第六十九話 御庭番は音もなく侵入し、声もなく死ぬこと
文字数 1,529文字
御庭番たちは既に全員、屋敷内に侵入を果たしている。
もちろん、一箇所からではない。数人の組に分かれ、ある組は雨戸を外し、ある組は屋根瓦を剥がし、ある者は天窓を壊して、同時に潜入する。
こうすれば、屋敷の中の戦力を分散させられるだけでなく、侵入者の数を実際より多く見せることも可能だ。
ただ、それはあくまで敵が人だった場合に拠る。
形勢は、かなり悪い。
屋敷を守っているのは、人ではなかった。
物言わぬ、感情を持たぬカラクリたち。
雨戸を外して入った途端、畳の下から槍が突き出される。
天窓を壊して跳び下りれば、着地した処の板が外れ、刀が逆さに植えられた穴に落下する。
廊下を進むと、いきなり左右の壁から無数の矢が飛んでくる。
桔梗がかつて侵入した時も仕掛けが施されていたが、今はその比でない。
屋敷がまるごと要塞化しているといっても過言ではあるまい。
人が潜んでいるなら、気配があり、殺気がある。それを察知して逸早 く防御を取ることもできる。しかし、カラクリは何の前触れもなく発動する。あっと思った時には既に刃に割かれ、槍に突かれ、矢に射抜かれている。
鍛え抜かれた御庭番が、一人、また一人と斃されてゆく。
忍びは殺されても、決して声を立てない。
また、味方が血を噴いて倒れても、その血を浴びながら、屍を踏み越え踏み越え先へ進んでゆく。
――使命を果たすことこそ至上。
仲間の死を悼 むのは、全てが終わった後の話だ。
ただひたすら、源内がいる筈の奥座敷を目指す。
静かな、そして凄惨極まりない地獄絵図が展開しつつあった。
〇
「よくここまで辿りついたものだ。褒めてやろう」
源内が、皮肉な笑いを頬に刻んで言った。
まるで何処からか湧き出した影のように、いつの間にか奥座敷に忍び装束が並び立っている。
「ひィ……!」
その影の隙間から、もぞもぞ這い出してきたものがある。
斎木だ。腰でも抜けたのか、どこか多足の虫を思わせるぎこちない動きで壁際までゆき、そこに貼り付いて、目玉だけぎょろつかせる。
忍び刀を構えた影たちは巧みに陣を敷く。ただ、その数はやっと十人余り。
ここまで辿り着いた者は、御庭番精鋭部隊の約三分の一だったことになる。
恐るべき〈死のカラクリ〉であった。
「さてもさても無粋なやつらよの。月を愛でる心もなきか」
源内が壁の一部に触れると、そこがぱっくりと口を開けた。
源内の手がその穴の奥を探り、紐のようなものを引く。
からからと柱の中で何かの回る音が響いたと思うと、なんと天井が左右に開き始めたのである。
「……!」
御庭番たちも思わず天井を見上げる。
そこに現れたのは、中天に懸かる満月であった。
振り仰ぐ源内の顔が皓皓たる月光を浴びたと見るや、ざわざわと剛毛が伸びて忽ち顔面を覆い尽くす。
同時に、背も伸びた。
鴨居に触れるほどに。
高さだけではない。横幅も二倍ほどになり、服の切り裂ける音とともに、筋肉が巌の如き瘤となって盛り上がる。
(これが……獣化!)
