その十一 この森は誰のもの

文字数 6,503文字

「ひー…」
 俳句が有名な山寺に来たのはいいのだが、こんなに階段あるのか? それは聞いてない。
 祈裡は自分にかまわず、ささっと登って行ってしまった…。少しは心配してくれてもいいよな…。
 何とか近くのベンチに座って休んでいると、隣に女性が座ってきた。
「…随分と汗だく、酷い表情だけど大丈夫?」
「ちょっと、飲み物が欲しい…」
 すると、自販機で買ってきてくれた。俺は差し出されたスポーツドリンクを受け取り、一気に飲み干す。
「ありがとう。生き返ったよ」
「いえいえ。山では助け合いが基本なの」
 助け合いか…。祈裡に耳が腫れるほど聞かせてやりたいよ。
「それにしても一人で来るなんて、結構無謀ね」
「違うよ。仲間に置いて行かれたんだ…」
 じゃあ一緒に探そうと、その女性は提案した。
「俺は天ヶ崎氷威っていうよ。よろしくね」
「私は麻倉(あさくら)(ほむら)。氷威って聞いたことあるわね。確か旅人の運営する怪しいサイトがあるとかないとか…」
 それは正真正銘の俺のサイトで、怪しくないと大声を出した。
「じゃあ、私の話聞く? 嘘か本当かはあなたが判断するとして」
「いいよ」
 そういうと、焔は話し出した。

 あれは私が大学一年生の夏。大学生活最初の登山を蔵王山に決め、山道を歩いていた。
「何アレ?」
 道の脇に、見慣れない動物がいた。
 イタチでもクマでも、イヌでもネコでもない。
 牙と爪が大きい。反比例して足と尻尾は短い。
 最大の特徴は、毛色。上半身は黒ずんだ汚い色だが、下半身はきれいな白だった。
「ジジジ…」
 それは立ち上がろうとするけど、力が入らないのか、すぐに倒れこむ。
 私としては、野生動物にエサはやらないと決めている。味を覚えた野生動物が人里に降りてくるのを防ぐため。
 でも今回は…。何度も倒れては起き上がろうとするその姿を見るに見かねて、カバンの中のおにぎりを取り出した。
「ジジ!」
 急に睨んできたので、引っ込めた。
「何よ、もう知らないから!」
 私は無視することにして、横を素通りした。

「おかしいな」
 天気予報は必ず確認するようにしているけど、あいにく雨が降りそうな空模様だった。だから私は頂上を諦めて、下山することにした。
 その帰り道で、またさっきの野生動物を私は見た。本当に体力の限界なのか、一歩も動いていない。呼吸もしんどいのか、体の浮き沈みも確認できなかった。
「何もしてあげられないのを許して」
 私にできることは、見て見ぬ振りだけ。だからそう言い残して帰ろうとした。その時、
「ウウウ…」
 野生動物は、鳴いた。まだ生きている。だったら最後の瞬間ぐらい、この目に収めてあげよう。そう思って近づいた。
 今思えば、何でそう思ったんだろうか? 自分が行ったことなのに、不思議に理由がわからない。
 その動物は腕を地面から、ほんのちょっぴりだけ上げた。爪の動きから考えるに、何かを掴もうとしている。
 生き物は最後まで生き抜こうとするんだな、そう思っていると目の前の野生動物は、差し出した私の手を掴んだ。
 温もりは感じなかった。力も少しもこもってなかった。
 でも何か、すぐに離してはいけない気がした。
「………」
 直後、その動物の手が、私の指からすり抜けて落ちた。そして二度と動くことはなかった。死んだんだ、そう思った。
 放っておけばいいのに私は、近くに捨てられていた大きめの木の枝で穴を掘って、その死体を埋葬した。墓標代わりに石を立ててやった。

 家に帰った後で、あの動物は何という種類だったのか気になった。でも写真を撮ってくるのを忘れたし、下宿先には動物図鑑もない。インターネットで調べようにも、あの特徴が当てはまる生き物は奥羽山脈には生息すらしていなかったから、結局何者だったのかはわからない。

 そしてその日の夜、私は夢を見た。
 私は森の中にいた。薄暗くて、ジメジメしていて気味が悪い木々の間で、なぜかしゃがんでいる。
 急に体が動き出した。不安定な地面を素早く駆け走る。その先には、人がいた。でも登山者じゃなければ、山菜採りでもなさそうだった。
「うわ!」
 その人は叫んだ。何故なら私がその顔に飛びついたから。そして私は、鋭い爪を立てるとこめかみから喉元まで一気に切り裂いた。
「うう…」
 鮮やかな血を吹き出して倒れる人。その返り血をおもむろに浴びる私。少しネバネバしていて、しかもちょっと温かい。
 次に私は、今殺した人の肉を貪っていた。骨はボキボキと簡単に噛み砕けた。大して美味しくもない肉が、私の喉を通るたび、吐きそうになった。でもなぜか私は、口を止めない。

