その六十六 盗られるくらいなら

文字数 5,229文字

「別に幽霊を見たわけじゃないけど、それでもいいんだよね?」
「もちろん。怖ければそれでいいのさ!」
 たまに、心霊現象が絡まない話が出てくることがある。それでも、ゾッとすれば。怖いと思えるのなら、階段だと俺は思っている。
「怖い思いには、変わらないけど……」
 里中(さとなか)実華梨(みかり)はそう言い、この話を教えてくれたのだ。
「怖いというよりは、恐ろしい? でもそれも、怖い、ってことか」
 内容は送られてきたメールに書かれていた。
「人の心の醜さというか、知らない方が良かったというか……」
「誰しも、心に悪魔が住んでいると言うから。私も、そしてきっとあなたも」
「だろうね」
 俺は否定しなかった。
「じゃ、そろそろ詳しい話を聞かせてくれ」
「はい」
 ノートパソコンの電源を入れて、立ち上がったらゴーサインを出す。実華梨は過去のことを思い出しながら、詳細を教えてくれた。

 高校時代まで私は、叔母の家に家族で住んでいた。そこには一個上の従姉、馬場(ばば)耀子(ようこ)と一個下の馬場(ばば)高輝(こうき)がいた。私の家族は三人で、従姉弟たちは四人。計七人で物心ついたころから暮らしていた。
 幼い頃は、同じ学校だったことから休み時間によく遊んでいた。年齢が近いこともあって、学校のどの友達よりも仲が良かった。
「高輝、あっちで縄跳びしようよ!」
「いいよ。なら耀子も呼んで」
「うん!」
 私は、高輝のことが結構好きだった。実の弟のように可愛がっていたし、高輝も私のことを本当の姉のように慕ってくれた。
「高輝に実華梨、はやぶさできる? 私はできるぞ!」
「すごい!」
 でも、私には越えられない壁があった。それは耀子のことだ。耀子は高輝と、非常に仲が良い。
 実は私が高輝のことを誘った時、高輝には耀子を呼んで欲しくなかった。二人の姉弟仲はとても高く深く、私が入る隙がないのだ。もし二人が血の繋がった姉弟でなければ、交際しているだろうと思うくらいには仲が良いのだ。
(高輝が言うんだから、我慢我慢……)
 だけど高輝の嫌な顔を見たくない。だから私は、耐えた。
 正直、この時期の私は高輝のことを男性として見てはなかった。ただ、年齢が近く弟のような存在だった。

「いとこ同士は結婚できるんだ?」
 中学になって授業で、そう学んだ。この時私は、初めて耀子に勝ったと思った。
(耀子は姉だから、絶対に結婚できない! でも私は従姉だから、法律上何も問題ないんだ、やった!)
 キッカケはこんな適当なことだったけど、その頃から私は高輝のことを異性として見始めていたと思う。
「実華梨って好きな人とかいるの?」
「う~む、いないかな?」
 同級生にそう聞かれた時、もちろん誤魔化すのだけど、頭の中では高輝のことを想像していたし、その自分の考えも否定してなかった。
(やっぱり私、高輝のことが好きだなぁ…)
 家に帰り自室にこもると、そう感じた。当時の日記帳を開くと、こうある。
「私は多分、高輝のことが好きだ。でも、耀子のことが気になる。私が高輝を好きと言ったら、耀子は絶対にいい顔をしないだろう」
 やはり、姉弟の仲という壁が私にとってとても高い。その姉弟の絆を引き裂くことは、私にはできなかった。
「高輝と結婚したい!」
 何て言い出したら、耀子が般若になってしまうくらいには怒るだろう。額から角が本当に生えそうだ。
 でも高輝のことが好き。そういう感情を抱き続けた結果、私の中で高輝が基準になっていた。要するに誰か男子を見ても、
「高輝の方が良い」
 と思ってしまい、魅力を感じなくなってしまうのだ。

 その拗らせた定規が起こした事件が、高校時代にあった。
「実華梨、先週の水曜日に告白されたんだって?」
 耀子と高輝と私は、それぞれ違う高校に通っていた。だから、バレないと思っていたのだ。しかしどうやら同じ中学出身の先輩が耀子に教えたらしい。
「優良物件だったのに、断ったって本当?」
「うん」
 そして耀子の話は事実。私はその日、男子に呼び出され告白された。嬉しかったのだが、その男子に魅力を感じられなかったので断った。
「だって、高輝がいいからさ。高輝がいいから、断った」
 今のところは、高輝に勝る人がいない。告白してくれた彼も、高輝以上の人じゃない、もし付き合うなら、高輝以上の人じゃないと私が好きになれない。そういう意味が、耀子への返事には込められていた。

