第七十八話 政には落とし処が必要なこと
文字数 1,520文字
「あの影こそ、わたしの真の父だったのではありますまいか」
「あなたの父親は、神崎与一郎殿です。あの方は、わたしとそなたの命の恩人なのですよ」
弥生はそれだけ言って、あとは何も語らなかった。
将夜は暫く黙考した後、
「わかりました。母上の仰せの通り、わたしの父は神崎与一郎です」
静かに頷いて、以来、父に関する話を母とはしていない。
幕府は弥生の幽閉を解き、小石川養生所で療養することを許可し、見舞金と称して二十両という金子 を下賜しようとした。たかが二十両如きで母が受けた仕打ちの埋め合わせにするつもりかと将夜は一時激昂したものだが、
「お上にしてみれば、これでも精一杯の譲歩なのです」
桔梗に諄々 と説得され、渋々ながら矛を収めることにした。
ただ、二十両は叩き返してやった。
不思議なことに、かくもしみったれていながら、突き返されれば突き返されたで面目が潰れると考えるのか、その二十両は最終的に、小石川養生所へ下げ渡されることで一応の決着を見たのである。
政 というのは全く妙なものだと、仕舞いには将夜も呆れて怒る気も失せた。
(しかし、全てが無駄だったわけではない)
此度 の一件を通して、将夜は己の視野が広がったのを感じている。
以前は南蛮人や紅毛人というのは草双紙の中の人物程度の認識しかなかったのだが、己の中にもその血が混じっていると思えば、この島の窮屈なしがらみの中に捉われて生きているのが、何やら莫迦莫迦しく思われてくるのだった。
それに、今までは何も考えず〈南蛮〉などと呼んでいたが、彼らの方がむしろ進んだ文明を有していることもわかった。志乃にその方面の学識がなければ、将夜は自らの体質を御する術など見出すべくもなかったに違いない。
(おれは、いつか徳川家が支配するこの島から出てゆくかもしれぬ)
ふと、そんなことを思う将夜であった。
桔梗は、将夜たちの一件が片付くのを見届けると、西国のさる大名家に潜入するという言付 けだけ残して姿を消した。どこまで本当なのかは不明である。わからないと言えば、常に氷の如く冷静なあのくノ一が、一度だけ見せた溢れるような感情の流露の理由もまた、謎のままだ。
あれは将夜の中に眠る〈だんぴいる〉の血を目覚めさせ、その闘志に火を点けるための演技に過ぎなかったのか。それとも――
そこにはやはり幾許 かの真実が籠められていたのだろうか。
結果的に吸ったのは瑠璃の血だったが、桔梗の血を吸うという可能性も全くなかったとは言えない気もする。
将夜の前に立ちふさがって一歩も引かず、刃の下で慫慂 として静かに眸を閉じてみせた少女の気高いほど美しい顔立ちを、将夜は未だ忘れ切れずにいるのだ。
平賀源内に関しては、十一月二十一日に、〈大工二名を殺傷した〉という奇妙な理由で町奉行所の手によって捕縛されたことになっている。屋敷が一つ崩壊するほどの騒ぎを起こしておいてそんな作り話が通用するとは思えず、笹尾あたりにうるさく嗅ぎ回られるのでは、と密かに案じていた将夜だったが、とうとう誰も現れなかった。
巷においても、やや拍子抜けする程、疑惑の声は何処からも聞こえてこなかった。月が変わって十二月十八日、源内の獄死が伝えられた。原因は破傷風と公表された。
その頃にはかつて平賀源内という、江戸中の耳目を集めた奇才がいたことさえ、半ばは忘れられているような有様であった。
世間と言うのは、所詮その程度のものなのやもしれぬ。
杉田玄白ら、最後まで源内の正体を知らなかった少数の知人の手で葬儀が営まれたが、幕府がついに源内の遺体の下げ渡しを許さなかったため、生前の知名度からは考えられぬ程うらさびしい、形だけの葬儀だったと伝えられている。
「あなたの父親は、神崎与一郎殿です。あの方は、わたしとそなたの命の恩人なのですよ」
弥生はそれだけ言って、あとは何も語らなかった。
将夜は暫く黙考した後、
「わかりました。母上の仰せの通り、わたしの父は神崎与一郎です」
静かに頷いて、以来、父に関する話を母とはしていない。
幕府は弥生の幽閉を解き、小石川養生所で療養することを許可し、見舞金と称して二十両という
「お上にしてみれば、これでも精一杯の譲歩なのです」
桔梗に
ただ、二十両は叩き返してやった。
不思議なことに、かくもしみったれていながら、突き返されれば突き返されたで面目が潰れると考えるのか、その二十両は最終的に、小石川養生所へ下げ渡されることで一応の決着を見たのである。
(しかし、全てが無駄だったわけではない)
以前は南蛮人や紅毛人というのは草双紙の中の人物程度の認識しかなかったのだが、己の中にもその血が混じっていると思えば、この島の窮屈なしがらみの中に捉われて生きているのが、何やら莫迦莫迦しく思われてくるのだった。
それに、今までは何も考えず〈南蛮〉などと呼んでいたが、彼らの方がむしろ進んだ文明を有していることもわかった。志乃にその方面の学識がなければ、将夜は自らの体質を御する術など見出すべくもなかったに違いない。
(おれは、いつか徳川家が支配するこの島から出てゆくかもしれぬ)
ふと、そんなことを思う将夜であった。
桔梗は、将夜たちの一件が片付くのを見届けると、西国のさる大名家に潜入するという
あれは将夜の中に眠る〈だんぴいる〉の血を目覚めさせ、その闘志に火を点けるための演技に過ぎなかったのか。それとも――
そこにはやはり
結果的に吸ったのは瑠璃の血だったが、桔梗の血を吸うという可能性も全くなかったとは言えない気もする。
将夜の前に立ちふさがって一歩も引かず、刃の下で
平賀源内に関しては、十一月二十一日に、〈大工二名を殺傷した〉という奇妙な理由で町奉行所の手によって捕縛されたことになっている。屋敷が一つ崩壊するほどの騒ぎを起こしておいてそんな作り話が通用するとは思えず、笹尾あたりにうるさく嗅ぎ回られるのでは、と密かに案じていた将夜だったが、とうとう誰も現れなかった。
巷においても、やや拍子抜けする程、疑惑の声は何処からも聞こえてこなかった。月が変わって十二月十八日、源内の獄死が伝えられた。原因は破傷風と公表された。
その頃にはかつて平賀源内という、江戸中の耳目を集めた奇才がいたことさえ、半ばは忘れられているような有様であった。
世間と言うのは、所詮その程度のものなのやもしれぬ。
杉田玄白ら、最後まで源内の正体を知らなかった少数の知人の手で葬儀が営まれたが、幕府がついに源内の遺体の下げ渡しを許さなかったため、生前の知名度からは考えられぬ程うらさびしい、形だけの葬儀だったと伝えられている。