与えてやろうぞ!」
御庭番は、言葉を発しない。
桔梗を中心に、彼らが再度陣を展開し、〈袋〉の口を正に源内に向けようとした刹那。
き、きききききィ――
金属の軋むような、耳障りな摩擦音が再び響き渡ったのである。