その六 紫鏡

文字数 9,020文字

「今回の人は大丈夫…じゃなさそうね」
 パソコンの画面を祈裡が見ている。
「どうしてそう思う?」
 俺のポリシーとしては、基本的に募集に食いついた人なら誰にでもインタビューしている。正直怪しそうな人や話もあるにはあるが…。それは聞いた後で自分で判断する。
「だってこの人、名前以外一切記載してないんだよ? しかもその名前も、ジョウジマアオイって全部カタカナ…。絶対何かあるってこれ!」
「そういう人から、すっげー話が手に入るかもしれないんだぞ? 向こうから食いついてきた大物をみすみす逃すもんか!」
「はあ呆れる。いつか酷い目に遭うよこれは…」
 祈裡がそう言ったが、聞こえないフリをした。

 約束のカフェに来た。ここで三時の約束である。先に席に座って待つ。
「天ヶ崎、氷威さんですか?」
 声をかけてきたのは、中学生くらいだろうか。まだ幼さを捨てきれない顔の女の子だ。ワインレッドのワンピースを着ている。
「えーと、ジョウジマアオイさん?」
「はい。私が城島(じょうじま)(あおい)です。今、中学三年生です」
「君はどんな話を持ってきてくれたのかな?」
 聞くと葵は一度黙り込んだ。そして、
「…正直言うと、怖い話かどうかは…」
「それは俺が判断するよ」
「そうですか。なら話します。あ、でも、私が話したことは全部忘れて下さい」
 何を言う? いきなり意味がわからないぞ…?
「と、言うと?」
「私も話した内容は全部忘れます。というより、誰かに話して忘れるために来ました。もう覚えておきたくないんです」
 雲行きが台風より怪しくなってきた…。祈裡の言う通り、何かありそうだ。
「とりあえず何か飲もうか? ジュースは何が欲しい?」
「では、ファンタグレープで…」
 注文した飲み物はすぐに運ばれてきた。葵は一口飲むと、話し出した。
「氷威さんは、誰かが憎いと思ったことってありますか?」
「俺? いや、全然だな…。俺は孤児院の出だから、寧ろみんなに感謝しながら生きてるよ。」
「そう…ですか。そんなあなたが羨ましいです」
 もう一口ジュースを飲むと、本格的に話し出した。
「私の姉の話をします…」

 私には六つ上の姉がいました。(しおり)って言う名前です。歳が離れていたので、姉がどんな学校生活を送っていたのかは、正確にはわかりません。姉の一つ下に、(あきら)という兄がいます。姉と兄は毎日、学校での出来事を話し合っていました。
「なるほどね。なら葵さんは、二人の姉兄に対して疎外感を感じていたのかな?」
「それは無いです」
 寧ろ、姉と兄が楽しそうに話すので、毎日聞くのを楽しみにしていました。
 その会話の中で、頻繁に出てくる人がいました。仮にこの男子をRとします。聞く話が正しければ、確か小学三年生ぐらいでしょうか。姉とRは出会いました。
「その、Rって人が、葵さんが憎いって言う人?」
「…そうです」
「どうして憎いんだい?」
「理由は後で教えます」
 Rとは同じ水泳教室に通っていたと聞きます。最初の頃はRもさほど重要ではないと思っていました。同じ習い事に通うクラスメイト。姉はそういう認識だったと思います。
 でもある日、突然変わりました。
「Rが何かしたの?」
「はい」
 姉が急に、怪談話とかお化けとか、都市伝説とかを好きになり始めたんです。そんな様子は今まで見せたことがありませんでした。幼い私には、姉が他のことを趣味にしているようには見えませんでした。つまり姉は、怪談話に夢中になっていったんです。そしてこの頃から、Rが会話に出てくる頻度が急増しました。
「教えたRのことを気にするようになったってことだね。でもそのくらい、よくあることでない? そしてその後上手くいかなくなったからと言ってRを憎むっていうのは」
「違います。姉はRとは、中学時代も上手くやっていけたんです」
 私は姉ではありませんし、自分の主観も有りますから一概には言えないんですけど、姉はRのことが好きだったんだと思います。私が小学三年生の時、姉は今の私と同じくらいです。その頃はもう、毎日Rの話題が出ていました。
 当時の私は姉に勉強を教えてもらっていました。その姉が散々口にする、Rという人は一緒にいると楽しくて仕方がないのだろうと思いました。私もRに会ってみたいと思ったほどです。
 姉はRに対して、特別な感情を抱いていると思える行為をしていました。受け取った年賀状を、Rの物だけは自分の机の中に入れたり、アルバムから、Rが写っている写真を取り出したり。Rから借りた本を、抱きしめているのも見たことがあります。
「…ならそのRと、葵さんの姉は付き合っていたってこと?」
「……そうではないんです」
 確かに何度か、姉の口から、Rと付き合えたらって話は出てきました。中学時代に交際しても結婚までは行かないだろうとも言ってはいましたが、それは口先だけで本気で生涯を供にすることを考えていたかもしれません。
「今思えば、中学時代が姉の幸せの絶頂期だったのかもしれません」

