第二十八話 くノ一桔梗は氷の美少女であること
文字数 942文字
「不覚 でございました」
十五か、六。ふっくらとした頬にあどけなさを残しているが、見る者を思わずぞくりとさせるような美少女である。
「いや、とっさに自らの腿を傷つけ、その痛みで感覚を甦らせたとは見事だ。さすがは、桔梗よの」
ここは桜田 御用屋敷 。
くノ一の桔梗は、上役の柘植 源八郎 に昨夜の首尾を報告しているところだ。
「麝香のような匂いが漂っておりました。おそらく、あれが痺れ薬であったかと」
「畳の下に槍が忍ばせてあったのだな」
「人の気配はありませんでした。からくりと思われます」
「からくり……か。〈えれきてる〉などと申す面妖な実験をする奴じゃ。あの屋敷には他にも、様々な仕掛けがあると見ねばなるまいの」
「おそらく」
「それにしても、でかした! あの男が獣人と化すところをしかと見届けたのじゃな」
「見ました。ただ――」
「ただ? 何じゃ」
「役者の方は明らかに幻覚に惑わされておりました。わたしが見たものも、幻でないという確証はありませぬ」
うむ、と柘植は腕を組んだ。
「あの男と御老中 との間の糸もまだ完全に切れてはおらぬらしい。動かぬ証拠がなければ、かえって上様 の御立場を悪くしかねぬ。やはり、時期尚早か」
「――申し訳ございませぬ」
「いや、それでも疑いは非常に濃くなった。限りなく黒に近い。そなたの手柄は大きいぞ。傷が癒えるまで暫く養生しておれ」
「お心遣い痛み入りますが、こんなものは傷のうちに入りませぬ。――して、紺屋町の方は如何 致しましょうか」
「神崎将夜と申す男のことか」
「はい」
「あの男は、まだ気づいていないのではなかったか」
「今のところは。しかし……あるいはそろそろかと」
「何故そう思うのじゃ?」
桔梗は僅かに首を傾 げた。
「勘、でございます」
この少女の勘が、決して一笑に付せるものではないことを、上役である柘植は経験的に思い知らされている。眉を寄せて考えていたが、
「わかった。あの男の方は今のところ、とりあえず江戸の外へ出さなければよい。橋本町の屋敷は別な者に見張らせることにしよう。――神崎将夜の件は、引き続きそなたに頼む。斎木には伝えてあるので、必要があればいつでも下働 きとして潜り込めるぞ」
「心得ました」
澄んだ声がまだ宙に消え残っているうちに、桔梗の姿は既に部屋から消えていた。
十五か、六。ふっくらとした頬にあどけなさを残しているが、見る者を思わずぞくりとさせるような美少女である。
「いや、とっさに自らの腿を傷つけ、その痛みで感覚を甦らせたとは見事だ。さすがは、桔梗よの」
ここは
くノ一の桔梗は、上役の
「麝香のような匂いが漂っておりました。おそらく、あれが痺れ薬であったかと」
「畳の下に槍が忍ばせてあったのだな」
「人の気配はありませんでした。からくりと思われます」
「からくり……か。〈えれきてる〉などと申す面妖な実験をする奴じゃ。あの屋敷には他にも、様々な仕掛けがあると見ねばなるまいの」
「おそらく」
「それにしても、でかした! あの男が獣人と化すところをしかと見届けたのじゃな」
「見ました。ただ――」
「ただ? 何じゃ」
「役者の方は明らかに幻覚に惑わされておりました。わたしが見たものも、幻でないという確証はありませぬ」
うむ、と柘植は腕を組んだ。
「あの男と
「――申し訳ございませぬ」
「いや、それでも疑いは非常に濃くなった。限りなく黒に近い。そなたの手柄は大きいぞ。傷が癒えるまで暫く養生しておれ」
「お心遣い痛み入りますが、こんなものは傷のうちに入りませぬ。――して、紺屋町の方は
「神崎将夜と申す男のことか」
「はい」
「あの男は、まだ気づいていないのではなかったか」
「今のところは。しかし……あるいはそろそろかと」
「何故そう思うのじゃ?」
桔梗は僅かに首を
「勘、でございます」
この少女の勘が、決して一笑に付せるものではないことを、上役である柘植は経験的に思い知らされている。眉を寄せて考えていたが、
「わかった。あの男の方は今のところ、とりあえず江戸の外へ出さなければよい。橋本町の屋敷は別な者に見張らせることにしよう。――神崎将夜の件は、引き続きそなたに頼む。斎木には伝えてあるので、必要があればいつでも
「心得ました」
澄んだ声がまだ宙に消え残っているうちに、桔梗の姿は既に部屋から消えていた。