第五十話 そして、女たちは溜息を吐くこと

文字数 1,441文字

 何時(いつ)までも顔を上げない将夜に、今度は志乃が慌てた。 
「お、お止め下さい。わたくし如きものに、立派な御武家様が頭をお下げになるなど……」
 漸く顔を上げた将夜は、
「一度きちんと挨拶しておきたかったのだ。これで気が済んだ。志乃殿が厭がるならもうせぬ故安心してくれ」
 そう言って、屈託なく笑う。
 志乃は思わず、ぷっと吹き出した。
「神崎様は、素直な御気性でございますね」
「素直?」
「素直でまっすぐな、()いお方でございます」
「それは単純で、莫迦だという意味ではないのか」
「まあ」
「瑠璃にはよくそう罵られたものだが」
「瑠璃様……この間、お会いした方ですわね。あの、とても凛々しい――」
「いや、あれは少々凛々し過ぎ申す。暴れ駒と言えば何やら洒落て聞こえるが、要はじゃじゃ馬でござる」
「じゃじゃ馬だなどと、お戯れにしてもひどい申されようでございます。とても可愛らしい方」
「確かに黙って座っておれば、目鼻立ちは悪くないのかもしれぬが、あの気性の荒さは尋常一様のものではござらん。以前からそれがしを目の(かたき)にし、何かと言えば目くじら立てて突っかかってきたものだが、まさか長屋にまで押しかけて参って悪口(あっこう)雑言(ぞうごん)を浴びせてくるとは――。いやはや、蛇蝎(だかつ)の如く忌み嫌うとは正にあのじゃじゃ馬の、それがしに対する態度の如きを申すのでしょうな」
 瑠璃の悪口となると、途端に生き生きと舌が回り始める将夜であった。
「あ、あの、神崎様……?」
 更に続けようとする将夜に、志乃が遠慮がちに口を挟んできた。
「瑠璃様が神崎様を好いておられるのを、まさか、本当に御存知ないのですか」
「――は?」
 まるで(たち)の悪い冗談を真顔で言われ、どう反応してよいかわからぬといった将夜の顔に、志乃の方がかえって取り乱し、
「お、お許し下さりませ。わたくしとしたことが、出すぎたことを申しました」
「いや、志乃殿があやまることではないのだが、瑠璃がそれがしを好いているなどと、見当違いも甚だしゅうござるぞ」
「それは、本気で言っておられるのですか」
「まあ、男の子は好いた女子(おなご)をわざと(いじ)めたりすることもございますが、相応の年になれば、そんな莫迦なことは致さぬ。瑠璃は男勝りとは言え、そこはやはり女。女というのは幼い頃から、男の如く意味のわからぬ、莫迦げたことはしないものです。そうでしょう?」
「いえ、そういうことではなく――」
「瑠璃がそれがしを好いておるですと? いやはや、臍が茶を沸かすとはこのことです。さすがの志乃殿も、男女の機微までは御存知ないと見えますな」
「………………」
 はっはっは、と何故か得意げに笑う将夜を、志乃は信じがたい生き物でも眺めるようにじっと見つめていたが、とうとう()えかねたらしく、か細い呟きがその唇から零れ落ちた。
「神崎様は、素直でまっすぐな良いお方でございますが、聊か――なところが玉に疵です」
「志乃殿。今何と申された? よく聞こえなかったのだが」
「いいえ。何でもございませぬ」
 そっと吐息を()いた志乃の表情に、将夜はおやと目を見開いた。
 ひさ江が、兄である将夜を弟――それもできの悪い弟のように見つめてくる時の表情に何処か似ていたからだ。
 そう言えば、瑠璃にもかつて似たような溜め息を吐かれていたような気もする。
 何故女たちは揃いも揃って自分に対し、同じような表情を浮かべて溜息を吐くのか。
 その理由が、将夜にはとんとわからぬ。

 ――と、
「おお、ここにいたのか!」
 向こうの小道から斎木の姿が現われ、足早にこちらに近づいてきた。
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登場人物紹介

妹・ひさ江(作中では武家の娘だが、もし現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:すごく心配です。

美少女剣士・瑠璃(町道場の女剣客だが、もし現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:生意気だ、神崎将夜のくせに。

女医者・志乃(町医者の娘だが、もし現代人だったこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:命の恩人として感謝してもしきれません。

くノ一・桔梗(公儀隠密であるお庭番の忍者だが、現代人だったこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:…………。

おみよ(居酒屋で働く娘だが、現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:すてきなお武家様です。宗助様のお友達でなければもっといいのですけれど……


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