その五 禍球男

文字数 10,384文字

「お、メールだ」
 サイトに一通来ていた。送り主は神代という男。件名を読む。
「呪われた立場――禍球男」
 そう書かれていた。そしてメールの本文には、こうあった。
 ネットで読める怪談話を探していたら、募集中とのことでメール出しました。誰かが呪われるのを第三者の立場で見ている話より、呪われた人の話を聞いてみませんか? 興味があれば、次の住所に来てください。神代エンジ。
 呪われた人の話。とても興味がある。確かに姦姦蛇螺とか、禁忌とかは誰かがおかしくなってしまう話。当事者というより、周りの人の話。呪灯留島なんてまさにそうだ。しかしこの神代とやらの話は、そうではないらしい。
 俺はすぐに出発した。祈裡もついてくる。

 バスを降りて一時間歩いた。道路がある、というよりは森を無理矢理切り開いたところをアスファルトで舗装したと言った方がいい。そんな田舎に、建物が一軒だけあった。
「橋下陶芸工場…」
 ここは陶芸の工場らしい。取材がてらに体験でもさせてもらおうか。そんなことを祈裡と話していると、誰かが建物から出てきた。
「あなたたちは誰ですか?」
「あ、どうも。メールをいただいた天ヶ崎です。神代さんですか?」
 男は首を横に振る。
「いいえ。私は栗花落。そしてメールって?」
「えっ。俺のサイトにくれたじゃないですか?」
 ノートパソコンの画面を見せる。栗花落と名乗った男はメールを読んでいる。その間に俺は、少し不安になった。だってそうだろ? コイツ、俺たちを呼び出した神代じゃないんだもの。
 読み終わった栗花落は、俺に目を合わせて、
「事情はわかりました。神代さんがいいと言うなら話を聞かせてあげましょう。まず工場の和室に案内します。荷物、お持ちしますね」
 と言って案内してくれた。案外、良い奴らしい。
「この陶芸工場はあなたのですか。橋下って書いてありましたが」
 ちょっとした疑問をぶつけてみると、
「私の師匠の名です。師匠は既に旅立ちましたが、このまま変える気はありません。私はずっと、師匠の弟子ですよ。それに…」
 ご丁寧で長々な返事が返ってきた。
 和室に着いた。畳はとても綺麗で、ちゃぶ台も埃一つ被っていない。部屋の隅々にまで、掃除が行き渡っている。
 この栗花落という男は、とても真面目なのだなあ、そう感じた。
「お茶です」
 女性が一人、お盆に湯呑と急須を乗せて入って来た。そして俺、祈裡、栗花落とこの女性の分のお茶を入れた。
 俺と祈裡が座ると、二人も座った。
「まず、初めまして。私は栗花落(つゆり)洋大(ようだい)と言います。二十一歳です。大学はおろか、高校すら出ていません。でも陶芸の仕事で、十分に食べていけます。こちらの女性は神代(かみしろ)夢路(ゆめじ)です」
 こっちの女性が神代…。でもメールの差出人は、エンジって名前だったな。
「俺は天ヶ崎氷威。で、こっちのは和島祈裡。フリーのライターで、本にするために怪談話を取材で集めています。こちらで聞いた話は全部、場所がわからないようにするので、その点は安心を」
 挨拶はこれぐらいにして、お茶を一口飲むと、早速本題に入る。
「まず、メールの送り主の神代エンジについて知りませんか?」
「それはこれから話の中で出てきますよ」
 そう言うなら、無駄に詮索はしない。
「最初に、私の出身は本州です。だからと言って詳しい場所は明かせません。そこではある、伝説というか、神話というか、そんな話が語り継がれていたのです。周りの人は、マガタマヲトコと呼んでいました」

