その六十三 自首したワケ

文字数 5,875文字

 寝場打市という町に来ている。正直、すぐにでも市外に出たい気分だ。何せここ、治安が悪すぎることで有名らしいから。すれ違う人たちの視線も、鋭すぎて心が痛い。どこから襲って来る人が現れるのかわからず、安全を考えて祈裡を連れてこなかったレベル。
 多分、民度は動物園の猿山の方が勝っているよ。
「お金をもらうわけにはいかない。職業柄、そういうのは駄目なんだ」
 しかし今回の相手……小戸(おおべ)(ひのえ)警部は、にわかには信じがたい話を知っている。それを自分の中で死蔵させるのはもったいないと感じ、俺に教えてくれるというわけだ。
「了解です。ところで、メールによるとこの町で起こった事件が関係しているとか……?」
 俺は純粋な疑問をぶつけてみる。
「こんな町、怖くないですか?」
 普通だったら、家族と一緒に引っ越して出て行きたいぐらいだろう。昨日だって通り魔事件があったんだ。しかも犯人は今朝、遺体になって発見された。いくら警察官だとは言っても、妻や息子を守り切れるわけがない。
「出て行くわけにはいかない。俺はこの町で育ったんだ、今更恐怖は感じない。息子も正義感が強く育ってくれた!」
 丙警部は、逃げる選択を選ばなかった。ご立派なのだが、殉職しないことを心から祈っている。
「……では、はじめましょう。ええっと話は結構前に遡るんでしたっけ?」
「そうだ、俺が結婚する前だから……二十年以上は経っている。君は信じてくれるかな?」
「信じますとも。そうでなければ、こんなことはできません」
 怪談話は信じる人がいてこその話だし、俺は一々疑わない。

 あれは、俺が警官になったばかりの時の出来事だ。当時はこの市内の交番に努めていた。
「今日は平和ですね、先輩」
「そうだな。寝場打市とは思えないくらいだ」
 そろそろ勤務時間が終わる。一日何事もなく終えれるのは非常に珍しい。
「まだ来ないか? 早くしてくれ」
「何か用事でもあるんですか、先輩?」
「違ぁう! このままなら何もなく終えられるんだ! 交代組が来さえすれば……」
 と言っていると、交番を訪れる者が一人現れた。
「どうかしました?」
 俺が声をかけると、その男は安心しきった表情をして涙を流し、
「た、助かったあ……」
 と呟いた。
 何かある。俺は直感してその男性に耳を傾けた。
「お茶でも飲んでください」
「ああ、ありがとうございます……」
 落ち着くまで待つと先輩が、
「で、何があったんだ?」
「実は……人を殺してしまいまして」
 一瞬、先輩がハァとため息を吐いた。俺も内心では、またか、と感じながらも、
「それは本当ですか?」
「は、はい……」
 両手を差し出した。手錠をかけてもらいたいらしい。しかし今の段階では逮捕状もないし現行犯でもないのでそんなことはできない。
「お願いです! 裁いてください!」
 と、男は言う。
 ちょうど、交代組が来たのでそのパトカーに先輩と乗り込み、その男も連れて本署に向かう。

 取調室に案内した。男は人を殺したという割には、やけに臆病な性格と態度だ。
「ありゃ、はずみで殺しちまったタイプだな」
「ですかね?」
「小戸、ちょっと話を聞いてみろ。自己流でいい」
「了解です」
 俺は部屋の中に入り、椅子に座る。
「まず、お名前をお願いできますか?」
佐藤(さとう)道信(みちのぶ)、です」
「年齢は?」
「五十五、です」
「職業は?」
 といった感じに取り調べを始めた。この男…道信の素性を知ると、いよいよ本題だ。
「人を殺した、とは? いつのことですか?」
「三十年前の七月、です」
「え?」
 思わず聞き返してしまった。先輩の予想とはだいぶ違うのだ。意図せず相手を殺してしまったから自首してきたのではない。
「三十年前、ですか?」
 隠し通してきたのに今更になって、名乗り出たのである。
「時効なのでは、それは……」
 当時は今とは違い、時効があった。
「そんなことは関係ないんだ! 早く俺を、裁いてくれ!」
 しかしそんなことはお構いなしに道信は、逮捕と裁判を願う。
「まあ、ちょっと待って! 詳しい話を…」
「ああ、するよ……」
 その、三十年前に一旦遡る。
 道信は当時、交際している女性がいた。名前は山西(やまにし)亜矢子(あやこ)。資産家の娘であったらしく、金持ちだった。
「よく、金を借りたよ。でも俺はギャンブルに夢中になっちまってさ……」
「返済を迫られて、カッとなって殺したのか?」
 どうやら違うとのこと。