 確かRは私立の高校に進みました。それは、公立に落ちたのか、最初から私立狙いだったのかはわかりません。姉は公立高校に進みました。
「違う高校になったってことだね?」
「はい。そこから地獄の始まりでした」
 姉の通っていた深瀬高校は、その年は県内の高校で一番倍率が高かったです。ですから合格した生徒はみんな、自分が勝ち組と思っていたようです。姉は違いましたが、他のみんなはプライドが高そうだって聞いてました。
 確か、一年生の夏頃だったと思います。姉が、いじめを受けていたことがわかったんです。
「どうして?」
「発覚したきっかけは、良く覚えていませんが、酷いいじめではなかったです。いじめられた理由が重要なんです」
 当時、学年で一番可愛いと言われていた古沢さんという女子がいました。古沢さんは一個上のサッカー部の先輩のことが好きだったようです。
「それといじめに、何の関係が?」
「その憧れの先輩と、Rは苗字が一緒なんです…」
 三ツ村先輩は、女子の憧れの的でした。古沢さん以外にも、夢中だった人は大勢いました。そんな状況で、姉と同じ中学校出身の人から、あることが知れ渡りました。
 三ツ村と城島は、中学時代からいつも二人でいる仲らしい――
 この話は間違ってはいません。きっと言い出した人も、同じ苗字の先輩がいることは知らなかったんだと思います。ですが、深瀬高校の人たちは、その三ツ村が本当は誰のことなのか、わかっていませんでした。
 中学時代から仲が良いなんて、大きなアドバンテージです。ましてはいつも二人でいるなんて。ですからそれを持っていたとされた姉は、多くの女子を敵に回してしまい、仲間外れや靴隠し、チェーンメールや迷惑メールなど、思いつく嫌がらせを全部受けました。深瀬高校に通っていた人は、自分たちは勝ち組なのだから、こんな女にどうして負けなければいけないのか、と思っていたと思います。
 そんな中でも姉は心を折ることなく、耐えていました。いつかきっと報われる日が来る、そう言っていました。そしてRが自分の元に来てくれるはず、と。
 いじめは、勘違いがわかるとすぐに終わりました。古沢さんは、謝罪のために私たちの家まで来ました。何度も何度も、泣きながら頭を下げていたことを覚えています。
「なら古沢って人の方が憎いんじゃ…」
「姉は笑って許していましたよ」
 この時私は、初めてRを憎いと思いました。
「だってそうでしょう? 姉は苦しんでいたのに、Rは結局現れなかったんですから。Rがすぐに現れれば、いじめはもっと早く、いやいじめられることすらなかったはずです」
 しかし、この古沢さんがお詫びの印として、取った行動が姉を追い詰めてしまったんです。
 姉は、Rから借りた本を一冊だけ、小学校時代に返すことができなかったことがあります。Rは泥棒とかを許せない性格だったらしいので、返却しなかったことで嫌われることを恐れたんだと思います。だから返すタイミングを逃してしまったんです。また、Rが大量に本を貸していたので、R自身が何を貸して何を返してもらっていたか、正確に把握してなかったらしく、その本を借りたままの状態であることはRにはバレませんでした。
 姉は、その本を毎日高校に持って行ってました。高校に進学して以来、Rとは連絡を取ってはいなかったので、Rのことを感じられる唯一の物だったんです。カバーは破け、所々変色し、ボロボロになりながらもいつも大事にしていました。
「古沢さんは、その本に込められた思いを知らずに、捨ててしまったんです…」
 古沢さんは姉にサプライズをしたかったんだと思います。姉に気付かれずに本をカバンから抜き取って、新品に変えておく。古沢さんはそうしました。良かれと思っての行為でしょう。古沢さんは、その本の内容が姉のお気に入りで、だから持ち歩いているという考えを持っていたようです。
 ですが大事なのは、本の内容ではなく、誰の本だったのか、なんです。
「この当時のことは、今でも鮮明に覚えています。姉は、今まで見せたことがないくらい、動揺していました。何も食べず飲まずの日が何日も続きました」
 いじめを耐えられた姉ですが、これには心が折れてしまったんです。大切な人の思い出の本。それを失った姉は、次の日から高校に行かなくなりました。
 また古沢さんが謝罪に来ました。ですが私の親は、古沢さんが何で悪いのか、わかっていませんでした。いや、あの場にいた全員が、理解してませんでした。姉は古沢さんに、何も言いませんでした。それは言い表せないほどの怒りがあったからではなく、ショックが大きすぎて何も考えられなかったからです。
「…そうか……」
「そんなことがあっても、やはりRは出てきませんでした」
 姉は立ち直れなかったので、一時的に地元を離れることになりました。この時点で姉は、深瀬高校を退学しました。姉の高校生活は一年もせずして終わりました。知っている人に現状を知られたくなかったので、祖父のいる、長野県で大検のために勉強していました。

