その三十一 死んだ幼馴染

文字数 5,526文字

 中尊寺金色堂というのは、本当にキラキラしているお寺だ。鈴茄が見に行きたいと言っていたのがわかるよ。写真撮影が禁止なために、記憶に焼き付けるしかないのが非常に残念で仕方がない。
「やあ。俺は奥州(おうしゅう)藤原(ふじわら)晴澄(はるすみ)。生まれてこの方、平泉から出たことはないぜ?」
「奥州…? その藤原氏って滅んだんじゃなかったっけ?」
 俺は高校時代、日本史でそう習った。だが晴澄は、
「フフフ…。果たしてそうかな?」
 と、曖昧な返事をするのだ。この際、その真偽はどうでもいい。俺の目的は怪談話であって、歴史の真偽を暴くことではないのだ。
「で、聞かせてくれる話ってのは…」
「ああ。俺が体験した話だよ。言っておくけど実話だぜ?」
 それで怖がらせているつもりなのか。
「作り話じゃ面白くも怖くもないからなあ?」
 あえて挑発に乗ってみる。すると、
「肝は流石に据わっているようだ…。だがそれもいつまで持つかな?」
 向こうは自信満々にそう言うのだ。流石にいつまでも張り合うのは、大人じゃない。だから俺は、
「じゃあ、早速その話に移ろうぜ」
 と言って、彼を促した。

 俺には、幼馴染がいた。名前は春枝(はるえ)。春枝とは幼稚園時代からの付き合いで、家も隣同士だった。
「ええ~。また晴澄と同じクラス?」
「俺だってもう飽きたぜ! でも俺のせいじゃないんだから我慢しろよ」
 小学校六年間、違うクラスに配属されたことはない。しかも出席番号も近いために、どうしても最初の席は隣同士だ。
「また春枝と一緒の席か…。これで何度目なんだ?」
「そんなの私が聞きたいよ~」
 俺は春枝の前では彼女に悪態を吐いていたが、内心ではすごくホッとしていた。
(他の誰かが隣になるよか、ずっとマシだ。春枝は信頼できるし、一緒にいると安心できるからな…)
 彼女の方はと言うと…俺と同じような態度なんだ。みんなの前では言い争ったり、テストの点数や徒競走のタイムを競ったりするけれど、帰り際には一緒に下校する。その時はお互いに何も文句は言わない。手をつないで帰る日だってあったぐらいには仲が良かった。

 俺と春枝の仲の良さは、周囲にも知られていた。
「晴澄、昨日も一緒に帰ってただろ? 僕は見たぞ」
「あちゃ~見られてたか」
 クラスメイトの男子が目撃していたらしいけど、冷やかすようなことは特には言われない。まるで当たり前の光景でも見たかのようだ。
「先生も驚いてんだよな、二人の仲の良さにはさ」
「なんたって幼稚園からの腐れ縁だしな」
「羨ましいよ。僕なんて転校生だから、特別仲の良い人がいるわけでもないし…」
 周りの目は、温かかった。どうやら春枝の周囲も同じらしく、俺たちのことを見守ってくれた。

 小学校の修学旅行の時、俺は夜に仲間と喋っていた。
「お前の好きな人は誰だ?」
「隣のクラスの尾関君の意中の人なら教えられるぜ?」
「そんなの知っても意味ないだろ! お前の好きな人が聞きたいんだ!」
 参加者がたった四人しかいない暴露大会は、そんなピンク色の会話で溢れる。
「でも晴澄はもう決まってるからいいよなあ」
「んんん? どういうことだ?」
「だって、お前はもう春枝と結婚するようなもんじゃん!」
「何でだよ?」
「なんでもかんでもあるかよ! あんなに仲いいのにくっつかないのはおかしいだろ? 晴澄の運命の人は春枝って生まれた時から決まってんだ」
 そう言われ、俺は慌ててすぐに、
「でも待てよ! 人生何が起きるかわかんねんぞ! 俺も全くの別人と結婚するかもしれないし!」
 と言った。だが、心のどこかで、
(春枝となら、いい家庭が築けるかもしれないな…)
 とも思っていた。
 その夜は、他の人の意中の人の情報も色々と回っては来た。だが、俺に関しては、
「結婚式には呼んでくれよ」
 としか言われなかった。