 栗花落洋大。大した自己紹介もしていないのに、私の名前は地域に広まっていました。理由は札付きの不良だったからです。自分の機嫌を損ねた人には、容赦なく拳を振ってきました。
 中二の夏でした。あの日、駅でぶつかった高校生が謝らなかったので、駅裏に連れ出して徹底的に叩きのめしました。当時の私からすれば日常茶万事でしたが、一緒にいた彼女は怖がっていました。電車の中で彼女が私に言ったのです。
「洋大って、怖いものなしなの?」
「当たり前だろ。俺に敵う奴なんて、この町にいねえよ」
 私は喧嘩がとても強く、実際に負けたことは一度もありません。彼女は話を続けました。
「南の山の中に、妖怪を封印してるっていう話、聞いたことある?」
「知らねえ。何お前、そんなの信じてるのか?」
 私は大声で笑いました。同じ車両に乗っていた人は誰も注意しません。いや、誰もできなかったのです。言えば必ず殴られる。そう思っていたんだと思います。
 そう考えると、この日の彼女の唐突な話の真意がわかります。私に、目の前から消えて欲しかったんでしょう。面と向き合って言えないのなら、怪談に任せようって魂胆だったと思います。これからの展開を考えてると、それで間違いないでしょう。

 先にその伝承を話しておきましょう。
 農民が刀で切り殺したという表現が出てくるため、恐らく時代は安土桃山ぐらいだと思います。その時代にはかつて、二つの村がありました。
 両方の村に重税が課されていましたが、山のふもとにある村、山村はそれに困っていませんでした。川の側にある村、川村はそれを不審に思っていました。
川村の民がある日漁をしていると、山村の方から一人の少年が走ってきました。川村の民は少年を保護すると、逃げてきた事情を聞きました。
「山村は繁栄のために、生け贄を必要としている。今年は自分の番で、嫌だから逃げてきた」
 少年はそう言いました。山村は豊作や豊漁など、色々な事象で神様に生け贄を捧げていたのです。その見返りか、だから山村は繁栄し、重税にも耐えてしかも余裕だったのです。
 川村の民は少年を保護しましたが、生け贄がいなくなって困った山村は、川村を襲撃します。しかし、川村の民の方が剣術が一枚上手でした。襲撃者を切り殺すと、山村は諦めて帰りました。
 そこから何事もなく安心していると、少年は山村が心配だから戻ることにしました。川村は止めましたが、他の人が生け贄になるだけだ、そう言って村から抜け出しました。
 山村に戻ってみると、悲惨な光景が待っていました。少年の一族は責任を負わされ、家族が皆殺しにされていました。父、母と他の家族がみんな、さらし首にされていました。
 今さら戻っても意味なんてなく、少年は逃げたことを後悔しました。そして自分の家にある刀で、自らの首を切り落とします。この時の少年の目は後悔と悲しみで濁っており、心は家族を殺されたことに対する怒りで満ちていました。
 次の日、少年のことを心配した川村の民は山村に行きます。しかしそこは、村と呼べるところではなくなっていました。
 建物という建物は全て壊され、畑は枯れ果て、井戸は干上がっていました。
 しかし、川村の民が驚いたのはそこではありませんでした。山村を隅々まで捜索したのですが、人が誰もいません。あるのは、さらし首だけでした。
 もしかして、山村はとっくの昔に廃れており、少年はこの地方に迷い込んだ浪人と思ったその矢先、川村の他の仲間が慌てて山村にきました。
 話を聞いて川村の民が村に戻ると、側の川から異臭がしました。そして川を覗くと、そこは地獄でした。
 何十、何百という死体が、川の上流から流れていました。
 この事態に困惑する川村の民。導き出された結論は、生け贄を捧げなかったことに対する、神の怒り。しかしたったそれだけで村を壊滅させるのは、神様は我儘すぎる。再び山村に向かった民は、唯一崩れていなかった民家の中で少年の遺体を見つけました。
 その顔は、見るに堪えないものでした。
 川村の民は、神の怒りと少年の怨念が川村まで来ることがないよう、山村を片付けて綺麗にした後、勾玉を宝玉として祭った社を造り、そして山村の存在を隠すかのように木を植えて林を作りました。
 これ以降、川村に異変は起きませんでした。しかし川村の民は、あの少年のことをマガタマヲトコと呼び、近寄ることを一切禁じました。
 川村の民が残した記述によると、江戸から大正の間に、何人か山村の跡地、禍球社に侵入した人がいたようですが、一人残らず変死しているそうです。そして五人目が死んだ後、最後に書かれていました。

