その十 極光の下で

文字数 7,118文字

「人間より怖いものは、存在しないな」
 俺にそう語ったのは、福田(ふくだ)祥彰(ひろあき)。この地方の会社員で、どこにでもいる雰囲気の男性だ。しかしその過去は、先ほどの台詞にかなりの説得力を与えるほどであった。
 福田の話には、幽霊だの怨念だの呪いだの妖怪だのは一切登場しない。ただ彼の昔話を話してくれただけだ。
 だからこの話は没にしようと俺は思った。そして部屋に戻ってノートパソコンを開くと、メールが一通届いていた。

 福田祥彰は真面目に勉強し、高校大学と進んだ男だった。しかしある欠点があった。それは、心が弱いこと。幼いころから驚かされると泣き出したり、何かあるとわかっていても怯えたり、勇気が出せなかったり…。それで損したことは何度もあった。
 福田の成績を考慮すれば、もっと偏差値の高い大学を受験しても合格できただろう。だがそれはしなかった。もし受験当日、わからない問題が出題されたら…。もし受験に落ちたら…。そんな小さな不安が、彼にとある大学を受験させ、そこに進学させた。レベルが低いのなら、講義についていけないこともないだろう。だから彼は考え直すことがなかったのだ。
 その選択がなければ、福田はまた違った道を歩めたかもしれない。

 福田は進学した大学で、とあるサークルに入った。やりたいことがあったのではなく、中学高校と過ごした友人がそこに入ると言ったからだ。先輩ができれば、過去問も手に入るだろうと当初は思っていたらしい。
伊藤(いとう)はいいよな、外見が優れていて」
 その友人は伊藤といい、進学後すぐに彼女ができたほど容姿が良かった。
「福田もそんなことないと思うぜ?」
 決まって伊藤はそう返す。
 二人は特別仲が良かったわけではない。福田は伊藤のことを親友だと思ったことはなかったと言っており、伊藤の方も自分のことはただの友達としか思ってなかったんじゃないかとも。
 けれども他に知人がいない場所では、その存在は大きかった。小心者の福田にとっては、頼らない理由がないほどだったそうだ。

 伊藤とは常に一緒にいたわけではなかったらしい。だから福田は、一部の人が話している噂話を耳にしたことがあった。
「伊藤は女たらしらしい」
 出だしだけで真っ赤なウソとわかる話。他にも色々と、根も葉もない話を耳にした。なんでもこれは、伊藤と彼の彼女を別れさせるために意図的に流されていたんだとか。
「それは…」
「うるせえ。文句があるのか?」
 その噂を率先して流していたのが真壁(まかべ)。伊藤の彼女である、谷川(たにかわ)を入学当初から狙っていた。
 福田は噂を止めようとしたが、真壁に直接脅されて怖くなり、できなかったそうだ。
 しかし真壁の思惑とは裏腹に、二人の関係にヒビが入ることはなかった。だから更なる噂を流すことになる。福田が後輩に、伊藤について尋ねた時に帰って来た返事は酷い…というよりも別人の話を聞いているようだった。

 業を煮やした真壁は、あることを提案する。
「キャンプに行こう?」
 真壁の話によれば、海を越えて北海道に行けばオーロラを見ることができる。もちろん確定ではなく条件と運次第だが…。
 伊藤と谷川はこれに乗った。それもそのはずで、噂の発信源が真壁であることは口止めされていたから、伊藤は真壁を疑うことができなかったのだ。
 でも念には念を。真壁の本来の目的と予め決めていた計画がどのようなものであるかは、はっきりとはわからない。でも福田は、自分がメンバーに選ばれていたことから、伊藤に警戒されることを心配していたことだけはわかっていた。
 冬休みの空港に集まったのは福田、伊藤、谷川、真壁、大嶋(おおしま)亀井(かめい)角野(かくの)。大嶋が男で、亀井と角野が女。三人とも真壁が用意したメンツ。そして男が一人余るように組んである。亀井の話を聞くに、その一人は必ず伊藤になるようにされていた。
 集まった七人は飛行機に乗り、目的地に飛んだ。
「引き返せるなら、私はあの時の飛行機には絶対に乗らない」
 福田は今、そう語っている。