「兄も深瀬高校に進学しました。兄は、姉は病気で入院中と嘘を言いました。みんな信じてくれたので、無駄な散策はされませんでした」
「葵さんは、そんな嘘を吐かせたのもRって考えてる?」
「いいえ。これは家族で決めたことなので…」
 ですが、私的に許せないことが四年前に起こりました。
「何が…?」
「Rを見かけたんです」
 Rは地元の体育館の近くのコンビニにいました。私は一目見た時に、これはRではないかと疑問に思いました。今まで写真でしか見たことがなかったので、その時に確信を持てなかったのが悔しいです。
「だって、R本人だってわかったのなら、その場で問い詰めることができたんです…」
 私はRかもしれないと思いながら、観察していました。すると、同い年くらいでしょうか、女性がやってきました。そしてRとその女性は、地元の体育館に入って行きました。
「家に帰って姉の卒業アルバムを見て、やっと確認が取れました」
 茶髪で、猫背で、白い肌…。間違いありませんでした。Rでした。一緒にいた女性はRと同じ部だった葛西さんでした。
 私は、たとえ間違っていたとしても、その時にRに接触していればと後悔しました。ですが、すぐにその感情は消えました。
「何で姉は苦しい生活を送っているのに、青春を失ってしまったのに、どうしてRは笑っていられるの? どうして姉ではなくて、葛西さんと一緒にいるの?私は今までに感じたことのない怒りを覚えました」
 その後Rを見かけることはありませんでした。このチャンスさえ逃さなければ、あんなことにはならなかったのかもしれません…。
 兄とRは高校が違ったので、その後のRの情報も途絶えました。

