その十八 はぐれ虎

文字数 5,619文字

 今日の取材対象は福島県在住のシングルマザー、氷室(ひむろ)莉子(りこ)だ。今年で四つになる息子を抱えて、待ち合わせ場所にやって来た。まだ幼い子には、俺たちの話は早すぎるので、祈裡に遊んでもらって、俺は彼女に話を聞く。
「私はね、今はだいぶマシだけど…。昔はもう駄目かと思ってた」
 いきなり重い口調から、始まった。

 私は、この会津に生まれた。そしてここで生きていた。だけど人生は順調とは程遠く、両親は私が子供の頃に離婚。父親は私が大学生の時に蒸発した。借金がなかったことだけが幸いだった。けどもそれに意味はなく、男に貢いでしまったために自分で借金の雪だるまを築いてしまった。しかもその男も私をゴミのように捨てた。
 そして、借金取りから取り立てを迫られる日々が続くと、生きていることにうんざりしてしまった。
「死のう。それしか楽になる術はない…」
 こう言うと、簡単に命を投げ捨てるなっていう輩が必ず出てくる。でもそういう人に限って、死を考えたことのない半端者で、辛い人生を送ったこともない甘ったれ。所詮は自分が正しいと思って正義を振りかざしている偽善者に過ぎない。だから、カウンセラーの意見は全て無視した。

 私の先祖は武士だ。それも会津藩の武士。だけど、今の日本じゃ侍の血を引いていることなんて、何のステータスにもならない。でも思い入れはある。
 私は、人生の最後の場所を選んだ。そこは、飯盛山の水路。あの白虎隊が通ったと言われる有名な飯盛山弁天洞窟。そこで自分の体を水の中に沈めて死ぬ、入水自殺だ。胸元以上の水位のあった当時とは異なり、今は私でも足で立てる。だけど水の冷たさは本物。数時間も浸かれば、必然的に体温は下がり、死は免れない。洞窟の奥に行けば、誰かに発見されて救助される可能性もゼロ。
「ここでいいわ…」
 もっと探せばいい場所は他にあるのかもしれない。でも、そこに決めた。きっと武士の子孫として、会津藩の子孫として、他の場所では死ねないと思ったんだろう。

 季節は冬。時刻は午後十一時を回った。私は必要最低限の服しか着てなかった。だから、この状態で水路に身を投げれば、まごうことなき死。
「……ゴク」
 唾を飲みこむと、それが引き金になったかのように私は一歩、踏み出した。真冬の冷たい水が、あっという間に靴を濡らし、靴下を貫通して地肌まで到達する。
「冷たっ!」
 あまりにも殺人的な低温だったために、足が引っ込んでしまった。
「でも…」
 引き返しても、私に道はない。寧ろ逆だ、私の道は、眼前にしかない。再び買覚悟を決めると、また一歩を水に入れる。叫びたくなるような冷たさ。私はたまらず足を押さえた。押さえて無理矢理、動かした。
 その時だ。足に何か当たった。
「何?」
 大きい何かが、水の中で蠢いている。それが急浮上し、水面から顔を覗かせた。
「きゃあああっ」
 人だった。驚きもつかの間、私は先客がいたのかと思った。
 でも、様子が違う。まるで生き延びようと、手足を動かしているのだ。
「もしかして、生きている…?」
 その通りだ。こんなところで何故か、生きながらえているのだ。溺れているようにも見えた。
 この時私は何を考えたのか…。その人を水路から救い上げた。助けたのだ。
「ええ…」
 その風貌に私は目を疑った。
 明らかに、現代の服装じゃない。それに、腰には日本刀を二本も携帯し、背中には火縄銃を背負っている。
 この人物は何者なのか。私は死ぬことよりもそのことで頭がいっぱいになってしまった。彼の首筋に手を当て、脈があることを確認した。次に口元に耳を持って行き、呼吸していることも確かめた。気は失っている様子だった。
「……」
 とにかく、ここを離れた方がいい。早く温めてあげなければいけない。そう判断した私は、すぐ近くの下宿先に彼を連れて行った。そして濡れた服を脱がせ、タオルで覆った。暖房も付けて暖を取った。