 時間は早く流れる。気がつけば中学生だ。
「流石に、九年連続同じクラスってことには…」
 謎の期待を寄せたが、結局は運命には逆らえないらしい。俺が自分のクラスに行くと、既に隣の席に春枝は座っていた。
「まさか、また晴澄と同じとは…」
「俺だって驚いてるぜ」
「私もよ。でも、よろしくね」
 笑顔でそう言われると、照れてしまった。
「な、何を今更かしこまって!」
 この時から、春枝に接する時に嫌に緊張を隠せなくなってしまった。今までのような扱いは、何故だかできなかった。いつもなら、文句を言った揚げ足取ったりをお互いにするはずなのに、春枝もしないし俺もできない。
「それは成長だよ、晴澄」
 友人の一人がそう言った。
「今までが駄目だっただけさ。もう春枝のことを古くからの友達としてではなく、立派な異性として見ているんだ。だからけなすことなんて、できないんじゃないか?」
 その言葉は、重かった。
「そうか…。俺は春枝と一緒がいいのか…」
 この年になってようやく、俺は自分の恋心を自覚した。
 それからは、春枝の高感度を下げたくないという思いも生まれた。ふざけたことはできないし、先生に叱られるようなことももちろん論外だ。逆に、試験勉強やら運動会やらでいつも以上に頑張れた。
 そしてその年が終わるという時に、俺は春枝と二人だけで初詣に行った。
「随分と長い間一緒にいる気がしたけど、二人きりってのは初めてかもね」
「そうだな。俺も初めて緊張していて、中々手が動かない…」
 必死にポケットに入れて隠しているが、実際には手をつなぎたいのだ。でも、恥ずかしさを感じてしまい、手がポケットから抜けないのだ。自分はなんて小心者なのだろうと感じた。
「えい!」
 すると春枝が、俺の腕を引っ張って手を出させた。そしてその温かい手で握ってくれた。それだけで、冬の寒さは吹き飛んだ。
「今年も、これからもよろしくね!」
 あの笑顔を俺に見せてくれた。
「わかってるよ!」
 俺も不器用ながら笑顔を作って返事をした。

 その後の中学生活は、まあ勉強が難しくなったり、部活も激しさを増したりして大変ではあったけど、春枝がいてくれたから乗り切れた。今思えば、あの日々は黄金よりも眩い輝きを放っていただろう。戻れるのなら戻りたいぐらいだ。

 何故なら、不幸は本当に突然訪れるから。

 同じ高校に上がって、一緒に勉強した。でもその日は俺の母が外出の予定があり、そして父も出張だった。だから俺は友達と遊んでから帰ることにしたのだ。
「楽しんできてね。私、先に帰ってるから!」
「おう! 気をつけてな!」
 それが、春枝と最後にした会話。
 その日の夕方、友達たちとファミレスに行った時だ。携帯に何件もの連絡が入っていることに気がついた。
「ちょっと失礼」
 俺はそう断って、席を離れて電話をかけた。相手は、春枝の母親。
「…………なんだって!」
 俺は小母さんから用件を聞くと、すぐに席に戻って荷物を取り、飯を食べずに病院に向かった。
 だが、遅かったのだ。そこにあったのは、春枝の遺体。
「嘘だろ…?」
 死んでいるのが嘘だと思えるぐらいの、綺麗な死に顔だった。明日にでも目を覚ますんじゃないか、本気でそう思った。
 事故だった。信号無視の車に春枝は跳ねられたのだ。打ち所が悪かったらしく、病院に担ぎ込まれた時には既に意識がなかったとのこと。
 春枝の家族は泣いていた。俺も声が枯れるほど泣いた。本気で後を追うことも考えた。けど、
「晴澄君には、春枝の分まで長生きしてほしい」
 と向こうの家族に言われたので、思い留まった。
 春枝の葬儀には、今までの友人たちも顔を出してくれた。みんな、その死に心を痛めていた。そして俺とは顔を合わせようとしないのだ。多分、かけてやる言葉が見つからないのだろう。
「かわいそうに」
 とも言えないから、みんなうつむいて俺の目の前を通るのだった。

 人間ってのは本当に残酷で、人が死んでも悲しみから立ち直れてしまうのだ。現に俺も、最初の内は学校に行くことはおろか、布団から出ることができないぐらい落ち込んでいた。しかし時間が経つと、徐々に前を向き出した。
「もし春枝が生きていたら、今の自分を笑うだろう。だらしないって、そんな晴澄は見たくないって」
 なんとなく、隣に春枝がいたらそう言うと思った。だから俺はちゃんと生活を送り、学校にも行った。
 それと同時期、不思議なことが起こるようになった。
「あれ、ここに置いたと思ったけど…?」
 よく、部屋に置いたものが移動しているのだ。シャーペンだったり消しゴムだったり。それだけじゃない。朝起きると布団が上下逆になっていることもあった。これはおかしなことだ。俺は部屋が汚くならないように、置き場を決めているのだが、それから大きく外れるところに物が置いてあるのだ。それまでの人生で、経験したことがない現象だった。まるで誰かが、俺がいない間に部屋に侵入して、いじっているみたいだ。でも、家族がそんなことをするわけがない。
「疲れてるのかな…」
 思えば、春枝の死から自分に無理をさせていたのかもしれない。無理矢理心を奮い立たせた反動を受けているのだろう。俺はそう感じた。

