第十七話 心ならずも将夜は〈姫君抱き〉をすること

文字数 1,242文字

「すみません、神崎様。重いでしょう?」
「いえいえ。瑠璃が荒れたのは、それがしを嫌っているせいです。理由は定かではありませんが、要はこちらの不徳の致すところ。瑠璃の分もお詫び申します」
 瑠璃を寝室まで運ぶ途中である。
「足元にお気をつけ下さい。ところどころ根太(ねだ)(いた)んでおりますので」
 手燭(てしょく)を持って半歩前にいる由利が、笑いを(こら)えるような声で言った。
 直之も由利も、自分が瑠璃に嫌われている事実を述べると決まって笑うのだが、将夜にしてみれば、まったく腑に落ちない。
 最初は肩を貸すだけのつもりだったのだが、瑠璃はすっかり酔い潰れており、とても歩ける状態ではない。そこで将夜はやむなく瑠璃を仰向けにし、右手を肩の下、左手を膝の下に入れる形で抱き上げたわけだ。
 不本意ながら、高貴な姫君を(うやうや)しくお運び申し上げている格好である。
「眠ってしまうと幼子(おさなご)でも石になるとか。重うござりますか」
「いえ、重くはありません」
(重くはないのだが、これは参ったな……)
 夜の将夜は力に満ちている。瑠璃の重さなどせいぜい藁束(わらたば)を運んでいる程度にしか感じないが、無防備な瑠璃の項がすぐ目の前にあるのは困る。
 道場での立会いの最中に、瑠璃からも例の芳香をかぎ、その血を吸いたいという衝動に捉われてしまった。
(やまい)とは言え、なんという見境(みさかい)のなさだ)
 忸怩(じくじ)たらざるを得ない。
 だが、いくら己を戒めようと、その衝動があまりに激しく、また唐突で、どうにも扱いかねるのだ。
 瑠璃は常に男装で、胸にも晒しを巻いているらしく、その姿形(すがたかたち)、立ち居振る舞いは凛々しい少年としか見えない。しかし、こうして間近に見れば、胸にはやはりかすかな膨らみが息づいているし、着物を通してとは言え、しなやかな弾力に満ちた身体の温もりも(てのひら)や腕に伝わってくる。
 前を歩いている由利に対しては、なぜかその衝動を覚えないのが、せめてもの救いであった。
 こちらでございます、と由利が立ち止まる。将夜はほっと息を吐いた。
 行灯に明かりを入れ、手早く蒲団を敷いてくれた由利に礼を言い、そっと瑠璃の身体を横たえる。
「後はわたくしが見ていますからご心配なく。目が覚めた後は、水が欲しいでしょうから、その用意もしておきます」
 よくできたお内儀だと感心しながら、将夜は黙って頭を下げる。
「夫が向こうで待ちかねておりましょう。今宵は神崎様と飲み明かすのだと申しておりました。そなたさまにとっては御迷惑やもしれませぬが」
「いえ。過分なお持て成しをいただき恐縮です」
 厚かましく居座るのは本意ではないが、今夜だけはこの家に厄介(やっかい)になるより仕方なかった。
 もう一度礼を述べて立ち上がろうとした時である。後ろから軽く引っ張られる感じがした。
 振り返ると、瑠璃の手が将夜の袖を握っている。目は閉じたままだ。
寝惚(ねぼ)けているのか」
 苦笑しながら将夜が瑠璃の上に屈みこみ、指を外そうとした時、
「父上は……お前に伝えたのか。秘剣胡蝶斬りを……」
 由利の耳には届かぬ微かな声が、将夜の耳朶をひそやかに打った。
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登場人物紹介

妹・ひさ江(作中では武家の娘だが、もし現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:すごく心配です。

美少女剣士・瑠璃(町道場の女剣客だが、もし現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:生意気だ、神崎将夜のくせに。

女医者・志乃(町医者の娘だが、もし現代人だったこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:命の恩人として感謝してもしきれません。

くノ一・桔梗(公儀隠密であるお庭番の忍者だが、現代人だったこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:…………。

おみよ(居酒屋で働く娘だが、現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:すてきなお武家様です。宗助様のお友達でなければもっといいのですけれど……


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