 姉は優秀でした。大検に一発で合格して、都内の大学に進学しました。二〇一三年のことです。この年にはRも、浪人していなければ大学生になっているはずです。また、この時私の家族は山尾花から長岡に引っ越しました。転勤も理由の一つですが、姉のことを隠しきれないという思いもありました。
「姉は大学生活を、満喫していたと思います」
「思います、というと確定じゃないよね?」
「はい…」
 上京してから、あまり連絡をよこさなかったからです。でも今まで辛かった分、楽しんでいるのなら邪魔はしないことにしました。
 私たちは、夏も冬も春も姉が戻ってこないのは、向こうでの生活が幸せだからだと思っていました。
「でもそれは、致命的な勘違いだったんです」
 次の年のことです。古沢さんがいきなり家に来ました。どうしたのかと思いましたが、急いでいることだけはわかりました。
 古沢さんは、姉と同じ大学に進学していました。学科は違ったようですが、会う時は会ってたらしいです。そして姉の高校時代のことには一切触れないようにしてくれてました。
「いじめていたのに、そんなに親切に? 本当は優しい人なんだね」
 古沢さんが言うには、二十歳の誕生日を境に姉が大学に来なくなったとのことです。それどころか電話にすら出ず、一人暮らしのアパートからもいなくなったのです。
「私と母親は、姉のアパートに飛んで行きました」
 鍵はかかっていませんでした。しかし、部屋は荒らされた様子はなく、寧ろ綺麗に片付いてました。冷蔵庫には、次の朝に食べるつもりだったであろうチョコパンすらありました。
「な、何で、急に?」
 その時には理由はわかりませんでした。母親はすぐに捜索願を警察に出しました。もしかしたら帰ってくるかもしれないと、母親はアパートに残り、私だけ先に長岡に帰りました。
 帰る時、私は姉の机の引き出しから、あるものを持ち出しました。
「姉の、日記帳です」
 帰りの新幹線の中でカバンから取り出しました。でも、読む気になれませんでした。また、いじめがあったのかもと考えると一ページも開けませんでした。
 一週間経って、母親が帰ってきました。それから一か月経っても、何もわかりませんでした。
 私は古沢さんに個人的にメールを送りました。
「何でもいいから、姉の様子を教えて欲しいと言いました」
 古沢さんは学科が違いながらも、姉と関係がありそうなことを全部教えてくれました。一度だけ、姉の部屋に行ったことがあったそうです。私はそれについて詳しく聞きました。一年目の十月のことでした。姉と古沢さんと、他に三人ほど友達を混ぜて女子会をしたそうです。
「彼氏はいるのかとか、誰が好きだとか、そういう話題で盛り上がったらしいです」
 その時に姉がした話ですが、
「誰にも言ったことがない話がある」
 一度だけ、そう言ったんです。その時にはお酒を交えて話していたので、誰もが冗談で言っていると思ったらしく、深く聞くことはしなかったと言ってました。
「私はその一言に、何かあると思いました」
 それは、私にも兄にもしたことがない話なのかもしれません。だから、手がかりも心当たりもありません…。
「一つだけ、ありました」
 私は、自分の部屋に閉じこもって、姉の日記帳を開きました。姉の日記は二年前から始まっていました。最初は、勉強が大変だとか、母親の料理が食べたいとか、兄と一緒に泳ぎたいとか、私と一緒に勉強したいとか、そう言うことが毎日書かれていました。
「もちろんRのことについても、毎日のように書かれていました」
 例えばどこかに行ったときには、Rも行ったことがあるのかな、とか、何か楽しみがあると、Rと一緒に行ってみたいとか、そういった感じに書かれてました。
 大学生になると、Rも大学生に入ったのかなとか、昔みたいに昆虫採集してるのかな、といった記載も増えてきました。
「じゃあ誰にも話していないことは、日記には書かれてなかったってこと?」
「五月十三日…。姉の十九歳の誕生日から、日記の内容が変わってきました」
 その日の日記には、こう書かれてました。

 あと一年。忘れないと私、本当に死んじゃうのかな? Rも覚えているのかな? 忘れないといけないけど、そしたらRのことも忘れてしまいそう。

 意味不明でした。
何を忘れるの? 何で死ぬの? それにRがどうして関係あるの? そんな話題、姉は一度もしたことがなかったです。
 私は日記を読み進めました。すると、その話について段々わかってきました。
 その言葉を二十歳まで覚えていると、その時に死んでしまうこと。
 その言葉は小学生の時に、Rから教えてもらったこと。
 その言葉を姉は、一度も忘れたことがないこと。
 その言葉を中学時代は、Rにはいつも言い続けていたこと。
 その言葉は忘れるべきだけど、Rと関係あることは忘れたくないとのこと。
 その言葉を言えるのは、この日記の中だけとのこと。
「なるほどね…。お姉さんとRの間にある、二人だけの秘密みたいなものか。その言葉、ここで教えてはくれない? 希望があれば公表はしないよ」
「…できません。呪いが本当なら、私で終わらせるつもりです。他の誰も、巻き込みたくないんです」
 そして二十歳の誕生日が近づくにつれて、日記はその言葉の話題しか書かれなくなりました。違うことが書かれるとしたら、Rのことだけでした。
「でもどこか、何か見えない未来に希望を見出そうとしているところはありました」
 死にたくないとかは書かれてませんでした。それどころか呪いに抗えたら、Rと会いたいとも書いてました。
 私は一度日記を閉じました。これを読んでいっても、姉にはたどり着けないのではないかと疑問に思ったからです。それに呪いで人が死ぬなんて、考えられません。