 一時間程度経った時だろうか。彼が目覚めた。
「はっ!」
 彼は驚いている。私の貧相な家の中で、首を何度も回した。
「あなた、大丈夫?」
 私が声をかけたが、返事をする余裕がないのか、こちらに視線を送るだけだった。
 そして数分後、やっと口を開いたのだ。
「ここはどこだ?」
「どこって、私の部屋だよ?」
「違う! 私は水路を進んでいたはずだ! ここはどこだ、お前は何者だ?」
 急に慌てた様子を見せた彼。私は事情を説明した。すると、
「嘘だ。嘘に決まっている。お前、新政府の者だな? それで私を騙そうと。そうはいかぬ…」
 よくわからないことを彼は言うのだ。そして立ち上がろうとしたけど、体力が残っていないのか、すぐに足が崩れる。
 彼の事情も聞かなければならないことを直感した私は、適当にご飯を作って彼に出した。まずは喋れる状態に回復させなければいけない。
 あまりにも勢いよく食べるものだから、もっと多く食糧を出した。最初は困惑した表情を見せていた彼だけど、美味いとわかると片っ端から口に運んだ。
「お前のもてなし、感謝しよう。私は…………」
 彼は、自分のことを話した。けど私は信じられなかった。
「……?」
 首を傾けてしまったぐらいだ。でも彼の目は嘘を言っていない。
「本当なの?」
「疑うのか?」
 その話が正しければ、彼は白虎隊の一員で、水路を移動中に意識が飛んだと言うのだ。
 私は思った。白虎隊は水路を通って高台に向かったはずだが、水路で死んだ人はいなかったはず。
「私の話がおかしいか? 私は真面目だ」
 彼は強い口調で発言した。ここまでくると私は信じるしかない。
「今からでも遅くない。部隊に戻らなければ……」
 しかし疲労が溜まっているのだろう。彼の瞼が今にも閉じそうだ。
「一先ず、休んだら?」
「この一刻を争う時にか!」
「だからこそよ。睡眠不足は敵だよ、休むことも大切じゃない? 敵…は私が見張っているから」
 なんとか説得し、布団の中に彼を押し込んだ。するとすぐに、いびきをかいて寝に落ちた。私も、もう疲れたから、ベッドで寝た。

 次の朝起きると、彼は先に目覚めていた。
「起きたか。ここは不思議な空間だ。とても快適で、しかも敵が攻めてこない。お前は何者なのか、増々気になるぞ」
「敵なんか、来ないわ」
 私は言った。
 もう流石の私にも状況が理解できていた。タイムスリップだ。彼は戊辰戦争時代から、現代に来てしまったのだ。どういう原理かは不明だが、彼の話がその全てを物語っている。
「ちょっと、来て欲しいところがあるんだけど…」
 私は彼に適当な服を着せると、連れ出した。刀は家に置かせた。彼は猛反対したが、そんなものを持っていると新政府の敵兵が真っ直ぐ向かってくると嘘を吐いて説得した。
「不思議な町だ。見たことのない家が並んでいる……」
 彼は何度も同じセリフを吐いた。それほど衝撃だったのだろう。
「おや? 見たことのある山だな…」
 私が彼を連れて来た場所。それは飯盛山だ。でも、例の水路が目的地じゃない。その手前の、白虎隊記念館だ。
 私が入場料を支払うと、彼に大声を出さないようによく言って聞かせ、そして入った。
 何でここを選んだのか。それは、今いつの時代にいるのかを知ってもらうには一番だと思ったからであって、決して拷問したかったわけじゃない。
 彼は、大声を一切出さなかった。それは私に予め注意されていたからではなく、目に入って来る史料全てが衝撃的過ぎて、声を出せなかったのだ。その証拠に、彼は終始震えていた。
 そして最後に彼は、本来辿っていた運命を知る。
 水路を抜けて高台にやって来た白虎隊は、自刃し果てる。
 彼はその場に泣き崩れた。私も驚いた。何と自刃した者の中に、彼の名前があったのだ。
 すると彼は、本来なら当時、飯盛山で死んでいる。けれども今、ここにいる。これに違和感を抱かずにはいられない。
 記念館を出ると、私は白虎隊の墓の方に行こうと提案した。が、
「私はまだ、死んでいない! 墓などあってたまるか!」
 と、その提案は蹴られた。

 私は彼を、鶴ヶ城にも連れ出した。途中、現代の会津の町並みを見て彼はまた驚いていた。そして自分の置かれた状況も理解していった。
「お城がある…」
「けどね、会津藩は戦争に負けたの。武士の魂をもってしても、新しい戦い方には敵わなかった。この鶴ヶ城はね、あなたの望んだものじゃないの」
 鶴ヶ城は、戊辰戦争の後解体されている。今建っているのは、復興再建されたもので、中身は完全に博物館になっているのだ。
「そうか。そうなのか」
 彼はそう言った。

 流石に鶴ヶ城の中には入れず、私たちは家に戻って来た。そして情報を整理した。
「今は、二十一世紀なのか。私の時代から、一五〇年も経ったのか…。通りで町並みに覚えがないわけだ」
 飲み込むのが速くて助かった。
「で、これからどうすればいいのだ?」
 彼に聞かれた、私は焦った。今後の予定なんてない。だって私はあの時、死ぬはずだったから。
 でも、そういうワケにはいかなくなってしまった。もし私が死ぬと、彼は路頭に迷うことになってしまう。親類も知り合いもいない現代日本で、生きて行けるわけがない。タイムスリップだって、普通の人は信じないだろう。
「どうするって、生活するしかないけど…」
 私は死ぬつもりです、とは口が裂けても言えない。だから私は、死ぬタイミングを無くした。

