その二 バス停にて

文字数 4,199文字

 本土にやって来たのはいいんだけど、一つトラブルがあったな。
「うーむ? ここをこうして、別のウインドウが出てきて…。あ、マウスカーソルが動かない?」
 日本を回りながら怪談話を募集するためにウェブサイトを立ち上げることにした。それはいいのだが、それを沖縄にいる時に、出発前にやっておけば…。こういうのに強い同期も大勢いたのに。
 お情けで単位もらったと、改めて実感できる瞬間だ。ため息しか吐けない。
 なら祈裡に頼めばいいのだが、買い出し中だ。もっとも祈裡は祈裡で、日常雑貨を那覇空港に置き忘れるというとんでもないミスをしでかしたのだが。
「もう一時じゃないか。何処まで買いに行ってるんだ?」
 そんなに多い買い物じゃないはずだが。道に迷っている? それはない。だってホテルの隣にあるコンビニに向かったからだ。
 氷威がスマホを取って電話をしようとした時、ドアが開いた。
「ただいま!」
 祈裡はやけにニコニコしている。
「随分と遅かったじゃないか。那覇まで取りに戻ったのかと思ったぞ?」
「コンビニで会った人に怪談話聞いたの。そしたら長くなっちゃって」
 それなら仕方ないか。
「氷威にもちゃんとわかるように咀嚼してきたから、よーく聞いてよ」
 祈裡はノートパソコンのフリーズに対処しながら、話を始めた。

 その子は名前を八幡(やはた)久姫(くき)と言う。大学一年生で、進学にあたってこっちの地方にやって来た。このホテルでアルバイトをしているらしい。
 コンビニの都市伝説本を読んでいたので声をかけたら、自分も一つ知っていると言ったので教えてもらうことになった。
「このホテルと私のアパートを往復するのに、市バスを使うの。バスで三十分。バイトは夜遅くまでかからないけど、私はいつも最終バスに乗ってるわ」
 何でそんな事をするのかと聞くと、実際に連れて行ってくれた。
 バス停で待っていると、バスが来た。でもそれは最終バスじゃないから乗らない。いつもはコンビニで時間を潰しているらしい。
「来たわ! このバスに乗るの!」
 久姫と私は乗り込んだ。

 最終バスと言うだけあって、バス内はガラガラだ。私たち以外に乗客はいなかった。一番後ろの席だからそれがよくわかる。
「私も最初は、最終バスに乗るつもりはなかったの。でもある時遅くなっちゃって…。それ以降はこのバスに乗るようにしてるわ」
 私は久姫にどんな話なのか尋ねた。
 でも久姫は、まだ待ってって言う。
 だからその時が来るまで、女子トークで盛り上がった。他にお客は誰もいないから、大声で話をしていた。

 バスが止まった。赤信号だからじゃない。でも、バス停でもない。もちろん私たちが降車ボタンを押したわけじゃない。
「来るわ。彼が」
「え、誰?」
 私は久姫の顔を見ていたが、久姫は乗車口を見ていた。
 ドアが開くと、中学生ぐらいだろうか? 帽子をかぶった男の子が一人、バスに乗り込んできた。
「こんな時間に、あんな幼い子が?」
 どうして、と続けたかったけれど、久姫がそうさせなかった。
「静かに。見守っていてあげて」
 私は黙った。運転手も、何も言わない。
 男の子は、シルバーシートの前に立った。顔はよく見えない。
 ドアが閉まって、バスが走り出した。

 夜道を走るバス内に響き渡る音は、走行音だけだ。私の視線は、男の子に向いている。久姫も見ている。男の子も無言で窓の外を見ている。

 数分経つと、またバスが何もないところで止まった。今度は降車口が開いた。男の子が前に進み、運転手に頭を下げると、降りて行った。
 降車口が閉まると、またバスは走り出す。

「ねえ久姫ちゃん、アレは誰なの?」
 私は言った。
「あれは……。可哀想な少年だよ。未だに成仏できないんだ」
 運転手が答えた。
「ええ、じゃあ幽霊なの?」
 久姫は頷いた。
「私も最初に遭遇した時は驚いたわ。でも運転手さんの話を聞くと、可哀想で仕方なくて…。それで彼のことを見守りたくて」
 何があったのかは、運転手が話してくれた。

 今から数十年前のことだ。この辺りで交通事故が起きた。死者こそ出なかったものの、被害者の女性にはとても思い後遺症が残った。
 その女性に家族は息子が一人しかいなかった。その息子は母の看病を熱心にした。だが子供にできることには限りがある。
 やがて息子は病気にかかった。大きな病気ではなかったが、日々の疲れで弱っていた息子にとっては致命的だった。でも息子は母の看病をやめなかった。
「母さんを苦しませたくない…」
 息子はそう言って、あの日も夜遅くまで頑張っていた。
 だが限界がやって来た。息子は疲労で倒れてしまう。すぐに救急車で運ばれたが、命は助からなかった。そして息子の看病が途絶えたことで、母もすぐに亡くなってしまう。

