第六十八話 志乃が屋敷に連れてこられた理由のこと

文字数 1,851文字

「ど、どうかお願いでございます! 口封じのために志乃を(あや)めようと言うなら、いっそひと思いにやって下さいませ。こ、こんな嬲り殺しのようなまねはお止め下さい。お頼み……お頼み申します!」
 斎木はついに耐え切れず絶叫した。源内――いや、源内に憑き、その意識を完全に支配した〈りゅかおおん〉という狼魔王(ろうまおう)の前に平伏し、必死に懇願した。
 志乃は、無残な姿を晒していた。
 度重なる〈えれきてる〉の責めによって、髪は乱れ、手首や足首など、肌に直接銅線が喰い込んでいる部分から血が流れ、畳の上にまで滴っている。
 おぞましいのは菊也だった。狂ったように取っ手を回していたかと思うと、志乃が気を失う寸前で止める。そして、舌なめずりしながら志乃の上に覆いかぶさり、天来の甘露を味わうが如き至福の表情で、溢れ出る血を吸うのである。
 志乃は虫の息でぐったりと目を閉じ、もはや悲鳴を上げる気力もないのか、されるがままになっている。
「方生よ、結局、お前は何もわかっておらなんだようじゃの」
「な、何を……」
「魔族とは元々死の国より来たりし者、その魔力を維持するためには、生きている人間の血を吸い、その肉を喰らわねばならぬ。
 乙女の血のみを吸うが故に、〈ばんぱいあ〉ばかりが目立つが、実は他の魔族も皆、同じことをしておるのだ。余の如く、人間どもの欲望を喰らって生きられるのは、ごく限られた魔族の王のみ」
 斎木にも、狼魔王の言っていることはなんとなくわかった。南蛮魔族だけではない。日本の百鬼夜行然り、唐土(もろこし)殭屍(キョンシー)然り。魔族にとって、確かに人の血肉は唯一絶対の〈糧〉なのだ。
「公儀隠密の目を誤魔化すため、お前はわざと志乃を襲わせる狂言を思いついた。ところが、神崎将夜が現れて、あろうことか我が眷属を斃してしまった。お前は神崎の出現を誤算と思っておるのだろうが、それは違う」
 源内――いくら意識は完全に〈りゅかおおん〉に支配されていても、外見は源内のままなので、斎木にはやはり源内が話しているように見える――は、不気味な笑いを洩らしつつ続けた。
「あの娘は霊力が強い。魔にとって、これ以上ない魅惑的な〈糧〉よ。我が眷属の力を強めることのできる恰好の機会故、話に乗ってやったにすぎぬ。神崎めが現れなければ、娘はあの晩、骨も残さず喰われていたことであろうよ」
「や、約束を反故(ほご)にするとは、なんと卑劣な!」
「約束か。そう言えば、余が以前いた国の人間も契約などとほざいておったな。無力な人間どもの考えることは、西も東も変わりがないと見える。
 だが、教えてやろう。我らにとっては力こそが全て。善も悪も、正義も裏切りも、所詮は人という脆弱な生き物が己を守るために考えついたか細い鎖に過ぎぬ。そんなもので、人より高次な存在である我らを縛れると本気で思っていたのなら、お前は滑稽極まりない愚か者じゃ」
「ううっ……!」
「あんたみたいに自分のことを賢いと自惚(うぬぼ)れているやつが、実は一番騙され易いのさ。もし生まれ変わったら、閻魔様に頼んでもうちょっとお利口さんにしてもらうのね。
 あら、でも、無理かしら。あたしの予想じゃ、たぶんあんたの来世は犬よ。だって、あんたは裏切り者だから。――この裏切り者の犬め!」
 がっくりとうな垂れる斎木に、菊也は巨大な怪鳥じみた様子で歩み寄ると、ぺっと唾を吐きかけた。
 茫然自失している斎木は、それすら知覚したのかどうか。
「さあ、そろそろいただくことにするわ。霊力の強い肉体が苦痛と絶望の火に()かれると、極上の美味になるらしいから。ああ、愉しみなこと……」
 源内が志乃を屋敷に連れてこさせた真の目的は、霊力の強い志乃を〈糧〉として、王妃である菊也に〈喰わせる〉ことだったのである。
 嘗めた血のせいで唇の回りが朱に染まり、口が裂けたように見える菊也が、まさに志乃に飛びかかろうとする瞬間――

 ばさっ、
 ばさばさっ、

 梟が突如、籠の中で羽ばたいた。
「む?」
 訝しげに眉を顰めて、源内が梟を見る。
 梟の頭が、くるりと回った。
「武器ヲ持ッタ人間ドモガ、侵入シタ」
「何人じゃ?」
 梟の頭がまた回転する。
「ソノ数、三十五」
「公儀の犬どもめ! 一匹残らず返り討ちにしてやる」
 憤然と源内は立ち上がった。
「王妃よ。その娘は暫くお預けじゃ。先にうるさい犬どもを退治せねばならぬ」
「厭だよォ、せっかく御馳走にありつけるって言うのにさ」
 お預けなどと自分も犬の如く扱われているのに気づいているのかどうか、菊也は唇を血で光らせながら、切なげにくねくねと腰をひねった。
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登場人物紹介

妹・ひさ江(作中では武家の娘だが、もし現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:すごく心配です。

美少女剣士・瑠璃(町道場の女剣客だが、もし現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:生意気だ、神崎将夜のくせに。

女医者・志乃(町医者の娘だが、もし現代人だったこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:命の恩人として感謝してもしきれません。

くノ一・桔梗(公儀隠密であるお庭番の忍者だが、現代人だったこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:…………。

おみよ(居酒屋で働く娘だが、現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:すてきなお武家様です。宗助様のお友達でなければもっといいのですけれど……


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