 あそこは日本ではない。マガタマヲトコの体の一部だ、と。

「ここか」
 妖怪になんか負けられるか。私は彼女にそう言ったので、その日の夜に例の山に行きました。荷物は懐中電灯とケーブルカッター、それに証拠を写すためのインスタントカメラ。
 森の中を懐中電灯で照らしながら進みました。蛾や蚊が飛んできても相手にせず、フクロウの鳴き声と葉っぱが擦れる音も無視して前進すると、有刺鉄線が見えました。
 有刺鉄線に沿ってさらに二十分歩きましたが、どこにも抜け道はありません。持っていたケーブルカッターで鉄線を切り、自分が入れるくらいの穴を開けると、その中に入りました。
 その時です。インスタントカメラのシャッターが勝手に切れました。
「何だ?」
 しかし写真には、何も写っていませんでした。この時フィルムの無駄ってことよりも、ヤバい領域に足を踏み込んでいると思いました。でもそう考えてしまったからこそ、引き返すわけにはいかないと感じました。
 ここから時間が割とかかりました。有刺鉄線の内部の林は本当に未開の地で全く見分けがつかず、恐らく同じ道を何度も何度も歩いていたと思います。それでも私は社を目指しました。

 さらに三十分ぐらいでしょうか。林の中に突然、開けた空間がありました。不思議なことにその空間だけ、地面には雑草すら生えていませんでした。思えば有刺鉄線をくぐってから、フクロウの声も聞こえず蛾も蚊も飛んでいませんでした。
 でもそんな事、気になりませんでした。何故なら目の前に、目的の社があったからです。
「これか? 本当に?」
 伝承が正しければ、何百年も経っているはず。なのに社は、全く汚れていません。昨日建てたばかりと言われれば信じてしまいそうなくらいです。一応、インスタントカメラで撮影はしましたが、今度は普通に撮れました。
「勾玉とやら取って、彼女に自慢するか」
 私は社の扉を強引に開けると、中に入っていた布でできた袋に手を伸ばしました。
 その時です。誰かが私の腕を掴みました。
「放せよ。邪魔だろ?」
 そう言って腕の持ち主の方に顔を向けました。
「うわっ!」
 腕の持ち主は、顔がぐちゃぐちゃでした。おでこに鼻があり、目の部分には口があり、鼻の部分には目がありました。顎にも目がありました。口の部分には、小さな無数の蓮のような穴がありました。一瞬、恐怖が私の心を覆いました。
 これがマガタマヲトコか! 私は思いました。同時に一歩下がりました。マガタマヲトコは社の扉を閉めようとしました。
 そこで私は何を思ったのか、このまま引き下がれないと、無謀にもマガタマヲトコに掴みかかりました。たやすくマガタマヲトコを投げ飛ばすと、起き上がる前に社の扉を開けて、中の袋を取って来た道を引き返しました。
 目の前に有刺鉄線と自分が開けた穴が見えました。そこをくぐって外に出ました。
「なんだ、楽勝じゃねえか!」
 その日は私には何も起きず、家に帰って寝ました。

 異変が起きたのは次の日でした。
 朝、起きてリビングに向かうと、腰を抜かしました。母と父の顔が、昨日見たマガタマヲトコの物になっていたのです。
「どうしたんだ、父さん、母さん?」
「は? あんたこそどうしたの、洋大? 昨日夜中にどこか行ったでしょう?」
 母も父も、普通に会話しています。しかし顔は完全にマガタマヲトコです。パニックになっている私に父が近づいてきます。あの顔に耐えられなくなった私は寝間着のまま家を出ました。
 けれども、町の人たち全員の顔が、私にはマガタマヲトコに見えました。隣の家の人も、近所の子供も、彼女も。
 私は家に帰ると自分の部屋に籠りました。そして昨日撮った写真を見ました。
 社が綺麗に撮れていました。オーブのような変な物、マガタマヲトコ等そう言った心霊写真に出てくる類のものは何も写っていませんでした。
 ここで、一枚目の写真の存在に気が付きました。何も写っていなかったあの写真、どうなったのだろう。恐る恐る見ました。

 子供が一人、刀で自分の首を切っている光景が映し出されていました。

「ひえぇ!」
 写真を破り捨てようとしましたが、引きちぎれませんでした。ハサミを使っても、どういうわけか切れません。油性ペンで塗りつぶそうとしても、インクが出ない。困り果てた私は封筒にその写真を入れて机の引き出しにしまうと、ガムテープで封印しました。