 確かに返済を迫られたことはあったらしい。当時の道信は無職。だから返せるわけがない。しかし亜矢子の父は怒っており、
「返せないなら、臓器でも売るか? ん、道信君?」
「す、すぐに返しますとも!」
 脅され、どうにかして金を用意する羽目になった。
「友人から借りよう」
 サラ金業者に借りたが最後、骨になるまで絞り取られる。そう感じた道信はまず、友人に頼み込んだ。
「二百万ンンン…!」
 だがそんな大金、一気に用意できるわけがない。それに理由が、
「恋人から借りたお金をギャンブルに溶かしてしまったから」
 では、仮に持っていたとしても誰も貸してくれない。
「だよな……。この話は忘れてくれ…」
 結局、誰も貸してくれなかった。
「待ってくれ!」
 しかし、一人だけ協力してくれると申し出てくれた人がいたのだ。名前は長谷部(はせべ)敏男(としお)
「貸してくれるのか……! ありがたい!」
「違う違う。僕は工事現場で働いていてね、人手が足りなくて困ってたんだ」
 敏男は、働いて返済するべきという考えを持っていた。
「今すぐに用意しろって言われてるんだ!」
「それは僕にも無理だよ! でも返済のために働いて、誠意を見せれば待ってくれるかもしれないだろう?」
「そ、そうかな……」
 とにかく無職の道信には、ありがたい話だったのでそれに乗った。
 だが、長期間の力仕事が道信に向いているわけがない。すぐに根を上げた。
「もう無理だあああ」
 給料をもらっても、それは全部返済に充てられて自分の懐には入らない。その虚しさも彼のやる気を削いだ。

「やるしかない!」
 限界を迎えた道信は、あることを思いつく。それは工事現場の事務所の金庫の金を盗むことだ。
「その分働くんだから、少しは良いだろう。給料の前借みたいなもんだし!」
 夜中に忍び込んで、カナヅチを振って金庫のカギを壊す。
「フンっ! フンっ!」
 何度か叩くと破壊できた。そして扉を開くと、
「おお!」
 あった。四百万はある。
「これで借金返済だあああ! ついでに亜矢子とも結婚できんじゃん!」
 しかし、急に懐中電灯が彼を照らした。
「何やってんだ、お前……」
 敏男だ。彼はこの日、事務所の飲み会で寝込んでしまってここにいたのだ。物音に起こされたので様子を見たら、道信が金庫破りをしている場面に遭遇してしまったということだ。
「と、敏男……。あのこれは」
「そのお金を今すぐに、金庫に返すんだ! そして交番に行こう!」
 その言葉に、道信は我を失った。
(こ、こ、こ、交番? 俺が、逮捕されるってことか? ふざけるな!)
 カナヅチを持って襲い掛かる道信。
「やめろ!」
 しかし、力は敏男の方が上。すぐに取り押さえられてしまう。
「く、くそっ! 邪魔すんなコイツ!」
 負けじと力づくで突き飛ばす。
「うわあ!」
 それでも敏男は諦めない。道信を捕まえ、警察に突き出すつもりなのだ。
(もう、殺すしかない!)
 殺意が芽生えた瞬間だった。

 その時のことは、あまり覚えていないらしい。
「気が付いたら、カナヅチも手も血まみれで……。敏男が死んでいて……」
「その後は、どうしたんです?」

 一時間程度経つと、道信は我に返る。
「しまった! 人を殺してしまった……。どうする、どうする……!」
 ここで思いつく。ここは工事現場で、しかも敏男が事務所で眠っていたということを。
(この条件が揃っているなら……)
 自分は罪を逃れることができるのではないか。
 まず道信は敏男の遺体を外の工事現場に引きずり、
「よっこらせっと」
 ちょうど重機で掘られていた穴に落とした。その上からさらにシャベルで埋めて、バレないようにした。次に事務所に戻ると、争った後を片付け血を拭き取り綺麗にする。
(これで完璧だ……)
 後は何食わぬ顔で、次の日に出勤すればいいだけ。
 翌日、金庫が破られていることに気づいた現場監督たちと道信の同僚。
「敏男はどうした? 欠勤か?」
「アイツ昨日の飲み会で潰れて、ここで寝ていたはずだが……。もしや?」
 敏男が金庫の金を盗み逃げた。道信以外のその場にいた誰もがそう考えた。当時は監視カメラもないので、ほとんどこれで決まってしまう。
(っしゃ!)
 計画通りに行ったので、道信は心の中で喜ぶ。
 結局この事件は、敏男が犯人とされ報道もされた。工事が終わればプレハブの事務所も畳まれなくなる。だから誰も道信を疑うことはない。