 幸いにも、私のアルバイトは続いていたし、彼は家で大人しくしてくれた。だから生活に困ったりはしなかった。
 何で、彼と一緒にいることができたのか…少し不思議だ。でも一緒にいて、悪い気はなかった。彼は優しい性格で、私の話に最後まで耳を傾けてくれた。側にいると、心が温まるのだ。私はなんだか、幸せな気分だった。

 でも、その生活は長くは続かない。春になると借金取りが家にやって来た。返せるお金はない。借金取りはヤクザかどうか知らないが、最悪の場合、福島湾に沈められるかもしれない。命があっても、風俗店に行かせられるだろう。
「やっぱり生きててもいいことがないわ…」
 私は、そう嘆いた。すると彼は、
「切っても構わないか?」
 と私に聞くのだ。
「それは駄目!」
 彼は武士だ、人を切るのに躊躇いも罪悪感もないだろう。だがそうすると、借金取りの親玉に目をつけられる。それだけじゃない。彼は犯罪者になってしまう。
「では、どうするんだ?」
 話し合う時間はなかった。借金取りは玄関を強引にこじ開け、家の中に入って来た。
「氷室さん? 期日は過ぎてるんですよ? わかってま…」
 彼を見ると、借金取りは急に黙った。
「何だお前は?」
 すると彼は、日本刀を鞘から抜いた。
「おい、よせ! やめろ!」
 けれども、彼はそれを振る気はないようで、
「これで足りるか?」
 と聞くのだ。
「本物か…? それなら価値としては申し分ないな。ついでだ、そっちの鉄砲モドキもつけろ」
 火縄銃も差し出せと、借金取りは言うのだ。彼は迷うことなく差し出した。
「鑑定して、金に換える。足りなかったら氷室さん、また来るよ」
 でも、借金取りは二度と来なかった。きっと日本刀と火縄銃で十分すぎる金が生み出せたんだろう。

 その次の日のことだ。起きると彼がベッドにいない。
「ちょっと、どうしたの?」
 彼は、最初に出会っと時に着ていた服に袖を通していた。
「行かなければいけない気がするのだ」
 そう言って、彼は事情を説明し始めた。
「何故私が時を超えたのか、その理由はわからない。だが、あなたを助けることはできた。白虎隊は全く活躍できなかったわけだが、それでも私は生きている間に、一人の女性を不幸から救えた。それで十分だ」
「な、何が言いたいの?」
「仲間の元に戻りたい」
 でもそれは、仮に過去に戻れたとしても、彼に命はない。水路を抜けたら自刃が待っているから。
「駄目よ!」
 私は止めたが、彼の決意は固い。それを私は、曲げられなかった。

 その日の夜、出発した。彼に残されたのは、小太刀。でも十分に自刃できる。
「もし、戻れなかったら、その時はこの時代を受け入れてよ?」
 私は言ったが、それは建前だ。彼はきっと戻れる。だって彼は、確かに飯盛山で自刃した内の一人だから。
 彼は水路に足を踏み込んだ。そして水中に潜った。私はこの時、二つのことを考えていた。一つは、彼が元の時代に戻れなくて、浮上してくること。でももう一つは逆だ。彼に、白虎隊に戻って欲しいと。だってそれが彼の本来の人生で、そして彼が望んだことだから。
 結局、彼は浮き上がって来なかった。それは本来の時代に戻れたことを意味していた。同時に、その後高台で自刃し果てることも…。

「彼はどうして、タイムスリップできたのかは知らない。でも確かに、私は彼と一緒にいた。そして子供も授かった」
「と言うことは、あの子は…」
 俺は察した。過去からやって来た人物が、現代人との間に残した子供。
「俺はてっきりさ、彼の子孫があなただと思ったよ。部隊からはぐれた虎が、自分の子孫を救うために過去からタイムスリップしてきたと。でもそうじゃないのか…」
 そもそも、白虎隊に所属し飯盛山で亡くなった彼に、当時子孫を残せたかはとても怪しい。
「でも、不思議なことは起きるんだね。白虎隊の血は、まだ生きている。あなたの子供の成長は、天国にいる彼も見守っているだろうさ」
「そうね。彼との子供だもの、絶対に幸せにしてみせるわ。もう私は死なないし、だいいち一人じゃない。彼はいつでも側にいてくれている。そんな気がするの」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み