 そのまま一週間が経ちました。この日、家にある人物がきました。地元のお寺のお偉いさんだったと思います。
「洋大。お前、禍球社に行ったのか?」
 お偉いさんはそう聞きました。私は無言で頷きました。
「俺の顔は、どうなっている?」
 私は、ぐちゃぐちゃに見えると答えました。すると母と父は落胆しました。
「栗花落さん。悪いがもう、手遅れです。むしろ一週間も生き延びていることに驚きです。普通なら三日と持ちませんから」
 手遅れ…?
 意味がわかりませんでした。

 私はすぐに車に乗せられ、隣町にあるもっと大きなお寺に連れて行かれました。そこでお祓いを受けました。
「どうだ。顔は? 元に戻ったか?」
 私は首を横に振りました。
「やはり駄目か…」
「ここの神主さんでも駄目なら、もう誰も…」
 そんな会話を聞きました。そしてまた、車に乗せられました。

 また寺か神社かと思っていると、着いた先は精神病棟でした。
「何でこんな場所に俺が?」
 私はお偉いさんに疑問を投げかけました。
「お前はもう、手遅れなんだ。みんなの顔が、禍球男に見えるんだろう? もはや普通の生活は不可能。ここで最後の時を過ごせ。とは言っても短いだろうが」
 冷たく私のことを切り捨てました。
「はあ? 何でだよ!」
 私はお偉いさんに殴りかかろうとしましたが、病棟のスタッフに抑えられました。
「非行に走った自分が悪い。社に行った自分を恨め」
 とだけ言って、お偉いさんは帰ってしまいました。私は精神病棟に残されました。

 精神病棟では、スタッフの陰口を必死に聞きました。そしてあることがわかりました。
 やはり私の彼女が私と別れたかったらしいです。それでマガタマヲトコの話を私にし、その後後悔の念から、お偉いさんに頭を下げて救出してと頼んだとのこと。でも結果は、不可能でした。

 私は後悔しました。傲慢でなければ、不良でなければ、こんなことにはならなかったはず…。しかし今さら嘆いても、もう遅い…。後はここで死を待つだけ…。
「貴様それでも名を馳せた悪か?」
 精神病棟に移されて一週間後。私と同い年くらいの少年が何の約束もなしにやってきました。
 突然の来客にスタッフは驚いていましたが、私はそれ以上に驚いていました。彼の顔は、マガタマヲトコの物ではなく、普通だったからです。
「その顔…。何で?」
「理由は後で教えるとして…。栗花落、ここから出るぞ。ここでは我輩も目立った行為はできん」
 出るって言っても、私は見張られていました。部屋の窓には鉄格子がありましたし、自由時間も与えられていません。
「そんなの無理だ」
「やってみせようぞ」
 そう断言した彼は私をそのまま連れ出しました。不思議なことに、病棟のスタッフとは誰ともすれ違いませんでした。
「貴様。不思議に思わぬか? どうして自分が死なないのか?」
「……」
 私にはわかりませんでした。
「着いたら教えてやろう。全て、な」
 少年は霊柩車を病棟近くの道路に停めていました。それに乗り込み、移動しました。
「緒方、まずは栗花落の家だ。取ってこなければいけないものが二つ」
「かしこまりました」
 緒方という運転手が車を走らせました。

 私の家、だったところに着くと、
「貴様は降りるな。抜け出したことがバレる。書類上貴様はまだあの精神病棟におるのだからな」
 少年だけが降りました。そして数分後、戻ってきました。
 霊柩車の中で取って来たものを見せてくれました。
「まずは写真。貴様、コレに遭遇したのであろう?」
「はい…」
 私は頷きました。
「これは、貴様の方が詳しいのであろう? 間違いなくマガタマヲトコだ。その死の瞬間を、マガタマヲトコはわざと見せたのだ。あそこは日本であって日本でない。マガタマヲトコの一部なのだ」
 私は、彼女だった人から聞いた伝承を思い出しました。
「次に。貴様が死なない理由を教えてやろう。これだ」
 彼は、布でできた袋をポケットから取り出しました。そして袋から、中身を取り出しました。
 翡翠でできた勾玉でした。
「これを貴様が持っていては、マガタマヲトコも貴様を殺せんわけだ」
「どういう、意味?」
「あのまま貴様を殺してしまっては、勾玉を社に返せないであろう? あるべき場所にないのであれば、力は落ちる。それに貴様が死んでは、勾玉のことを知っておる者がいなくなってしまう。増々社に戻れんな」
 私は、マガタマヲトコに生かされていたのです。
「じ、じゃあ勾玉を社に戻せば…」
 少し希望が見えましたが、
「直後に死ぬであろうな」
 違いました。
 彼は続けます。
「正直のところ、我輩にも呪いを解けるかどうか疑問ではある。だができる限りのことはやってみせようぞ」

