第二十話 霧の川の畔に佇んで将夜は想うこと
文字数 1,871文字
道場には通わなくなったが、将夜は密かに胡蝶斬りの会得 に没頭した。
草木さえ寝静まるという深更。
一人、剣を振るった。振るい続けた。
その昔、剣豪佐々木小次郎は、燕返しという秘剣を編み出したと言われる。
飛んでいる燕を斬ったという説もあるが、それは誤りであろう。燕返しとは文字通り、一度振った剣の切っ先を、空を鋭角に切って身を翻す燕の如く、瞬時に別な方向へと〈返す〉技なのである。
現代でも、スポーツ選手が自らの骨折に気づかずにプレーを続けていたという話がある。極度の昂奮状態にあると、当然感じるべき痛みが麻痺してしまうが故である。まして真剣での立会いともなれば、その神経の昂 ぶりは、ルールによって安全の保障されたスポーツとは全く比較にならない。実際、一太刀 浴びたくらいで相手はあっさり斃 れてはくれないのである。よって、いかに間髪を入れず二の太刀、三の太刀を繰り出し得るかが鍵になるのだ。
迅速且つ確実に敵を斃すことが目的ならば、刀は長い程よい。相手に届き易く、与える傷も深くなるからだ。
実戦重視の時代の剣客である佐々木小次郎が、〈物干し竿〉と呼ばれる長刀を用いたのは、発想としてごく自然である。
刀の長さと重さは比例する。もし重い長刀を十分に扱えなければ、懐に潜り込まれて元も子もなくなる。長く重い刀をいかに迅速に操るかというのが燕返しの要諦なのである。
しかし、胡蝶斬りは違う。
燕返しの如く圧倒的な力と直線的な速度を極限まで追求する技とは根本において異なっている。それを将夜は、師がただ一度見せてくれた型で理解していた。
実際にこの目で見なければ、胡蝶の羽を断つなど、到底信じられなかったろう。
羽の構造上、蝶の飛行は不安定で、僅かな風にも簡単に軌道を乱されてしまう。
それをあえて斬ろうとすれば、どうなるか。
剣風 に煽 られて蝶自体が跳ね飛ばされてしまうか、運よく刃が当たったとしても、その脆弱な身体が潰れ、刀身に貼り付くのが関の山だ。
ところが、重蔵は振る刀と返す刀で、瞬時に左右の羽を斬り落としたのである。
殆ど人間業 ではない。
求められるのは、神速のみに非 ず。刀身の動きが、蝶の飛行軌道を乱さぬ程軽やか且つ臨機応変でなければならぬ。居合抜きの時に刀が描く軌道は、実は刀身が鞘走った瞬間に定まっている。しかし、胡蝶斬りはなんと空中で自在に軌道を変えるのだ。もっともそうでなければ、気まぐれな蝶の飛行軌道など捉えられる筈がない。
神速にして、変幻自在な軽 みの剣。それが、秘剣胡蝶斬りであった。
一度見ただけの記憶を頼りに秘剣を会得するなど、常ならあり得ぬ話であろう。
しかし、夜に冴え返る五感と、体内に滾々と湧いてくる力が、その奇蹟を可能たらしめたのだった。
無論、師の境地には遥かに及ばぬものの、将夜は曲りなりにも胡蝶斬りを遣 えるようになっていたのである。
将夜は士道館道場の門の前に立ち尽くし、獣人との闘いを思い出している。あの怪物の、びっしりと剛毛に覆われた身体には、鋼 を縒 り合わせたような筋肉が生身の鎧を形作っていた。
加えて、疾風の如き敏捷さ。あれ程の勢いに対しては、正面からまともに刀を叩き付けてもその衝撃に撥 ね返されていたか、下手すれば刀を折られていたに違いない。
相手の勢いに全く逆らわぬ軽い剣の
(まるで師は、このような日が来ることを予見しておられたようだ。それに――)
将夜に士道館を紹介したのは、他ならぬ父・与之助なのである。
登城の折、腰に差した刀がいかにも重そうに見える典型的な文官であった父が、何故重蔵を知っていたのか。
表祐筆の旗本と町道場の剣客。およそ交わる筈のない二つの人生ではないか。
己の病も含め、まるで全てが見えない糸で繋がっているかのように――
もしそうなら、この糸は最終的に自分を何処へ導いていこうとしているのか。