 当地では二つのバンガローに泊まることになった。福田は伊藤と谷川と一緒だった。これは彼が望んだのではなく、真壁に二人を監視するよう命令されたからだ。
「谷川が一人きりになったらすぐにこっちのバンガローに知らせに来い」
 真壁から言われた言葉だ。歯向かったら何をされるのか…。怖くて従うしかなかった。
 二日目の夜、その時が来た。伊藤はバンガローの外だ。福田はすぐに隣のバンガローに向かった。
「真壁なら、散歩に出かけたよ」
 大嶋がそう答えた。自分に監視していろと言ったはずなのになぜ? 福田はもう一度外に出て真壁を探した。
 寒い冬の夜。自分以外には誰もいないのではないかと感じさせる夜道で、
「これぐらいなら、いいだろう」
 真壁の声が聞こえた。福田は声の方向に走ると、雪をかき分けて穴を掘っていた真壁を見つけた。
「これは、何?」
「お前には関係ない。伊藤をここに連れて来い」
 と言うのだ。しかしこんなところでスコップを片手に、人が一人入れそうな穴を掘っていることが、何ともないはずがない。
「言わないから、教えてよ」
「無理。いいから早くしろ!」
 真壁の大声に驚いた福田は、自分のバンガローに戻った。そこには谷川と亀井が話をしていた。伊藤はもう片方の、大嶋のいるバンガローにいた。
「い、伊藤…。真壁が呼んでるよ。もしかしてそろそろ見れるんじゃないかな…?」
 事前に誘い文句は、真壁に教えられていた。伊藤は何も疑わずに立ち上がった。
「なら、僕たちも見に行こう」
「そうね」
 ところが、今の台詞に大嶋と角野も反応する。
「外、結構寒いんだよな。大嶋、上着が余ってるなら貸してくれない?」
「いいよ。ところで、谷川さんと亀井さんはどうする?」
「オーロラが確認出来たら呼べばいいわよ。そうじゃないと寒いのに出るだけ無駄じゃん?」
(二人がついてきて、いいのか? そもそもどういう予定なんだ…?)
 何も教えられていない福田には、その時にはわからなかった。

 真壁がいた場所に、彼らを案内する。
「真壁? 真壁?」
 だが肝心の真壁がいない。さっきは確かに、ここにいたはずなのに…。
 空を見上げながら、大嶋が大きな声で、
「真壁ー。全然オーロラ、見えないじゃないか? どうなってる?」
 伊藤と角野も、キョロキョロして真壁を探している。福田は何が起きるのか、どうすればよいのかがわからず、寒さもあって凍りついていた。
 突然、足音が近づいてきた。真壁だ。真壁がスコップを掲げ、勢いよくこちらに近づいてきた。そしてそれを、振り下ろす。
「うぐっ!」
 声を上げて倒れたのは、大嶋…。ことは一瞬だったが、福田は真壁が伊藤を殺すつもりであったことを知った。そして間違えて大嶋を手にかけたのだ。
「お、おい、真壁?」
「動くな!」
 真壁はすぐにスコップを持ち直し、伊藤目掛けて振った。鈍い音を立てながら伊藤は崩れ落ちた。
「ったく、手間かけさせやがって」
 一度に二人も殺めておきながら、真壁はそう発言した。
「大嶋君? 大丈夫? ちょっと、返事して!」
 角野が大嶋の体をさすりながら言った。
 福田は何もしゃべることができなかった。そのまま後ろに下がろうとしたが、真壁が睨んできたので足も止まる。
 次は自分なのか…。体の震えが止まらない。
「あんた! 何てことするのよ! こんなの計画になかったじゃない!」
 角野が真壁の胸ぐらを掴んで叫んだ。どうやら予定外のことが起きているらしい。
「ああ? 邪魔する方が悪いんだよ」
「何ですって?」
 それ以上を福田は見ていることができず、目を背けた。直後に悲鳴と何かが倒れる音が聞こえた。

 何で自分が助かったのか、福田には記憶がない。真壁が気まぐれを起こしたのかもしれないし、自分は生かしておく計画だったのかもしれない。
 憶えていることは…真壁の立つ足元には、三人の死体があったことと、偶然にも本当にオーロラを見ることができたことぐらい。
「ここに埋めておけば、雪が解けたらクマの餌にでもなるだろうよ。もしかして、冬眠できなかった奴が明日にでも食っちまうかもな」
 真壁はそう言って、死体を埋めた。
「このことを誰かに言ったら、わかってるよな?」
 脅された福田は、誰にも何も言えなかった。
 オーロラの包囲下で、福田は自分も犯罪者のように感じたことが頭のどこかに引っかかっていた。

