第十八話 美少女剣士は前後不覚に眠っていること
文字数 986文字
翌朝まだ暗いうちに、将夜は荷物をまとめて玄関へ出た。
正確に言うと、全く寝ていない。
一度睡眠を取ってしまうと、その翌朝は異様な疲弊 に襲われ、動きが取れなくなるからだ。
星が全く見えないのは、空が雲に覆われているせいだろう。将夜にとってはありがたい天気だ。
常人には足元も覚束ない暗さだが、夜に五感が冴える将夜にとっては、何の不自由もない。
「どうしても行くのか」
足音を殺して歩を進めていたところに、いきなり声を掛けられた。将夜は困ったように横鬢を掻く。
「見つかってしまいましたな」
「将さんたっての頼みだから、紺屋町の知り合い宛の紹介状は書いた。しかし、考え直す気はないかね。ここに留 まって一緒に門弟たちに稽古をつけてくれれば、こんな嬉しいことはない。なに、毎日じゃなくたっていいんだ。ゆっくり養生 しながら、昨日みたいに身体が動く時にちょいと竹刀を握ってくれれば、それでいいのさ」
将夜は、直之の誠意溢れる目を正面から見つめると、深々と頭を下げた。
直之は、よせやい、とばかりに手を振り、
「もうわかった。だから、安っぽく頭なんて下げてくれるな。いい男が台無しだ」
そして、将夜の肩をぽんと一つ叩くと、言った。
「ただ、一つ約束してくれ。困ったら真っ先にこのおれを頼ること、いいね。――おっと、また頭を下げたりしやがったら怒るからな」
そこまで送ると言う直之を丁重に断り、将夜は一人で門の外へ出た。
通りには乳白色の、かなり濃い霧が流れていた。そのひんやりと膚に纏 わりつく感覚が、今の将夜には快い。
うっかり眠りに落ち、しかもその間に日が昇ってしまったら動くに動けなくなる。これ以上直之や由利に迷惑をかけられないという気持ちに偽 りはない。
ただ、一番大きな理由――
それは、瑠璃と顔を合わせたくないということだった。
『父上は……お前に伝えたのか。秘剣胡蝶 斬 りを……』
昨晩の瑠璃の言葉が、将夜の胸に棘のように突き刺さっている。
戸田流剣法は戦国時代の剣豪・戸田 清玄 が創始した剣術流派だが、その目録の中に〈胡蝶斬り〉は含まれていない。これは重蔵が長年の研鑽 の末、独自に編み出した居合 いの技であり、門外不出の秘剣なのである。
奇妙なことに、重蔵はこの秘剣を養子の直之でも、己の血を分けた瑠璃でもなく、将夜にのみ伝えた。
今思い出しても、実に不可思議な秘剣の伝授であった。
正確に言うと、全く寝ていない。
一度睡眠を取ってしまうと、その翌朝は異様な
星が全く見えないのは、空が雲に覆われているせいだろう。将夜にとってはありがたい天気だ。
常人には足元も覚束ない暗さだが、夜に五感が冴える将夜にとっては、何の不自由もない。
「どうしても行くのか」
足音を殺して歩を進めていたところに、いきなり声を掛けられた。将夜は困ったように横鬢を掻く。
「見つかってしまいましたな」
「将さんたっての頼みだから、紺屋町の知り合い宛の紹介状は書いた。しかし、考え直す気はないかね。ここに
将夜は、直之の誠意溢れる目を正面から見つめると、深々と頭を下げた。
直之は、よせやい、とばかりに手を振り、
「もうわかった。だから、安っぽく頭なんて下げてくれるな。いい男が台無しだ」
そして、将夜の肩をぽんと一つ叩くと、言った。
「ただ、一つ約束してくれ。困ったら真っ先にこのおれを頼ること、いいね。――おっと、また頭を下げたりしやがったら怒るからな」
そこまで送ると言う直之を丁重に断り、将夜は一人で門の外へ出た。
通りには乳白色の、かなり濃い霧が流れていた。そのひんやりと膚に
うっかり眠りに落ち、しかもその間に日が昇ってしまったら動くに動けなくなる。これ以上直之や由利に迷惑をかけられないという気持ちに
ただ、一番大きな理由――
それは、瑠璃と顔を合わせたくないということだった。
『父上は……お前に伝えたのか。秘剣
昨晩の瑠璃の言葉が、将夜の胸に棘のように突き刺さっている。
戸田流剣法は戦国時代の剣豪・
奇妙なことに、重蔵はこの秘剣を養子の直之でも、己の血を分けた瑠璃でもなく、将夜にのみ伝えた。
今思い出しても、実に不可思議な秘剣の伝授であった。