話に聞いて理解してはいても、やはり目の当たりにした衝撃には及ばない。殺されても声を立てない御庭番たちの間に、明らかに緊張と動揺が広がる。
そんな彼らを嘲笑うように、源内は丸太の如き腕で菊也を抱え上げると、何を思ったかいきなりその白粉塗れの項に噛みついたのである。
「あぁッ」
悲鳴というより快感の絶頂を迎えた時に似た、あられもない淫らな声を上げたかと思うと、菊也はがくりと首を折った。
さすがの御庭番たちも、驚愕の色を隠せない。
源内が菊也を噛み殺したとしか見えなかったからだ。
しかし、それが誤解だということを、彼らは間もなく知ることになる。
き、きき、
軋むような音が響き渡った。
もちろん、一箇所からではない。数人の組に分かれ、ある組は雨戸を外し、ある組は屋根瓦を剥がし、ある者は天窓を壊して、同時に潜入する。
こうすれば、屋敷の中の戦力を分散させられるだけでなく、侵入者の数を実際より多く見せることも可能だ。
ただ、それはあくまで敵が人だった場合に拠る。
形勢は、かなり悪い。
屋敷を守っているのは、人ではなかった。
物言わぬ、感情を持たぬカラクリたち。
雨戸を外して入った途端、畳の下から槍が突き出される。
天窓を壊して跳び下りれば、着地した処の板が外れ、刀が逆さに植えられた穴に落下する。
廊下を進むと、いきなり左右の壁から無数の矢が飛んでくる。
桔梗がかつて侵入した時も仕掛けが施されていたが、今はその比でない。
屋敷がまるごと要塞化しているといっても過言ではあるまい。
人が潜んでいるなら、気配があり、殺気がある。それを察知して
鍛え抜かれた御庭番が、一人、また一人と斃されてゆく。
忍びは殺されても、決して声を立てない。
また、味方が血を噴いて倒れても、その血を浴びながら、屍を踏み越え踏み越え先へ進んでゆく。
――使命を果たすことこそ至上。
仲間の死を
ただひたすら、源内がいる筈の奥座敷を目指す。
静かな、そして凄惨極まりない地獄絵図が展開しつつあった。
〇
「よくここまで辿りついたものだ。褒めてやろう」
源内が、皮肉な笑いを頬に刻んで言った。
まるで何処からか湧き出した影のように、いつの間にか奥座敷に忍び装束が並び立っている。
「ひィ……!」
その影の隙間から、もぞもぞ這い出してきたものがある。
斎木だ。腰でも抜けたのか、どこか多足の虫を思わせるぎこちない動きで壁際までゆき、そこに貼り付いて、目玉だけぎょろつかせる。
忍び刀を構えた影たちは巧みに陣を敷く。ただ、その数はやっと十人余り。
ここまで辿り着いた者は、御庭番精鋭部隊の約三分の一だったことになる。
恐るべき〈死のカラクリ〉であった。
「さてもさても無粋なやつらよの。月を愛でる心もなきか」
源内が壁の一部に触れると、そこがぱっくりと口を開けた。
源内の手がその穴の奥を探り、紐のようなものを引く。
からからと柱の中で何かの回る音が響いたと思うと、なんと天井が左右に開き始めたのである。
「……!」
御庭番たちも思わず天井を見上げる。
そこに現れたのは、中天に懸かる満月であった。
振り仰ぐ源内の顔が皓皓たる月光を浴びたと見るや、ざわざわと剛毛が伸びて忽ち顔面を覆い尽くす。
同時に、背も伸びた。
鴨居に触れるほどに。
高さだけではない。横幅も二倍ほどになり、服の切り裂ける音とともに、筋肉が巌の如き瘤となって盛り上がる。
(これが……獣化!)
話に聞いて理解してはいても、やはり目の当たりにした衝撃には及ばない。殺されても声を立てない御庭番たちの間に、明らかに緊張と動揺が広がる。
そんな彼らを嘲笑うように、源内は丸太の如き腕で菊也を抱え上げると、何を思ったかいきなりその白粉塗れの項に噛みついたのである。
「あぁッ」
悲鳴というより快感の絶頂を迎えた時に似た、あられもない淫らな声を上げたかと思うと、菊也はがくりと首を折った。
さすがの御庭番たちも、驚愕の色を隠せない。
源内が菊也を噛み殺したとしか見えなかったからだ。
しかし、それが誤解だということを、彼らは間もなく知ることになる。
き、きき、
軋むような音が響き渡った。