 そしてその日も、物の場所が変わる現象に疑問を抱きながら布団に入って寝ることにした。
 その時、俺は夢を見た。
「春枝…?」
 見覚えのある後ろ姿だ。間違いない、春枝だ。
「春枝じゃないか!」
 俺は喜んだ。夢の中で会えるなんて、思ってもみなかったのだ。
 でも、
「来ちゃダメ!」
 俺が近づくと、春枝は大声でそう叫ぶ。
「何でだよ! 俺はお前が死んでから………何度会いたいと思ったことか! もうひとりぼっちにさせるもんか!」
 俺も大きな声で叫んだ。
「……本当に?」
「本当だ! 俺には春枝しかいないんだ。昔みたいにさ、こっちに来て、話そうぜ! 前はいっつも一緒だったじゃないか!」
「いいの…? 一緒にいて………?」
「駄目なわけないだろ!」
 俺がそう言うと、春枝はやっと振り向いた。
「……!」
 その顔は、俺の知っている春枝じゃなかった。血だらけで、いかにも死人って感じの顔なのだ。
「一緒にいてくれるんだよね、晴澄は?」
「あ、ああ…」
 恐れから、俺は後ろに下がってしまった。春枝が近づいて来るだけで、血の臭いを感じた。雰囲気も、生きている人間って感じがしない。
「何で後ろに下がるの?」
「い、いや別に…」
「ねえ、一緒にいてくれるんだよね? だったら私と一緒に、川の向こうまで行ってくれるよね?」
 何を言っているかは、その時はよくわからなかった。でも今思い返してみれば、多分三途の川のことなのだろう。
「どうしたの? 私のこと、どうでもいいの? 一緒にいてくれるんじゃないの!」
 鬼気迫る表情で春枝が俺との距離を縮めてくるので、俺の足は無意識の内にまた数歩、後ろに下がったのだ。それを春枝は見逃さない。
「ねえ嘘なの? 一緒にいたのは、全部嘘だったの? どうして逃げるの?」
「ち、違う! 俺はまだ死んでない。だから春枝と一緒にはいられないんだ!」
「一緒にいら…れ…な…い…?」
 すると春枝の顔は、見る見るうちに般若の形相に変わる。俺はこの時、春枝に殺されるんだと思った。
 でも同時に、違うことも思ったんだ。
「そうか…。俺が悪かった。寂しい思いをさせてしまったね。俺は立ち直ろうとしたけど、それはある意味、春枝のことを忘れること。それは、しちゃいけない…」
 逆だ。俺は前進し、春枝のことを抱きしめた。
「え………」
 春枝は困惑していたが、俺の思いは変わらない。
「もうひとりぼっちにはさせないよ。ごめんね、悲しい思いをさせてしまって…。でも、もう大丈夫。絶対に春枝のこと、忘れないから…」
「晴澄…?」
 さっきまでの顔が嘘のように、春枝の表情は和らいでいく。気づけば血の臭いも感じない。
「……ごめんなさい、晴澄…。私、無理矢理あなたを連れて行こうと…」
「謝ることはないよ。俺だっていつかはそっちに行く。その時まで、天国で見守ってくれ」
「うん、わかった…」
 そう言い残すと春枝の姿は薄くなり、たくさんの光の粒になって消えた。

 同時に、目が覚めた。
「夢だったか…」
 俺は複雑だった。久しぶりに春枝と会話ができたと思うと嬉しいのだが、彼女がやろうとしていたことは俺をあの世に連れて行こうという行為。
 まだ朝まで時間があったので、もうひと眠りすることにした。しかし、春枝が夢に出てくることは、もうなかった。同時に、部屋の物の置き場所が変わることももう起きなかった。

「どうだい、氷威。少しは怖かっただろう?」
「いいや、全然」
 晴澄はビビらせる気満々だったようだが、俺は彼の行為が立派で、そこに感動していた。
 普通の人じゃ、亡者と化した人を抱きしめてあげるなんて不可能だろう、たとえ夢だとわかっていたとしてもだ。でも晴澄はそれをやってのけた。
「そう? でも俺は怖かったよ。部屋でポルターガイスト起きてたんだぜ? それに死んだ春枝が夢に出てきて、俺を道連れにしようとしていたってのは、マジで怖い」
「でもさ、君は今は、もう怖くなんかないだろう?」
 晴澄は、ああ、と言って頷いた。
 俺には幽霊は見えない。けれど春枝の魂は晴澄に付きまとうのをやめて、素直に黄泉の国へ旅立ったと思う。そして星になり、今も空から見守ってくれていると感じるのだ。
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