 その後のことだ。この路線の最終バスに、彼が現れた。
 バス停に現れたのではなかった。だから最初の頃は無視されたが、毎夜毎夜現れる。運転手は彼に聞いた。
「乗りたいのかい?」
 彼はコクンと頷いた。そして乗車口を開くと、乗り込んだ。
 どこまで乗るのかと思っていると、バス停を過ぎた後に降車ボタンを押した。
「ここで降りるのかい?」
 そう聞くと降車口の方に進んだ。バスを止めて降車口を開くと、無言で降りた。
 次の日も現れたので、それから毎日同じことを繰り返している。
 きっと彼は、未だ母が死んだことをわかっておらず、看病するためにバスで移動しているのだろう…。

 私も彼のことが可哀想だと思った。久姫は泣いていた。
 やがて久姫の目的地に着いたので一緒に降りた。そしてあれが最終バスだったので、歩いて帰って来た。

「どう? 怪談ではあるけれど、良い話でもあるでしょ?」
 ウェブサイトを立ち上げながら祈裡は言う。
 だが俺は、感動しなかった。
「何か、引っかかるな」
 そう言ってフロントに電話した。
「明日もここに泊まるぞ。延泊だ」
 それを聞いた祈裡は驚いた。
「どうして?」
「確かめたいことがある」
 祈裡に何を聞かれても、俺は答えなかった。

 次の日の夜。まずはコンビニだ。
「いるか?」
 祈裡が店内を探す。
「いないよ。今日は非番なんじゃない?」
 ならいいぞ。久姫にいてもらっては少し困る。
「じゃあ、バス停で待つか」
 最終バスが来るまで待った。

 そのバスがやって来た。祈裡と共に俺は乗り込んだ。堂々とシルバーシートに座る。
「そこに座るの?」
 祈裡は遠慮して、後ろの席に座った。
「お客さん、そこは…」
 運転手が話しかけてきたが、
「気にしないでくれ。どうせ乗客は、他にはいないんだから」
 席を譲る相手もいない。ここを離れる理由はないはずだよな?

 バスは出発した。そして祈裡が昨日話した通りの場所で止まり、彼が乗り込んでくる。一目でこの世の存在じゃないとわかる。生気が全く感じられないし、近づいてくるだけで寒気がしてくる。
 一瞬だけ、彼の顔を見た。
「…」
 彼は無言だった。次に運転手の方を見た。大して熱くもないはずなのに、首筋に汗が流れている。
 そしてバス停じゃないところで止まると、彼は運転手に無言で頭を下げると降りた。この時俺は、運転手を見ていた。運転手は彼の方を見ていなかった。
 そのままバスが走り出した。

 次のバス停で、バスは止まった。誰かが降車ボタンを押したわけでもなく、新たに誰かが乗ってくるわけでもなかった。止めたのは運転手だった。
「君、もう感づいているんじゃないのかい…」
 運転手が言った。
「運転手さんも、やはり心当たりがあるんですね?」
「どういうことなの?」
 話についていけない祈裡が言った。
「運転手さんが祈裡や久姫に話した内容は、やけに詳しかったですね。それに抜けている部分もありました」
 気になったのは、運転手は彼が、礼をすることを話していなかった。昨日も今日もしていたのに、である。
 それだけじゃない。彼の生前の話には、バスなんて出てこない。なのに彼の幽霊が出てくるのはこのバス。
 では何故か?
「運転手さんは、生前の彼と何かしら関係があったんじゃないですか?」
「…そうだ」
 運転手は潔く肯定した。

 あの事故を起こしたのは私ではない。だが被害に遭ったのは私の元妻だった。彼は妻が引き取った。
 元妻が障害を負ったのは知っている。だが私は、離婚のために払った慰謝料のおかげで余裕がなく、何もしてあげられなかった。
 言わば彼らを見殺しにしたようなものだ。だから彼は、私のバスに乗り込んでくるのだ。
 それが私には、非常に恐ろしく感じた。逃がさない。絶対にあの世へ連れて行く。彼の後ろ姿から、そんなことを感じずにはいられないのだ。
 でも、彼に殺されても仕方ない。だって私は、彼らを見殺しにしたのだから…。

「う、嘘…」
 祈裡はショックを隠せずにいた。美談だと思ったことが、呪いだったなんて…。
「運転手さん、俺たちはここで降りるよ。明日は彼が降りる時、顔を見てあげてよ」
「しかし、合わせる顔がない」
「そんなことはない。今からでも遅くないよ。彼もわかってくれるさ」
 そう言って二人分の料金を払うと、俺は祈裡の腕を掴んで一緒にバスを降りた。

「あんなこと言って、本当に大丈夫なの?」
 祈裡が聞く。
「絶対に間違ってるよ、こんなの!」
 それに対して、
「間違ってるのは、運転手の方だぜ」
 俺は、バスで見た彼の表情を説明した。
「彼の顔は辛そうだった」
「それはそうでしょ、苦しんで死んじゃったんだから」
「そういう苦しみじゃなかったよ」
 ホテルに向かって歩きながら、説明する。
 彼も最初は、運転手の言う通り恨みで行動に出たのかもしれない。でも今はもう違う。未だに恨んでいるなら、運転手を睨んだり、怒った顔をしていたりするはずだ。でも彼は、運転手に頭を下げる。
 乗せてもらったからじゃない。きっと謝ってるんだ。怖がらせて、ごめんなさいって。でも運転手が彼を見てくれないから、毎日謝りに来てるんだ。
「彼の辛い表情は、死してなおこんなことをしてしまったことに対する自責の念だったんだ」
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