その問いの答えを知っていたやもしれぬ二人が他界した今となっては、謎はただ闇の中に冷ややかに凍りついているばかりだ。
その闇をいかに瑠璃に伝えればよいのか、当の将夜にもわからない。
霧が、足元を洗うように動いている。
恰 も乳白色の川瀬に立ち尽くしているかの如く――
「不寝 の番とは御苦労なことだ。冷たい夜露 は身体に毒だと言うぞ」
いきなり背中越しに、将夜が言葉を抛 った。
それに応 える声はなく、動く影もない。
将夜は軽く目を閉じ、呼吸五つほどの間動かずにいたが、やがて脇に挟んでいた編笠を被ると、そのまま静かに歩み去った。
草木さえ寝静まるという深更。
一人、剣を振るった。振るい続けた。
その昔、剣豪佐々木小次郎は、燕返しという秘剣を編み出したと言われる。
飛んでいる燕を斬ったという説もあるが、それは誤りであろう。燕返しとは文字通り、一度振った剣の切っ先を、空を鋭角に切って身を翻す燕の如く、瞬時に別な方向へと〈返す〉技なのである。
現代でも、スポーツ選手が自らの骨折に気づかずにプレーを続けていたという話がある。極度の昂奮状態にあると、当然感じるべき痛みが麻痺してしまうが故である。まして真剣での立会いともなれば、その神経の
迅速且つ確実に敵を斃すことが目的ならば、刀は長い程よい。相手に届き易く、与える傷も深くなるからだ。
実戦重視の時代の剣客である佐々木小次郎が、〈物干し竿〉と呼ばれる長刀を用いたのは、発想としてごく自然である。
刀の長さと重さは比例する。もし重い長刀を十分に扱えなければ、懐に潜り込まれて元も子もなくなる。長く重い刀をいかに迅速に操るかというのが燕返しの要諦なのである。
しかし、胡蝶斬りは違う。
燕返しの如く圧倒的な力と直線的な速度を極限まで追求する技とは根本において異なっている。それを将夜は、師がただ一度見せてくれた型で理解していた。
実際にこの目で見なければ、胡蝶の羽を断つなど、到底信じられなかったろう。
羽の構造上、蝶の飛行は不安定で、僅かな風にも簡単に軌道を乱されてしまう。
それをあえて斬ろうとすれば、どうなるか。
ところが、重蔵は振る刀と返す刀で、瞬時に左右の羽を斬り落としたのである。
殆ど人間
求められるのは、神速のみに
神速にして、変幻自在な
一度見ただけの記憶を頼りに秘剣を会得するなど、常ならあり得ぬ話であろう。
しかし、夜に冴え返る五感と、体内に滾々と湧いてくる力が、その奇蹟を可能たらしめたのだった。
無論、師の境地には遥かに及ばぬものの、将夜は曲りなりにも胡蝶斬りを
将夜は士道館道場の門の前に立ち尽くし、獣人との闘いを思い出している。あの怪物の、びっしりと剛毛に覆われた身体には、
加えて、疾風の如き敏捷さ。あれ程の勢いに対しては、正面からまともに刀を叩き付けてもその衝撃に
相手の勢いに全く逆らわぬ軽い剣の
羽ばたき
が、かえって深々と獣人の肉を切り裂き得たのだ。(まるで師は、このような日が来ることを予見しておられたようだ。それに――)
将夜に士道館を紹介したのは、他ならぬ父・与之助なのである。
登城の折、腰に差した刀がいかにも重そうに見える典型的な文官であった父が、何故重蔵を知っていたのか。
表祐筆の旗本と町道場の剣客。およそ交わる筈のない二つの人生ではないか。
己の病も含め、まるで全てが見えない糸で繋がっているかのように――
もしそうなら、この糸は最終的に自分を何処へ導いていこうとしているのか。
その問いの答えを知っていたやもしれぬ二人が他界した今となっては、謎はただ闇の中に冷ややかに凍りついているばかりだ。
その闇をいかに瑠璃に伝えればよいのか、当の将夜にもわからない。
霧が、足元を洗うように動いている。
「
いきなり背中越しに、将夜が言葉を
それに
将夜は軽く目を閉じ、呼吸五つほどの間動かずにいたが、やがて脇に挟んでいた編笠を被ると、そのまま静かに歩み去った。