第五十七話 やどかりは貝を探してこの国に来しこと
文字数 1,308文字
浪人は、平賀源内と名乗った。
なんと、狼憑きだと自ら明かした。しかも、伝説の狼魔王たる〈りゅかおおん〉の霊魂が憑依していると言う。
無論、俄かには信じがたい。
平賀源内――いや、源内の姿をしたものは語った。
魔族でも、いつかはその肉体が滅ぶ時がくる。残った霊魂は〈新しい器〉、即ち別の肉体を求める。そんなことを繰り返しつつ、甚だしきは千年の時を超え、肉体から肉体へと渡り歩く。
人の肉体など、単に〈やどかりの貝〉に過ぎない。使えなくなれば捨てる。それだけだ。最後に阿蘭陀船の船長に憑いて海を渡った。遥か東の果ての国――日本の長崎に辿り着いた。
長崎において、〈りゅかおおん〉は魔軍を形成し、騒擾を引き起こそうとした。それを未然に防いだのは、意外にも同じ南蛮魔族の一人である〈ばんぱいあ〉であった。二人は死闘の末、双方とも自らの魔力を殆ど喪失するに至った。
〈りゅかおおん〉は当時ちょうど長崎に遊学中だった平賀源内という男に憑き、ほうほうの体で長崎を逃れ、江戸に出た。そして、今に至る……。
男も、伊達 に狼憑きを調べてきたわけではない。
優れた頭脳を有し、自己顕示欲と征服欲の異常に強い人間が、魔族にとって恰好の〈獲物〉となることは承知している。人間の際限なき欲と業の深さが、この上ない〈糧 〉となるのだ。そして、〈糧〉を得た狼魔王は衰え切っていた魔力を徐々に恢復させ、源内を支配し始める。源内の脳を徐々に侵食していき、最後にはその意識を完全に掌握してしまうのだ。
源内は己自身で考えたつもりでも、実は泉の湧く如く生まれ出る種々の発想や霊感は彼のものではない。自ら切り開いたと信じている行動も、全て定められた軌道の上をなぞっているに過ぎぬ。
薬品会。
鉱脈の発見。
〈えれきてる〉の実験。
戯作。
蘭画等々。
世界を経巡 ってきた霊魂は、この国よりも進んだ文明や文化、技術を知っていた。
文字通り、悪魔の囁きだった。
人々は源内の創作物の斬新さに驚嘆し、その稀代 の才を称賛した。結果、平賀源内という名は天下に轟いた。
長期的に見ればそれほど効果がなかったり、最初だけで後が続かなかったりするものが実は多かったのだが、そこまで見抜く者は少なかった。何時 の世にあっても、民草とは本質より表面的な新奇さに惹かれるものであり、同時にひどく飽きっぽく、忘れ易い。
欲望は自ら意思を持つ如く、際限もなく肥大する。内側に闇を抱えながら増殖する。源内という新鮮で活きのいい糧を得て、〈りゅかおおん〉の魔力は急速に元の状態に復しつつあった。
源内は、笑った。声を上げて笑った。
男の目の前で笑っているのは、確かに源内という名の浪人である。
しかし男は、源内の体にぴったり重なるようにして笑っている
戦慄が背を貫き、体中の毛穴という毛穴から冷たい汗が吹き出していた。
だが一方で――
痺れるような快感も感じていた。
魔力。何という魅惑的な響きであろう。
震えながら、陶然とした。
やがて男は、己の目を
譬えようもなく、卑屈な笑みが、男――斎木方生の顔に貼りついていた。
なんと、狼憑きだと自ら明かした。しかも、伝説の狼魔王たる〈りゅかおおん〉の霊魂が憑依していると言う。
無論、俄かには信じがたい。
平賀源内――いや、源内の姿をしたものは語った。
魔族でも、いつかはその肉体が滅ぶ時がくる。残った霊魂は〈新しい器〉、即ち別の肉体を求める。そんなことを繰り返しつつ、甚だしきは千年の時を超え、肉体から肉体へと渡り歩く。
人の肉体など、単に〈やどかりの貝〉に過ぎない。使えなくなれば捨てる。それだけだ。最後に阿蘭陀船の船長に憑いて海を渡った。遥か東の果ての国――日本の長崎に辿り着いた。
長崎において、〈りゅかおおん〉は魔軍を形成し、騒擾を引き起こそうとした。それを未然に防いだのは、意外にも同じ南蛮魔族の一人である〈ばんぱいあ〉であった。二人は死闘の末、双方とも自らの魔力を殆ど喪失するに至った。
〈りゅかおおん〉は当時ちょうど長崎に遊学中だった平賀源内という男に憑き、ほうほうの体で長崎を逃れ、江戸に出た。そして、今に至る……。
男も、
優れた頭脳を有し、自己顕示欲と征服欲の異常に強い人間が、魔族にとって恰好の〈獲物〉となることは承知している。人間の際限なき欲と業の深さが、この上ない〈
源内は己自身で考えたつもりでも、実は泉の湧く如く生まれ出る種々の発想や霊感は彼のものではない。自ら切り開いたと信じている行動も、全て定められた軌道の上をなぞっているに過ぎぬ。
薬品会。
鉱脈の発見。
〈えれきてる〉の実験。
戯作。
蘭画等々。
世界を
文字通り、悪魔の囁きだった。
人々は源内の創作物の斬新さに驚嘆し、その
長期的に見ればそれほど効果がなかったり、最初だけで後が続かなかったりするものが実は多かったのだが、そこまで見抜く者は少なかった。
欲望は自ら意思を持つ如く、際限もなく肥大する。内側に闇を抱えながら増殖する。源内という新鮮で活きのいい糧を得て、〈りゅかおおん〉の魔力は急速に元の状態に復しつつあった。
源内は、笑った。声を上げて笑った。
男の目の前で笑っているのは、確かに源内という名の浪人である。
しかし男は、源内の体にぴったり重なるようにして笑っている
それ
を確かに見た気がした。恐ろしさに慌てて視線を逸らす。戦慄が背を貫き、体中の毛穴という毛穴から冷たい汗が吹き出していた。
だが一方で――
痺れるような快感も感じていた。
魔力。何という魅惑的な響きであろう。
震えながら、陶然とした。
やがて男は、己の目を
それ
の上に戻した。譬えようもなく、卑屈な笑みが、男――斎木方生の顔に貼りついていた。