第四十四話 源内の代表著作はBL小説であること

文字数 1,311文字

 頭巾(ずきん)を被った小柄な武士が現れたのは、両国(りょうごく)界隈(かいわい)でも一、二を争う格式高い料理茶屋の前である。
 店の主人がひどく慇懃(いんぎん)な態度で出迎える。そのくせ、声は殆ど出さず、速やかに頭巾の武士を離れの方へ案内する。
平賀(ひらが)様は既にお待ちでございます」
 主人が小腰を屈めて、頭巾の男に告げる。
「源内は一人であろうの」
「それが、お連れ様と御一緒でございます」
「連れだと……」
 頭巾のせいで目しか窺えないが、それでも明らかに不快の色が動いた。主人は顔色を変え、
「お聞き及びではございませんでしたか。こ、これは、如何(いかが)致しましょう?」
「まあ、よい。どうせすぐ帰る」
 吐き捨てる如き短い答えだった。主人は(おそ)れ入った様子で、あたふたと敷居際に膝を突き、中に声をかけてから静かに障子を開けた。
「御膳をお持ち致しましょうか」
 これは、頭巾の武士の方に尋ねている。
「いや、何も要らぬ。行ってよい。(わし)が出るまで誰も近づけないでくれ」
「かしこまりましてございます」
 深々と一礼して主人が立ち去るのを確かめてから、頭巾の武士はすっと離れに入り、自ら後ろ手に障子を()て切った。
「これはこれは、御老中――」
 五十がらみの小太りの男が、奇妙に赤い唇と脂ぎった頬を歪めて言った。
 武士の方は突っ立ったまま、頭巾も取らず、冷ややかな視線を男の上に据えている。
「いやいや、お忍びでございましたな。失礼仕りました」
 手に持っていた盃を箱膳に戻すと脇へ押し遣り、大袈裟に頭を下げてみせた。
 平賀源内(げんない)――今江戸で、この男を知らぬ者はない。
 天才とも、奇人とも称される。
 元々身分は低い。四国の讃岐(さぬき)高松藩の足軽の子であるが、幼少の頃より秀才の誉れ高く、先に本草学を修め、その(のち)長崎に遊学して蘭学を学んだ。
 妹に婿養子を迎えさせると、自らは江戸へ出た。本草学の権威・田村(たむら)藍水(らんすい)に弟子入りし、宝暦(ほうれき)七年(一七五七)には、湯島(ゆしま)で日本初の博覧会である〈薬品会〉を開いた。
 この会は、薬品となる植物及び鉱物を集めたもので、日本原産の物品だけでなく、南蛮渡りのものまで含まれており、その品数の多さと質の高さは斯界(しかい)玄人(くろうと)たちをも唸らせた。名目上の主催者は師である藍水であったが、実際に企画、物産の手配等を行ったのは源内であり、その名を一気に高める結果となった。
 源内が特に好きなのは、〈本朝初〉という言葉であった。〈薬品会〉だけではない。油彩画『西洋婦人図』もそうだし、天竺(てんじく)浪人(ろうにん)の名で著した『根南志具佐(ねなしぐさ)』は、今風に言うならBL小説の元祖である。
 数年前には、深川で〈えれきてる〉の実験を行って世人(せじん)度肝(どぎも)を抜いた。実際には微弱な静電気を発生させたに過ぎぬのだが、木箱から雷を作ってみせたと大評判になった。
 ただ、開拓者として様々なことをやってみせるものの、では何が本業かと言うと、よくわからない。一時の評判にはなるが、それを突き詰めて大成させるということがないからだ。
 頭巾で顔を覆い、立ったまま源内を見下ろしている武士。その目に浮かんでいるのも、天才に対する畏敬ではなく、むしろ詐欺師に向ける猜疑のようである。
「連れがいるとは、聞いておらんぞ」
 頭巾の武士は不機嫌を隠そうともしない声音で、ぼそりと言った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

妹・ひさ江(作中では武家の娘だが、もし現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:すごく心配です。

美少女剣士・瑠璃(町道場の女剣客だが、もし現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:生意気だ、神崎将夜のくせに。

女医者・志乃(町医者の娘だが、もし現代人だったこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:命の恩人として感謝してもしきれません。

くノ一・桔梗(公儀隠密であるお庭番の忍者だが、現代人だったこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:…………。

おみよ(居酒屋で働く娘だが、現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:すてきなお武家様です。宗助様のお友達でなければもっといいのですけれど……


ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み