第四十八話 南蛮神話に〈あんどろぎゅぬす〉なる者あること
文字数 1,033文字
むう、と柘植は呻いた。
無理もない。
徳川家ですら、王と名乗ったことは一度もない。実質上の力がどうであれ、名目上は京におわす天皇によって将軍職に任命され、謂わば天皇家に代わってこの国を治めるという体裁を採っている。
幕府転覆を謀ったとされる慶安 の変の首謀者・由井正雪も、自ら王を名乗ることはなかった。歴史を遡 っても、〈新皇 〉を自称した平 将門 の例があるくらいだ。この国において、王を名乗るのは、ことほどさように由々しきことなのだ。
「あの男は……王になるつもりでおるのか!」
柘植の顔が蒼ざめている。
「あり得ぬとは言い切れぬ気が致します。王に必要なものは、戦をするための兵と、子孫を残すための后 ではこざいますまいか。もしそうだとすれば、神崎将夜に斬られた無宿人と菊也では、与えられた役割が異なるのやもしれませぬ」
「無宿人は兵、菊也は后ということか。しかし、菊也は男であろう。あの男は衆道のみで女色に興味を示さぬのではなかったか。男色では、子は成せまい」
「いいえ、菊也は両性具有 でございます。今日、それを確かめました」
「な、なんと――」
「志乃の話に拠りますと、南蛮には両性具有の〈あんどろぎゅぬす〉と呼ばれる者から、男と女が分かれたという神話のある由にございます」
一つの身体に男と女の特徴を有する神聖な存在。男色家の源内が自ら王たらんと欲しているとすれば、ある意味、これほど后に相応しい者はないのかもしれぬ。
あんな無名の役者を何故かくまで贔屓にするのかという疑問も、その身体的特徴に価値を見出していたと考えれば納得がいく。
「こ、これは早急 になんとかせぬばならぬ。下手をすれば、幕府の土台骨を揺るがしかねぬ一大事となろう」
「問題は、源内の力が一体どの程度のものなのか不明な点にあります。真の意味で南蛮魔族に抗し得るのは、同じ魔力を持つ者のみではございますまいか」
「神崎将夜、か」
「はい」
「しかし、あの男を味方に引き入れるのは容易 いことではあるまい。事の真相――特に母親のことを知られれば、逆にお上に弓引く危険さえある。藪をつついて蛇、いや大虎を出してしまっては元も子もあるまい」
「それにつきましては、わたくしに聊か策がございますれば、何卒お任せいただきたく――」
柘植は腕を組んで目を閉じ、暫し黙考した。
ややあって――
「相わかった。やってみるがよい。儂らの中であの男を最もよく知るは、そなた故な」
柘植に見据えられて、桔梗は何故か己の表情を隠すように深く頭を下げた。
無理もない。
徳川家ですら、王と名乗ったことは一度もない。実質上の力がどうであれ、名目上は京におわす天皇によって将軍職に任命され、謂わば天皇家に代わってこの国を治めるという体裁を採っている。
幕府転覆を謀ったとされる
「あの男は……王になるつもりでおるのか!」
柘植の顔が蒼ざめている。
「あり得ぬとは言い切れぬ気が致します。王に必要なものは、戦をするための兵と、子孫を残すための
「無宿人は兵、菊也は后ということか。しかし、菊也は男であろう。あの男は衆道のみで女色に興味を示さぬのではなかったか。男色では、子は成せまい」
「いいえ、菊也は
「な、なんと――」
「志乃の話に拠りますと、南蛮には両性具有の〈あんどろぎゅぬす〉と呼ばれる者から、男と女が分かれたという神話のある由にございます」
一つの身体に男と女の特徴を有する神聖な存在。男色家の源内が自ら王たらんと欲しているとすれば、ある意味、これほど后に相応しい者はないのかもしれぬ。
あんな無名の役者を何故かくまで贔屓にするのかという疑問も、その身体的特徴に価値を見出していたと考えれば納得がいく。
「こ、これは
「問題は、源内の力が一体どの程度のものなのか不明な点にあります。真の意味で南蛮魔族に抗し得るのは、同じ魔力を持つ者のみではございますまいか」
「神崎将夜、か」
「はい」
「しかし、あの男を味方に引き入れるのは
「それにつきましては、わたくしに聊か策がございますれば、何卒お任せいただきたく――」
柘植は腕を組んで目を閉じ、暫し黙考した。
ややあって――
「相わかった。やってみるがよい。儂らの中であの男を最もよく知るは、そなた故な」
柘植に見据えられて、桔梗は何故か己の表情を隠すように深く頭を下げた。