 着いたところは、港でした。
「海を渡る。貴様には、我輩の親戚の家で暮らしてもらう」
 また勝手に…。流石に私も黙ってはいられませんでした。
「まだ何も説明を受けてない! 勝手に決めるな!」
「じゃあ勝手に死ね」
 ここで私は、この少年に見捨てられたら本当に終わりだと思いました。そう感じさせるには十分すぎる台詞でした。
「わかった。でも説明をしてくれないか? あの日以降、俺はどうなってるんだ? 呪われてるのか? ならどうして、あんたの顔は普通なんだ?」
「よろしい。では真実を全て、飲み込む覚悟があると」
 私は無言で頷きました。

 彼によれば、私が遭遇したのは伝承にある、マガタマヲトコで間違いないそうです。マガタマヲトコの逆鱗に触れてしまった者は、自分以外の顔がマガタマヲトコに見え、発狂して死んでしまうそうです。そして私が死ななかった理由も、彼の言う通りだそうです。
 私たちはガンガリディア号というフェリーに乗って、海を渡りました。船の上で彼は、
「マガタマヲトコの呪いは強靭だ。それこそ、その辺の住職や神主ではどうにもならん。だが我輩なら、何とかできる可能性がある」
「どうして、あんたなら?」
 そこが気になりました。
「我輩には聞こえる。死者の声が。我輩には見える。苦しめる魂が。所謂霊能力者という奴だ」
 今までの私なら確実に笑い飛ばしていたでしょう。しかしここまでくると、そうでないことの方が信じられませんでした。
「実際に可能性はある。現に貴様、我輩の顔は普通なのであろう? それが既に呪いに抗えている証拠」
 その言葉を聞くと、安心できました。

 海を渡って港に着くと、また車で移動しました。今度は山中にポツンとある、陶芸工場に着きました。
「橋下工場? お祓いするのに、何でこんな所に?」
「我輩ぐらいの実力なら、場所なんて関係せん。寺だの神社だの言う輩はまだまだだ」
「とは言ってもあんたは、俺とそんなに変わんねえだろう!」
「確かに。我輩は貴様と、年は変わらない。だが年齢もまた、関係せん」

 工場に入りました。白髪のおじいさんが一人、ろくろを回していました。
「久しぶりだな、閻治(えんじ)。用意はできてるぞ」
 そう言って和室の戸を開きました。
 中に同い年くらいの少女がいました。
「神代夢路です。よろしくお願いします」
 自己紹介されても、顔は…。
「夢路には、貴様と一緒にいてもらう。そうでなければ呪いが解けたかどうか、わからんからな」
 この少女は言わば、呪いが解けたかどうかの指標でした。
「そんな事をさせるの? あんたの姉か妹かって人に」
「夢路は戸籍上は姉だが、血縁上は我輩の姉ではない。養子だ。神代家は代々霊能力者を排出してきた家系。だが、どういうわけか次男次女は生まれない。その都合上、今まで数え切れないほど多くの、捨て子を養子に迎えてきた。我輩は本家の人間だが、さっきの橋下も運転手の緒方も、元をたどれば捨て子だ」
「だからって…」
「それが神代家の運命。一番最初の子供が全てを継ぎ、後からきた子供はその言いなりとなる。悪しき風潮が現在でもこんな形で残っておる。これはもはや変えられんのだ」
 ここで初めて、神代という家系について聞きました。彼らの運命は変えられないのでしょう。でも彼は私を救おうとしました。きっと私の運命なら変えられる、だから私のために親身になってくれたのでしょう。
「今日は移動で疲れておろう。もう寝ると良い。明朝より除霊を始める」
 私は和室に泊まりました。

