第三話 妄りに他人の妹に懸想する男は死罪に処すこと
文字数 1,585文字
「田楽 の串焼き、お待たせいたしましたぁ!」
愛嬌たっぷりの笑顔で、娘が飯台 に皿を置く。
田楽とは短冊状の木綿豆腐を串に刺して炭火で炙り、柚子 や胡麻 などと混ぜ合わせた味噌を塗っただけの気取らない庶民の味だ。
普通はちょっと小腹が空いた時に近くの屋台で一串購う程度のものだが、ここの田楽は味噌の味付けに独特な工夫があるらしく、この店の看板料理になっている――と言えば聞こえはいいが、要するに場末の、気取らない品を手頃な値で出す店なのであり、客も日雇い仕事をしている町人が殆どだった。
「お酒のお代わりは?」
おみよが首を傾げるようにして、将夜の顔を覗き込む。
「いや、まだいい」
将夜は銚子 を取って軽く振った。たぷたぷと、まだ半分以上は残っていそうな音がした。
「今日は、あまりお酒が進まないんですね」
「何しろ、相方がこれだからな」
顎をしゃくる。その方向に視線を走らせたおみよは、思わずひっと悲鳴を上げて後ずさる。
「宗助様? ど、どうなさったのですか。何だが禍々しい気が出ていて、怖いんですけど」
「みよ坊、そっとしておいてやってくれ。少々落ち込んでおる故な」
将夜が手を振ると、おみよは脅えたような視線を将夜の向かいの男に走らせつつ、板場の方へ戻っていく。
何も知らずに将夜を迎えにきた宗助は、目を吊り上げたひさ江にさんざん油を絞られてしまったのだ。
斯様 ないかがわしき書物は向後 一切将夜に見せないと誓って、やっと放免されたのだが、年下の娘に説教されたのがよほど応えたらしく、ふだんは軽佻 浮薄 を絵に描いたようなこの男が、店にくるまでの道すがら殆ど一言も口を利かなかった。
宗助も家は旗本だが、三男坊。ある意味将夜以上の冷飯組である。この店にお互い一人で通っていて、なんとなく知り合いになった。友であるとは、お互い思っていない。
「見違えるとはこのことよ。生来の麗質に磨きがかかり、正に珠玉の如き輝きを放っておる」
ん、と将夜は訝しげに宗助を見つめる。宗助の目は遠い日の夢でも追っているかの如くとろんとしている。どう見ても小娘に叱責され、自尊心に傷を負った男の顔つきではない。
「おぬし、何を言っておるのだ……」
「破廉恥漢と誤解されたのは遺憾ながら、あの柳眉を逆立てた表情もまた、たまらんのだなあ。それを堪能できたのは怪我の功名と申すべきか……」
「なっ」将夜が目を剥いた。「何だと?」
「あの澄んだ眸に見つめられると、まるで胸を柔らかい羽毛で擽 られているような、得 も言われぬ心持ちになってくる。厳しい叱責の言葉でさえ、天上の楽の調べの如く甘美に響く。もっと責めてくれ、もっともっと俺を辱めてくれとさえ――」
「おかしな奴だとはかねがね思っていたが、まさかこんな歪んだ性癖を有しておったとは」
思わず腰掛を引いて、宗助との間に距離を置く将夜。
「あのような方を妻となせる男は果報者よな。――のう、
宗助の口から意味ありげに〈兄上〉と呼ばれた刹那、将夜の全身の膚 が粟立った。
「だめだ、だめだだめだだめだ。ゆ、許さん。天が許そうが地が許そうが、おれの目の黒いうちは断じて許さん。ひさ江のことを考えるのも御法度 だ。きさまの薄汚い妄想だけで、嫁入り前の大事な身が穢され、まかり間違って妊娠するやもしれぬ。お、お前の子供など想像するだにおぞましすぎて怪談話のようだ」
「これは異なことを仰る。恰も咎人 の如き言われよう。それがし、何も法を犯してはおらぬと存ずるが」
「知らぬのか?妄 りに他人の妹に懸想 する男は死罪に処すという定めを」
「いったいどこにそんな定めがある? あるなら申してみよ」
「ぶ、武家 諸法度 だ!」
激昂する将夜を尻目に、宗助は、えへらえへらと笑っている。その軽薄極まりない顔に一撃喰らわしてやりたくなる衝動をぐっと抑え、将夜は荒々しく猪口 を空けた。
今宵は、悪い酒になりそうだった……。
愛嬌たっぷりの笑顔で、娘が
田楽とは短冊状の木綿豆腐を串に刺して炭火で炙り、
普通はちょっと小腹が空いた時に近くの屋台で一串購う程度のものだが、ここの田楽は味噌の味付けに独特な工夫があるらしく、この店の看板料理になっている――と言えば聞こえはいいが、要するに場末の、気取らない品を手頃な値で出す店なのであり、客も日雇い仕事をしている町人が殆どだった。
「お酒のお代わりは?」
おみよが首を傾げるようにして、将夜の顔を覗き込む。
「いや、まだいい」
将夜は
「今日は、あまりお酒が進まないんですね」
「何しろ、相方がこれだからな」
顎をしゃくる。その方向に視線を走らせたおみよは、思わずひっと悲鳴を上げて後ずさる。
「宗助様? ど、どうなさったのですか。何だが禍々しい気が出ていて、怖いんですけど」
「みよ坊、そっとしておいてやってくれ。少々落ち込んでおる故な」
将夜が手を振ると、おみよは脅えたような視線を将夜の向かいの男に走らせつつ、板場の方へ戻っていく。
何も知らずに将夜を迎えにきた宗助は、目を吊り上げたひさ江にさんざん油を絞られてしまったのだ。
宗助も家は旗本だが、三男坊。ある意味将夜以上の冷飯組である。この店にお互い一人で通っていて、なんとなく知り合いになった。友であるとは、お互い思っていない。
「見違えるとはこのことよ。生来の麗質に磨きがかかり、正に珠玉の如き輝きを放っておる」
ん、と将夜は訝しげに宗助を見つめる。宗助の目は遠い日の夢でも追っているかの如くとろんとしている。どう見ても小娘に叱責され、自尊心に傷を負った男の顔つきではない。
「おぬし、何を言っておるのだ……」
「破廉恥漢と誤解されたのは遺憾ながら、あの柳眉を逆立てた表情もまた、たまらんのだなあ。それを堪能できたのは怪我の功名と申すべきか……」
「なっ」将夜が目を剥いた。「何だと?」
「あの澄んだ眸に見つめられると、まるで胸を柔らかい羽毛で
「おかしな奴だとはかねがね思っていたが、まさかこんな歪んだ性癖を有しておったとは」
思わず腰掛を引いて、宗助との間に距離を置く将夜。
「あのような方を妻となせる男は果報者よな。――のう、
兄上
」宗助の口から意味ありげに〈兄上〉と呼ばれた刹那、将夜の全身の
「だめだ、だめだだめだだめだ。ゆ、許さん。天が許そうが地が許そうが、おれの目の黒いうちは断じて許さん。ひさ江のことを考えるのも
「これは異なことを仰る。恰も
「知らぬのか?
「いったいどこにそんな定めがある? あるなら申してみよ」
「ぶ、
激昂する将夜を尻目に、宗助は、えへらえへらと笑っている。その軽薄極まりない顔に一撃喰らわしてやりたくなる衝動をぐっと抑え、将夜は荒々しく
今宵は、悪い酒になりそうだった……。