 でもその込められた意味は、話してないので当たり前だが私しか知らなかった。
 数日後のことである。
「あれ、母さん。耀子と高輝は?」
「知らないの、実華梨? 二人は海に、釣りに行ったのよ? 夕飯になる魚を釣り上げてくれれば、今日の晩御飯になるんだけど……」
 その日、朝から二人の姿を見かけてなかった。どうやら私を誘わずに、二人だけで釣りに行ったらしいのだ。
(耀子と高輝は姉弟なんだし、、水入らずってことで私はいらないか!)
 私はそう思って納得した。だが、
「遅い、わね……」
 時計の針を見た。もう、七時を過ぎている。それなのに帰って来ないのだ。
「実華梨、電話してみて」
「うん」
 すぐに耀子に電話をしたが、何度コールしても繋がらない。高輝の携帯にもかけたが、結果は同じだった。
「駄目だよ母さん、出ない。二人とも……」
 探しに行こうかと私は申し出た。でも外はもう日が暮れて暗く、夜の海辺は危ない。
 母、父、叔母、叔父と話し合った結果、
「何かが起きてからでは遅い! ここは警察に任せよう」
 通報した。
 だが最悪の結果が、二日後にやって来てしまう。耀子と高輝の遺体が、浜辺に打ち上げられたのだ。その報せを聞いた叔母と叔父は、終日泣いていた。私も、
「まさか、こんなことに……」
 絶望した。つい最近まで仲が良かった従姉弟たちが、水死したのだから無理はないだろう。
 これは遺体が発見された当日に母から聞いた話なのだが、
「耀子ちゃんが高輝君のことを抱きしめるようにして、亡くなっていたわ」
 姉として、最後まで弟を守ろうとしたのだろう。死は免れなかったが、最後の最後まで耀子は高輝の姉であろうとしたのだ。
 この事件を機に、私の家族は叔母の家から遠くのアパートに引っ越した。経済的に困っていたからではない。父曰く、
「娘と息子を同時に失ったんだ。そこに実華梨がいると、何か……気まずいって言うか、嫌がらせな感覚がある。父さんたちはアパートで十分だ、実華梨は高校に電車で通ってるんだから」
 叔母と叔父を気遣った結果だ。馬場家には命日に線香をあげるくらいにしか行かなくなってしまった。

 あの事件から、十年が経った。私は社会人になって、その年の命日に仕事が入ったために、
「叔母さん、早いけど今月末に行くね。お土産持っていくから。お茶もお菓子もいらないよ、すぐ帰るし」
 事前に電話し、そしてその日に叔母の家を訪れた。
 線香をあげた後にすぐ帰ろうと思ったが、
「もう、十年経つんだね……」
 節目の年だからか、私は叔母に頼んで、二人の部屋に入らせてもらうことに。その二つの部屋は、時が止まって十年前から変わっていないらしい。
 まず、高輝の部屋だ。高輝はサッカー部だったので、当時ファンだったチームのポスターが壁に貼ってあった。机の上はあまり整頓されてなく、筆記用具やゲーム、参考書や雑誌がごった返していた。
 本棚も見てみた。アルバムの横に、日記帳がある。
(他人の日記を覗くのは……)
 私は躊躇って、伸ばした手を引っ込めた。もし、
「実華梨はあまり好きじゃない」
 と書いてあったら、無駄に傷つく。そういう意味もあった。
 次に耀子の部屋に入った。次の日に提出するために書いていたであろう、進路希望の紙が机の上に置いてあった。何度も消しゴムで消した後もある。その後に一通り、部屋の中を見てみる。
「……ん、あれ?」
 違和感に気づいたのは、本棚を見ていた時だ。アルバムの隣に、空きがある。
「ここにあったのは……? 日記帳? そう言えば……」
 机の上にもなかった。耀子も日記をつけていたし、叔母も叔父も一切いじってないらしいので、この部屋に必ずあるはずなのだ。それが、ない。
 私はその、耀子の日記が気になった。クローゼットの中や棚なども徹底的に探すと、
「あった!」
 ベッドの上、枕の下に隠されるようにそれが置いてあった。寝る時にそこにあると、絶対に頭が痛くなるであろう場所だ。だからこれは、誰かが耀子の死後にそこに隠したのである。
 手に取った時、緊張した。正直、開くかどうか悩んだ。でも、
「隠す必要があるようなことが、書かれてるの?」
 好奇心が勝ってしまい、私は読むことにした。
 内容は、まあありふれた日記って感じだった。一ページに一日分、学校や家での出来事が、耀子の視点から書かれているのだ。でも、
「実華梨が今日、高輝と話していた。仲良さそうだったのがシャク」
「高輝が実華梨の髪型について話している。私の方をもっと向いて欲しい」
「ウザい、アイツ」
「何で同じ家にいるんだろろう? 邪魔」
「同級生に告白されたんなら、素直にOK出せばいいじゃん。まさか高輝のこと、本気で狙ってる? キモい」
 意外なことに私への愚痴が、毎日最後の行に書かれていたのだ。
「耀子、私のこと、そう思ってたんだ……」
 悲しい。自分の中では、仲良くできていたと思っていたのに。
 そしてその日記の最後のページ……二人が釣りに出かけた前日の記載だ。
「盗られるくらいなら」
 としか、書かれていなかった。
「え、何? 盗られるくらいなら、何?」
 わからない。誰に何を盗られるのか。
 その時だ、
「実華梨ちゃん……」
「あ、叔母さん」
 叔母が私の様子を見に来ていた。私が日記を持っていることを見た叔母は、
「やっぱり、話さないといけないよね」
「何をなの?」
「十年前の、真実を」
 叔母は食卓の椅子に座り、テーブルの上に日記を置いた。
「叔母さん。この文、私のこと言っているんだと思う。でも、私が耀子から何を盗るの?」
「全部教えるから。覚悟はいい?」
「はい?」
 私が困惑していたのだが、叔母は話を始めてしまう。