 その後の大学生活は、酷いの一言に尽きる。
 目的を果たした真壁は、谷川と付き合うことになった。口が上手いことにあの一件、伊藤は角野と浮気をしていたとか、大嶋にバレたので彼を殺したとか、逆上した角野も手にかけようとしたとか…。流していた噂のこともあって、谷川は伊藤の死を悲しむことができなかった。いや、落ち込まないように真壁が常に谷川の側にいた。
 福田は、友人を失った。そして真壁に、誰にも漏らさないよう監視される生活を送ることになった。亀井が自分に告白してきたのも、真壁の差し金だろう。断ったら…。その先を考えられず、福田は頷いた。
 だが亀井と一緒にいることは、必ずしもマイナスには働かなかった。亀井は優しく接してくれたのだ。
 福田がどうしても耐え切れず、あの日の真相を亀井に教えてしまった時も、亀井は黙っていてくれると約束してくれた。
「他にも秘密があるのなら、言ってよ。二人で共有しちゃえば、怖くないでしょ?」
 亀井のその台詞に、何度救われたことか…。真壁の目が光る中、彼女の存在は大きかった。
 当初は冷めた目で見ていた福田だったが、次第に亀井に対し好意を抱けた。そして大学卒業後、三年間同棲してから結婚したのだ。

 二人は新婚旅行に向かった。お互いに贅沢する気がなかったので、旅行は二泊三日と短く、しかも温泉に浸かるだけと簡単なものだった。
エオスというホテルに泊まった。このホテルは値段の割には大きい。初日は二人で、ホテルの中を隅から隅まで探索したほどだ。どこにどの温泉があるのか、階段はどこに繋がっているか、売店では何が何時まで売っているか、一番安いレストランはどの階にあるのか…。馬鹿馬鹿しいことを二人で探り、楽しんでいた。

 だがそれも長くは続かない。二日目の夜、真壁と谷川がエオスにやってきたのである。
「偶然だな。俺たち、今着いたところだぜ」
「二人とは、三年ぶりだね。幸せ分けてもらいたいぐらい!」
 嘘だ。真壁は福田と亀井が幸せになるのを心地よく思っていないはず。だから、邪魔しに来たのだ。幸いにも亀井があの日のことを知っていることは、真壁はわかっていない。だから亀井が何かされる心配はなかった。むしろ福田は、自分が何かされるのではなかいと疑っていた。
 だからできるだけ真壁たちとは一緒にいたくなく、四人で食べることになった夕食も早々に切り上げた。

 福田は、どうすれば亀井が不愉快に思わず、かつ真壁たちから逃げられるかを考えていた。ホテルの廊下や階段を行ったり来たり。自室に戻ることもできたが、いざという時に逃げ道がなくなるのでそれはしなかった。
 しかし、何も思い浮かばない。相手が犯罪者だから? 違う。
 計画が多少粗くても、それを補うことができることが、真壁の一番恐ろしい点だ。実際にあの夜、間違えて大嶋を殺した時も、すぐに本来の対象である伊藤を殺し、騒ぎ出した角野の口も封じた。本当なら自分も、殺したかったに違いない。
 でもしなかった。真壁と同じことを言ってくれる人がいなくなるからだ。現に殺すと脅された福田は、他の人に真壁と同じ内容を話したのだから。福田なら自分と口を揃えてくれる、真壁にはその確信があったのかもしれない。だから自分が誘われたのかも…。
 だとすると、何もかもが計画の内? ずさんと感じたのは間違いなのか。
 自分は真壁の手のひらで生かされているにすぎない。抗うことは許されない。それをしようものなら、死が待っているだけだ。

 そんなことを考えながら福田が歩いていると、火災警報器が鳴った。
「なんだ?」

 直後に全館にアナウンスが流れる。
「火災です、直ちに外へ避難してください。エレベーターは乗らずに、西階段から降りて下さい。東階段は危険です、使わないでください」
 新婚旅行に火災だなんて…。なんて自分は運がないのだろうと思い知らされる。
 福田は二つのことを考えていた。
 一つ目は、単純に逃げること。今自分は、夕食を食べたレストランのある七階にいる。方角は昨日把握しているので、歩いてでも十分に避難が可能。西階段に向かえばそれで終わり。
 しかし福田は、二つ目を選ぼうとしていた。わざと火災現場に行くことである。真壁の目を気にして生きるぐらいなら、いっそのこと死ねば…。