 朝、目覚めると既に準備はできていました。
「栗花落。貴様に約束させることがある。よいか?」
「な、何を?」
「まず一に。貴様はもう、死人という扱いを受けておる。表社会に出しゃばるような生き方は不可能と考えた方が良い。次に、今後一切、非行はやめろ。マガタマヲトコの呪いは素行が悪いと解けづらい。酒もタバコも駄目だ。女も夢路以外は駄目だ。最後に、他人の顔がどのように見えるのか、我輩以外には聞かれても教えないこと。これを破れば除霊しても意味はありはせん」
 厳しい約束でした。全て飲むなら、もう人生は楽しめない。でも私はすぐに受け入れました。全ては私の素行の悪さが引き起こしたことだからです。文句を言う資格は、私にはありませんでした。
「では始める。夢路、電気を消せ」
 彼は何やら唱え始めました。そして何度も私に塩をかけました。これが数十分続いた後、和紙に筆で何かを書くと、それで私の頭を軽く叩き、除霊は終わりました。
「お疲れ様でした、栗花落さん」
 夢路さんがそう言いました。
「あっ」
 私が喋ろうとすると、彼が口を塞ぎました。
「夢路。貴様の顔は自分で鏡で見たとおりだ。それ以上は何も聞くな。栗花落も何も答えるな」
 私は黙りました。彼は除霊が成功か失敗か、答えませんでした。

「貴様はここで生活しろ。それ以外の選択肢は、ありはせん」
 彼はそう言いました。私もここで生きる以外のことは考えていませんでした。
「栗花落。ここでの生活は、貴様が幼少時代より望んでいたものとは全く違うであろう。しかし、これが現実と受け入れよ。非行に走った自分を呪え。我輩もしばらくは、生活を見てやろう」
 彼も工場に泊まりました。しばらくの間は、彼と夢路と私と、三人で生活しました。

 やがて、彼が本土に戻る時が来ました。心強い彼がいなくなってしまうのは悲しいことでしたが、本土に戻ると言うことは私について、心配事がもうないのと同義です。私は、見知らぬ人間に対してここまで尽くしてくれた彼に感謝しました。そしてこの工場で、橋下さんのもとで陶芸の修行を開始しました。

 そして三年後に橋下さんはお亡くなりになりましたが、私はその時までに教わることを全て吸収し、生活に困らないだけのお金をちゃんと稼げています。あの時から一緒にいる夢路にも、苦労は何一つさせていません。彼に言われたことを守って、ひっそりとここで生きています。

「なるほど。神代エンジって人は霊能力者で、あなたは彼に助けられたってことですね」
 マガタマヲトコの話は怖かったが、その後栗花落さんの歩んだ人生も不思議なものだ。
「地名や人の名前は、全て偽名…いや、私は本名でも構いません」
「そういうわけにはいきませんよ。全部、こちらで調整しますよ」
 お茶を飲み干すと、おかわりをくれた。
「最後、除霊が終わった後の話が割と飛んでたけど、どうして?」
 祈裡が言った。
「それはあまり、マガタマヲトコと関係がないので…。今でも毎年、彼は私に会いに来てくれますけれど、するのは世間話ですから。それと、ネットでこういう話で出現する、どこかに行ってそれっきりという人が、必ずしも彼の様な人と出会っているわけではないと思います。私はただ、運が良かったんだと思いますよ」
 それぐらい聞けば、もう記事にできそうだ。
 だが引っかかることが二つある。
 一つ目を聞こう。
「そう言えば、写真と勾玉はどうなったんですか?」
「写真は、彼が本土に戻る前にお焚き上げしました。その時既に、霊気はなかったらしいです。勾玉の方は、彼が持って行ってしまいました。壊したわけではないそうですが、一度だけその後の禍球社について聞いた時、彼が親族に頼んで取り壊してもらったと言っていたので、社に戻されているわけでもないようです。きっと彼が記念に持っているのではないでしょうか?」
 悪影響を及ぼさないなら、持っていても大丈夫って考えか。
 もう一つを聞いてみよう。
「マガタマヲトコの呪いは、本当に解けたんですか? 俺の顔、どういう風に見えますか?」
 すると栗花落は答えた。
「あなたが鏡で見た通りですよ」
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