 司法解剖の時、叔母と叔父は警察に呼び出されたらしいのだ。
「娘さんの死因は溺死で間違いないのですが……」
「どういう意味ですか?」
「普通、溺れると肺に海水が入りますよね? 溺死なので当たり前です。なのですが息子さんの方は、全くと言っていいほど肺に水が入ってないのです」
「そ、それって、え?」
 それが意味することは、一つしかない。
「息子さんは海に落ちる前に、死んでいます」
 警察はさらに写真を見せる。それは高輝の首筋。
「ここ、です。ここに、何か紐状なもので首を絞めた痕跡と、吉川線…ひっかき傷があります。つまりは息子さんは、絞殺されています」
「でも、誰にですか?」
「桟橋の足跡も調べたのですが、二人以外に人はいませんでした」
 耀子は溺死だが、高輝は絞殺。そして現場には二人以外の人はいないそもそも釣りに行ったことを、家族以外知らないのだから。
 それらの証拠が指し示す事実は一つだけだ。
「おそらく、娘さんが息子さんを殺した後、遺体を抱きしめながら海に飛び込んだのでしょう。これは無理心中です」
「………………」

 耀子が無理心中を図った。それが十年前の真実だったのだ。
「そんなことが、本当に……」
 だとするなら、耀子が残した一文の意味がわかる。
「実華梨ちゃんに高輝を盗られるくらいなら、殺して一緒に死んだ方がマシ。耀子はそう思ってしまったのね……」
 ということだ。
 だとすると高輝を抱きしめて死んでいた耀子の行為の意味も変わる。姉として弟を守るためではない、誰にも弟を盗られたくないからだった。

「どうして耀子が死を選んだのかは、わからないわ。日記にも死をほのめかすことはどこにも書かれていなかったから。でも私のせいな気がするの」
「それは、何で?」
 俺が実華梨に聞くと、
「同級生に告白されたって、言ったでしょ? 私が言ったこと、覚えてる?」
「確か、高輝がいいから断った、だよね?」
 その言葉に、原因があるのではないかと実華梨は推測している。
「私は、高輝よりも魅力がないと駄目って意味で言ったよ。でもそれを聞いた耀子の方は、違ったんだ…」
 実華梨の中での意味と、耀子が解釈した意味が異なっていたということだ。多分、
「高輝のことが本気で好きだから、高輝のことしか男子として見れないから、高輝がいいから断った」
 と、理解してしまったということだろう。
「それは、辛いな……」
「私も、知った時は動揺して仕事に支障も出たよ。ちゃんと伝えてれば、結果は変わったのかな?」
 いや、そうではないだろう。耀子は最終手段であろう心中を選んでしまう人物なのだ。その日に行動に出なかったとしても、いつかは高輝を殺害し自分も死を選んでしまう。それが早かっただけだと思うのだ。
 実華梨もそう感じているらしく、二人の死は避けられない運命だったと無理矢理納得して動揺から立ち直ったと言う。
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