第四話 椎茸とは即ち黴の親戚であること

文字数 1,728文字

「田楽、か」
 宗助が田楽の串の先を楊枝代わりに、くちゃくちゃと使いながら呟く。下品な男である。
「去年の今頃も、おれはここでこうして田楽を喰っていた。一昨年もそうだ。来年もきっとそうだろうし、再来年もおそらくそうだろう。おれは一生、お前と一緒にこの場所で田楽を喰い続けているような気がする。一体、何の呪いなのだ」
 それはこっちの台詞だ、という言葉を将夜はかろうじて呑み込む。
「呪いとは剣呑だな。まあ、そう悲観するものでもあるまい。この店の田楽は捨てたものではないぞ。立場(たてば)茶屋(ぢゃや)などでは、とてもこの味は出せまい」 
「いくら(うま)くても、毎度毎度では飽きる。せめて、椎茸の煮付けでも食べたいものだ」
「椎茸だと? 愛宕山(あたごやま)にでも登って採ってくるつもりか」
「お前は山に分け入って椎茸を探してくるつもりなのか、呆れたものだ。椎茸とは、ちゃんと原木に瑕を付けて栽培しておるのだ。元々は自生したものを採取するのみであった故、その数極めて少なく、よほど高貴な御方でなければ、食すこと(あた)わなかったのだぞ。室町の世には、できの良い干し椎茸が足利義政公に献上された記録が残っておるくらいだからな」
 徳川の世になり、漸く椎茸の栽培が始まって生産量は上がったものの、菌糸を原木に植え込む技術は、当時まだ開発されていない。高価な食べ物である点は変わりなく、将夜や宗助らにとって干し椎茸の煮付けなど、正月三が日にでも口にできればよい方だったのである。
「そうか。しかし、こんな話もあるぞ。干し椎茸が大好物で、金に糸目をつけず買い求めていたさる大店(おおだな)の主が、ある時ぶ厚い椎茸を勢いよく噛んだところ、前歯が欠けてしまったそうな。田楽をいくら食べても歯が欠ける心配はあるまい。しかも、愛嬌たっぷりの娘が運んでくれるときている」
 別な客に銚子を運んでいたおみよだったが、将夜の声が聞こえたらしく、こちらを見て莞爾(にこっ)と笑う。
「やはり金になるのは椎茸だ。おれは今、椎茸を己の力で栽培できぬかと思案しておるところなのだ」
「は?」
 将夜は、相手の正気を疑うように宗助の目を覗き込んだが、酒飲み特有の濁った色をしているのでよくわからぬ。
「よいか、茸とはそもそも菌なのだ」
「菌?」
「ま、黴の親戚と思えばよい」
「か、黴だと?」
「そうだ、薄暗くてじめじめした(ところ)を好むという性質も同じだ。ただ、ふわっと出てくるか、にょきっと出てくるかの違いに過ぎぬ。俗に男寡(おとこやもめ)に蛆が湧くと言うが、男の部屋に湧いて出るのは蛆だけではない。黴や茸も生えてくる。やつらは、謂わば朋友(ほうゆう)同士というわけだ。論より証拠、つい先日おれの部屋の押入れの中に、黴と一緒に小さな茸が生えているのを見つけたのだ。その時、閃いた。これはいけるぞと――」
「どこにいけるのか知らんが、お前に無駄に学問があるのはよくわかった。だからもう茸談義はそのくらいにしておけ」
 将夜は冷ややかに、宗助の話の腰をざくりと折った。
 あまりのくだらなさに呆れたこともあったが、宗助の話の中に出てきた〈茸〉だとか、〈にょきっと〉といった言葉に記憶を刺激され、今朝ひさ江に枕を投げつけられる原因となった出来事が、慙愧(ざんき)の念と共に脳裡に蘇ってきたからでもある。
「くっ……」
 とうに消えていた痛みがぶり返すようで、将夜はそっと自分の額に触れてみる。
(あれほどむきになって怒るとは。いつの間にかそういう年頃になっていたということか。考えてみれば、ひさ江も十六だからな……)
 相手が宗助など論外も論外だが、そろそろ縁談の話がきてもおかしくはない年齢である点は否めない。
(あいつがいなくなったら、寂しくなるな。家の中は灯の消えたようになるだろう)
 謹厳実直が羽織袴を着て歩いているような兄と、自分を虫けらのように見下す継母。あの二人と暮らす家を想像した途端、激しい悪寒に襲われ身震いする将夜だったが、その一方で、
 ――ひさ江には是非とも良縁を得て、幸せになってほしい。
 そんな兄らしい殊勝な気持ちも人並み以上に持ち合わせているのだ。
 胸の中で様々な思いがせめぎあい、珍しくしみじみと己を省みたい気分に陥りかけた時、ふと自分に注がれている視線に気づく。
 板場の陰から、じっとこちらを見つめている一対の目があった。
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登場人物紹介

妹・ひさ江(作中では武家の娘だが、もし現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:すごく心配です。

美少女剣士・瑠璃(町道場の女剣客だが、もし現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:生意気だ、神崎将夜のくせに。

女医者・志乃(町医者の娘だが、もし現代人だったこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:命の恩人として感謝してもしきれません。

くノ一・桔梗(公儀隠密であるお庭番の忍者だが、現代人だったこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:…………。

おみよ(居酒屋で働く娘だが、現代人だったらこんなイメージ)

Q:神崎将夜に対する気持ちを一言で表すと?

A:すてきなお武家様です。宗助様のお友達でなければもっといいのですけれど……


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