 その後半年ほど経ちました。姉は行方不明のままでした。
「Rの誕生日は、姉の日記に書かれていました。私は、Rの方こそ呪われるべきだって去年の十月二十八日に思いました」
 その時に、ふと頭に浮かんだんです。あの呪いの言葉。そして、姉の日記を最後まで読んでいないことも思い出しました。
 私は日記を取りだして、読みました。
 日記は五月十二日までは、前に読んだ内容と雰囲気は変わってませんでした。
「でも、姉の二十歳の誕生日…。書かれていることに目を疑いました」

 今までずっと誤魔化してきた。本当は、Rはもう私の目の前に現れてくれないこと、昔からわかってた。それでもRのことを考えずにはいられない。きっとこれが私に与えられた、呪いの真価なんだ。もうこれ以上生きても不幸しか私には訪れない。死後の世界があるというのなら、先に行ってRのことを待とう。そっちでなら誰も、私がRと一緒にいることに文句は言わないだろう。

「それは、本当にお姉さんが書いたの?」
「はい。確かに姉の字でした」
 家族には見せていません。見せられるものではありません。
「じゃ、じゃあ、葵さんのお姉さんは……」
「…多分、そうだと思います」
 姉は、呪いの言葉を信じてしまい、自分が呪われていると思い、死を選んだんだと思います。思い返せば姉の人生は苦難だらけでした。ずっとRのことを思い続けたにも関わらず、その想いは報われることがなく、ただ自分が苦しむだけの人生。
「こんなことを言うのは、とは思いますが、言わせて下さい。もしもRが呪いの言葉を教えなければ、いや姉がRと出会わなければ、たとえ同じ人生であったとしても姉は自分が呪われているなんて考えなかったと思います。そこまですることはなかったと思います」
 だからこそ、私はRが憎いです。Rが今、どこで何をしているのかは、わかりません。でも、本来なら自分に向かうはずだった呪いや不幸を、Rは全部姉に押し付けたんです。そんなことをされて、許せるはずがありません。
「………そういう事情があるのか…。でも、Rもそれで苦しんでるんじゃないの?」
「Rにとって姉は、ただの身代わり…。大切に思っているなら、苦しんでいるなら、どうして会いに来ないんですか!」

「すみません、いきなり怒鳴って。でも、私はRのことがどうしても許せないんです」
「大丈夫だよ。周りのお客さんもホラ、気にしてないみたいだから」
 葵に何を言っていいのか、俺にはわからなかった。今の彼女には、どんな言葉を言ってあげても、慰めの言葉としか受け取らないだろう。
「…氷威さん、今話したことはどうしても本にしないといけないのですか?」
「そういう方針だから…。一応名前は仮名にはするけど…」
「私、呪いの言葉を忘れられると思いますか?」
 あと五年。その間、姉の死の真相を自分の中にだけ留める…。そして姉が想いを寄せた人を憎む…。自分が助かりたいなら、それら全てを忘れなければいけない…。
 俺は口には出さなかったが、答えがわかっていた。葵の服装、注文したジュース。もう葵は、この呪いに魅入られてしまっている。

 取材が終わり、民宿に帰って来た。葵から聞いたことを一通りまとめる。
「どうだった? 彼女は?」
「一種の都市伝説が、本当かどうか…」
「は?」
 恐らく葵の言う、呪いの言葉は自分も知っている。よくある怪談話の一種であったはずだ。その言葉に力があるかどうかが重要ではない。自分が呪われていると自覚してしまうかどうかなのだろう…。
「葵さんはまともな人だったよ。きっと本当は、心のどこかで彼を許してあげたいんだと思う。じゃなければ今日、俺に話すと思うかい?」
 俺だったら話さない。憎い相手は心の中だけで恨むと思う。でも葵は、そうではなかった。許せないけど、Rのことが気がかりでもあるんじゃないかな?
会ってくれなかった。それは裏を返せば、Rに姉と一緒にいて欲しかったって意味だ。
「…いまいち状況がわからないー。一旦寝て、明日教えてよ」
「わかった」
 今日はもう寝よう。でもその前に、まとめた文章の最後に一文を追加した。

 彼女が呪いから解放される日を願ってやまない。
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