第十四話 将夜を見つめて直之は首を振ること

文字数 1,426文字

「まったくありがたい歓迎ぶりですよ」
 首を手で揉みながら、将夜は目の前に置かれた茶に手を伸ばす。
 その様子をおもしろそうに眺めているのは楢井(ならい)直之(なおゆき)である。
「士道館の〈暴れ(ごま)〉は健在というわけさ。瑠璃(るり)はあれでなかなか面倒見がよくてな。おかげで門弟もだんだんと増えているからね」
「行く末頼もしい御門弟たちでございますな」
 将夜はちびっこ剣士たちの様子を思い出して苦笑する。あの後も膝に座られたり、後ろから抱きつかれて首を絞められたり、さんざんな目に遭わされたのだ。しかも、
「神崎将夜。お前に、子供から慕われる才があるとは知らなかったぞ」
 と瑠璃に真顔で言われた。まったく、いい(つら)の皮である。
 士道館というのは、楢井重蔵(じゅうぞう)が、日本橋は岡崎町に開いた戸田流の道場だ。
 名前だけ見ると立派な大道場のようだが、将夜が入門した当時は、門弟など数えるほどしかいなかったものである。ただ、重蔵の強さは本物であった。小手先の竹刀剣法ではなく、古武士を髣髴とさせる野性の剣だった。
 若い頃から剣術修行一筋に生きてきた重蔵は、晩年になってやっと妻を(めと)った。女子(じょし)を授かったが、男子には恵まれなかった。その女子が〈士道館の暴れ駒〉の異名を持つ瑠璃である。重蔵は生前、門弟の一人であった直之を養子にしたが、瑠璃の婿というわけではなく、直之の妻は別にいる。
 何故重蔵が、直之と瑠璃を(めあ)わせようとしなかったのか、今となっては知る術はない。
 ただ、こうして直之と向かい合っていると、自然にその疑問が浮かんでくるのを禁じ得なかった。
(年の頃もちょうどよいと思われるが、な)
 瑠璃は将夜と同い年の十八だが、直之は四つ上の二十二だ。夫婦(めおと)としてちょうどいい年の差に見える。
(まあ、あの駒をうまく(ぎょ)せる男も多くはあるまい。直之殿が賢明にも固辞したというところか)
 そんなふうに、瑠璃が聞いたら激昂(げっこう)しそうなことを考えていると、 
「もっと元気よく!」
「お腹の底から声をお出しなさい!」
 張りのある声が道場から響いてきて、将夜は思わず自分が叱咤されたように肩を竦めた。
「今日は一際(ひときわ)声が大きいようだぜ」
 笑いを含んだ声で直之は言う。
大方(おおかた)、おれが来たから機嫌が悪いんでしょう。あいつがおれを嫌っているのは百も承知ですが、八つ当たりされているようで子供たちが気の毒です」
「将さん……お前、本当に……」
 呆れたように将夜を見つめた後、直之は首を僅かに横に振った。
 将夜としては、直之が何故そんな仕草をするのか、さっぱりわからない。
「――ところで」
 持ち前の朗らかな口調で直之が言う。「瑠璃と立会えるとは、身体の方は少し良くなったと思っていいのかね?」
「いや、最前は無理矢理立ち合わされたのです。幸い今日は曇天故なんとかなりましたが、晴れていてはとても――」
 うむ、と直之は眉根を寄せた。元々明朗(めいろう)闊達(かったつ)を絵に描いたような顔なので、こういう表情をしても、不思議と深刻にはならない。
 将夜が直之にだけ本当の事を打ち明けたのは、直之が口の固い、信用のおける人物だからという点は言うまでもないとして、その悠揚(ゆうよう)(せま)らぬ、おおらかな人柄に負うところも大きい。直之が、うんうんと頷きながら話を聞いてくれるだけで、胸中の石も三割(がた)目方(めかた)を減じる気がする。
「やっぱりそうか。日の光が浴びられないなんて、初めて聞いた時は戯言(ざれごと)としか思えなかったんだが、今の将さんの顔色を見れば、信じないわけにもいくまいよ」
 将夜は黙って、己の顔をひと撫でした。
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登場人物紹介

妹・ひさ江(作中では武家の娘だが、もし現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:すごく心配です。

美少女剣士・瑠璃(町道場の女剣客だが、もし現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:生意気だ、神崎将夜のくせに。

女医者・志乃(町医者の娘だが、もし現代人だったこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:命の恩人として感謝してもしきれません。

くノ一・桔梗(公儀隠密であるお庭番の忍者だが、現代人だったこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:…………。

おみよ(居酒屋で働く娘だが、現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:すてきなお武家様です。宗助様のお友達でなければもっといいのですけれど……


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