「でも、そこから悪夢が始まったんです……」
「どういう意味です、それは?」
 そのワケも、道信は話してくれた。

 亜矢子に借金を返した道信。
「働いたんだよ」
 とだけ告げる。亜矢子もそのことを信じ、怪しくは思わなかった。ただ彼女の父が反対したので、結婚には至らなかった。
 一年後の道信は安いアパートで暮らすフリーターになっていた。
(ギャンブルはもう止めだ。面白くない)
 何とか悪い癖を克服した彼は真っ当な生き方を模索しており、就職活動も積極的に行っていたのだ。
 だが、
「ん?」
 急に部屋の電気が消える。
「何だ、停電か?」
 しかし、すぐに復旧。
「ヒューズが飛んだか?」
 それを確かめようと廊下に出た時だ。
「……え?」
 誰かが、アパートの外に面した台所の窓の向こうに立っている。こちらを睨んでいる影が、曇りガラス越しにわかる。
「誰だよ?」
 その窓を開いて確認した。
 しかし、そこには誰もいない。
「勘違いか? 俺も疲れてるからな~」
 もう寝ようと思い立って布団を広げようと、押入れを開いた。
 ドサッという音がした。布団の他に何かが、押入れから落ちてきたのだ。それは人の形をしていたのだ。
「へ? え? え?」
 しかも見覚えのある人間。顔を確認すると、何と敏男だった。
「わあああああ! 馬鹿な? 道路の下に埋まっているはず!」
 驚いた道信は一旦アパートから外に出た。
(……待て。確かにあの時、敏男は死んでいたはずだ。あの後誰も見た人がいないんだから、今も道路の下に埋まってるんだ)
 落ち着いて部屋に戻ると、その遺体は消えていた。
「何だったんだ、あれは?」

 当初の道信は、疲労から幻覚を見ていると思った。だが実はそうではない。
「あれ? ここは?」
 気が付くと、工事現場にいる。まだ舗装されていない土の上に立っているのだ。
「何でこんなところに……」
 と思っていると、誰かが彼の足を掴んだ。
「うん?」
 下を見ると、何と地面の下から手が生えている。それが道信の足を掴んでいるのだ。
「うわああああああ!」
 どんどん腕が上がって行き、肘が露わになる。そして肩も見えてきて、頭も出てくる。
 その顔は、敏男のものだ。
「お前……。僕に罪を……」
「ぎゃあああああああああ!」

 自分の叫び声で目が覚めた。全身、汗びっしょりだ。
「は、はあはあ。またあの夢か……」
 実はこの悪夢、道信は何度も見ていた。いつも決まってあの工事現場にいて、地面の下から敏男が這い出てくる。そして自分のことを睨んで、何かしらを呟く。それに恐怖した自分は、目が覚める。
「そうだよな……。俺、アイツを殺してるんだった」
 無意識の内に、殺人のことを気にしていたのかもしれない。最初の内はそう自分に言い聞かせ納得していたのだが、こう何度も夢に見ると、話は違う。
 何か……超自然的な力が働いて、自分に夢を見せたり怪現象に遭わせられたりしているのかもしれない。
 それを決定付ける出来事がその朝に起きたのだ。郵便受けを開いたところ、ザザーと土が流れ出た。
「何だこりゃ?」
 しかも中には、赤い液体……血も混じっている。
 いたずらにしては度が過ぎている。だがこれはそういう次元ではない。ある時はカナヅチが入れられていた。
「おかしい……」
 というのもあの夜に敏男をカナヅチで殺したのは、自分しか知らないはずなのだ。
「いや、もう一人知っている人がいる…」
 それは、殺された敏男だ。
 もしも敏男の魂がこの世に留まって、自分を探しているとしたら? 自分を殺したことを、忘れさせないようにしているとしたら?
「逃げるっきゃない!」
 道信はそのアパートを引き払った。
「アイツには、酷いことをしちゃったな」
 そう考えた道信は就職活動を止め、ボランティア活動に専念することに。寝場打市内でパトロールしたりゴミ拾いをしたり……。ボランティア団体にも所属し、罪滅ぼしを続けたのだ。

 ある日のことだ。あの元工事現場に赴いた。
「あの日の夜に、敏男さいなければなぁ」
 殺すことにはならなかったのに。
「でも俺、お前の分まで奉仕したよ。水に流そう、な?」
 手を合わせて拝む。すると耳元で、
「許すと思うか、道信?」
 敏男の声がしたのだ。
「ひぃえええ!」
 この時、道信は悟った。自分は敏男の執念から逃れることはできないのだろう、ということを。
 全国を逃げ回ったのだが、それでも数日から数週間すると、あの悪夢を見たり怪現象が起きたりする……つまり敏男の霊に追いつかれるのだ。

「……だから、法の裁きを受ければその悪夢も止まる、って思ったんです」
 道信は自分の犯行を全て話した。すると先輩が取調室に来て、
「なら、緊急逮捕だ」
 手錠をかけられた道信は、
「ありがとうございます……」
 と呟いたものの、俺にはどこか、最悪なことに出くわしたかのような態度に見えた。

「………道信の供述通りで、道路を掘り返したら遺体が見つかった」
「なるほど……。殺した相手の幽霊に追い詰められ、自首するしかなかったんですね」
「そうだ」
 しかしその自首の理由が特殊で、裁判でも相手にされなかったという。
「…その道信って人は結構酷いヤツなんですね」
「まあ、平均的な寝場打市の犯罪者だな」
 自責の念があったのなら、殺害したその直後に警察に通報して捕まっているだろうに。そもそも金庫の金を盗もうという発想にならない。
 被害者の霊が本当に存在したかどうかはわからない。丙警部はその後の道信のことを知らないからだ。だが俺は、
「多分、まだ悪夢にうなされていると思いますよ? 人殺しの罪から逃れたい、殺した相手の魂に祟られたくないから自首する……。自分が逃げたいだけじゃないですか」
 道信はまだ、敏男の幽霊に縛られていると思うのだ。
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