 だがその選択は、永遠に選ばれなかった。走って来た二人組にぶつかった。男が持っていたワインボトルが割れ、男の足にワインがかかった。
「おい、福田じゃないか」
「あ、やあ、真壁に谷川さん」
 二人は血相を変えている。火災が相当、怖いのだろう。
「福田君も速く、逃げようよ! ここにいると危ないよ!」
 よく見ると、亀井がいない。
 福田は、亀井のことを探しに戻ると申し出た。だが真壁が福田の腕を掴んで、
「何言ってんだ? そんなことしてたら死ぬぞ?」
「でも、放っておくわけにもいかないじゃないか!」
 そう言うと、真壁は手を放し、谷川も引き下がった。
「…」
 ここで福田は、あることに気がついた。二人は、どちらに逃げれば良いのかわからないのだ。だからここに突っ立っているだけで、逃げようとしない。見た感じ、アナウンスが鳴ったのでレストランからとりあえず飛び出したってとこだろう。
 福田は廊下の奥を指さした。
「あっちに西階段がある。俺は探しにまず、部屋に戻ってみる」
 すると真壁と谷川は、福田の指示した方向に走って行った。その後ろ姿が遠ざかることを確認した福田は、本物の西階段を下りて一階に向かった。
 二人が途中で気がつけなかったら、間違いなく死ぬ。
 福田はそのことをわかっていて、嘘の逃げ道を教えた。
 どうしてそのようなことをしたのかは、よくわかっている。真壁には恨みがあるし、伊藤の死を少しも悲しまなかった谷川のことも心地よくない。
 でもだからといって、なぜこの時に嘘をすんなりと言えたのか。何も計画していなかったのに。
 自分でも不思議なのが、二人が死ぬかもしれないのに平然としていたことだ。
 外に避難すると、後から亀井も降りて来た。
「ねえ、真壁と谷川は? まさか二人、ワインで火が消せると思ったのかな?」
「ん? どういう意味?」
「さっきすれ違った時、ワインボトルを持っていなかったの。レストランで一本、買ってたのに。随分と焦ってたみたいで、私のことが目に入ってなかったみたいだけど」

 後日、ホテル火災は鎮火された。犠牲者として公表された人の中には、真壁と谷川がいた。福田は実際に、黒焦げになった二人の遺体を目で確認した。
 自分のせいで死んだ二人。しかし福田は、なんとも思わなかった。隣にいる亀井は泣いていたが、悲しいという気持ちが全くと言っていいほど浮かび上がらない。むしろ逆で、清々した気分だった。罪悪感は、今現在に至っても抱けていない。

「だから言っただろう? 一番怖いのは人間だ。私は真壁と同じ、自分のためなら他人なんてどうなってもいいと考えている、自分勝手な奴だ。ある意味、一番人間らしいのだがな」
 福田はそう言った。俺は、
「でもその話が本当なら、俺が警察に通報したらあなたは、逮捕されるのでは?」
 脅そうと思ったわけではない。俺としては、仮に本当なら色々とやばい気がするのだ。
「証拠がないよ。私が二人に嘘の道を教えたと、何で証明するんだい?」
 福田の言葉に、俺は黙り込んだ。
 福田へのインタビューはそれで終わった。

「…………」
 ところでこの話、なぜ没にしなかったというと、ちゃんと理由がある。それはさっき届いたメールだ。

 メールの送り主は、福田佑希子。福田の奥さんだろうか? だとすると、かつて苗字が亀井だった人だ。

 主人から話を聞きました。
 私と主人だけの秘密です。
 疑わせません。だって本当のことなんですから。

 メールの内容は要約するとそんな感じだ。福田が奥さんに、俺に話したことを教えたところ、俺が信じてなさそうだったから、奥さんがメールを出したと思われる。

「待てよ?」
 亀井は例のホテル火災の前に、福田と一緒にホテルを探索してたはずだ。
 亀井が真壁たちを見かけたのは、福田に違う道を教えられた後。
「見かけたときに、間違いを指摘しなかった?」
 あの時、真壁たちは亀井の存在に気がつかなかったらしい。でもそれは、福田が実際に目にしたことではない。福田が、亀井から聞いただけだ。
 友人とすれ違っても無視したのか? 緊急事態でも? 真壁はそれに対処できるはずなのに?
「もしかして、亀井はホテル火災で真壁たちとすれ違った時に、少し話をしたんじゃないか? 福田を探しに行くとか」
 加えて、逃げ道は間違っていないと、言ったんではないだろうか。
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