 気がついたら、朝日が差し込んでいた。真っ赤になったその場の周りには、餌を求める他の野生動物がいた。だからなのか、私は死体から遠ざかる。
 そしてまた森の中を駆け巡ると、沢にたどり着く。そこで口をつけて水を飲んだ。冷たくてとても美味しかった。でも水面には、私の顔についていたであろう血が、洗い流されて広がっていく。
 喉を潤して満足したのか私は、さっきの場所に戻る。死体は既に食い散らかされていて原形を留めていなかった。
 その時、私は死んだ人が何をしに森に入って来たのか理解した。
 ゴミだ。この人はこの森に不法投棄するためにやって来たのだ。

「はああ」
 眼が覚めると私は、顔を触って汚れていないか確かめた。鏡も見たが、大丈夫。血は付着してない。
「何だったのあの夢は…?」
 言い表すのが難しい。怖いものは出てこなかった。強いて言うなら自分が一番怖かった。
 間違いなく、人を殺す夢だった。しかも感触は妙にリアルだった。顔を洗う時に水道水に手が触れるまで、血の感触が生き残っていたぐらいだ。舌にも人肉の食感が留まっていて、朝ごはんは食べられなかった。

 私は大学に向かった。夏休み中の集中講義を受けるためだ。その時一緒に受講した同期に、夢の話をした。
「おい焔…。そんなサイコ全開な夢見るのかよ? 見かけ通りかわいいファンタジー丸出しのにしとけって!」
 同期の骨谷(ほねたに)はそう言った。私も、
「自由に決められるなら、言われなくたってもっとロマンチックなものにするわよ!」
 と反論した。
 少し会話をしていると講義室に先生が入って来たので、私も骨谷も黙った。でもこの集中講義はとても眠気を誘うのが上手く、私はウトウトしてしまった。隣に座っている骨谷は一足先に夢の中だ。

 気がつくと、また森の中にいた。水の音が聞こえるから、今度は川の近くらしい。
「………」
 喋ろうとしたけど、口が開かない。無言で私は、ある一方を見ていた。
 そこには女性がいる。どうやら釣りをしているようだ。だからなのか、私の存在には気づいてない。
(逃げて!)
 私は心の中でそう叫んだ。もしかすると、前みたいに襲いかかるかもしれない…と思っていたその矢先、体は既に動いていた。
 川を勢いよく下ると、女性に飛びついて押し倒す。岩に頭を打ち付けたのか、女性は動かない。そしてそのまま、喉を食い破った。また口に広がる血の、鉄の味。女性の肉は柔らかく、すぐにバラバラできた。そして私はそれを、川の底に引きずり込んだ。
 瞬く間に川は赤く染まる。その光景を目にして私は心の中で悲鳴を上げた。

「おい焔? 焔!」
 気がつくと、私は講義室にいた。どうやら寝てしまったらしく、心の中で叫んだと思っていた悲鳴は、実際に今さっき私が大声で言ったらしい。講義室中の学生全員が私に注目していたので、恥ずかしかった。先生には謝って、講義は受け続けた。
 でもどうしても夢の内容が気になってしまう。

 何故私は、人を襲う夢を見るようになったのか?
 何が目的で人を殺しているのか?
 夢の中で自由に動けないのはどうしてか?
 この夢には何か、意味があるのか?

 私は骨谷に聞いてみた。
「前世の記憶っていう感じじゃないな。そんな罪深い害獣が人間にしてもらえるの? 神様の手で?」
 骨谷は馬鹿らしく笑うので、スネを蹴ってやった。すると真面目に話を聞いてくれた。
「夢ってのはさ、二通りなんだと思う」
「ドレと、ドレ?」
「俺が思うに一つは、願望。よくあるじゃん? 願望が夢に反映されてそれを見るとかさ。空を飛んでみたいから、そういう夢を見る、とか」
 私は怒って、
「じゃあ何? 私が人を食い殺したいとでも! ひっどーいわね、あなたって人は!」
「もう一つ…それは予知夢だ」
 骨谷によれば、一種の超能力のようなもの。事前に起きることを夢で見ることがあるらしい。
「もし焔が見る夢が予知夢だというのなら、近い将来現実に殺人事件…というより食害事件が起きるってことだ。焔はそれを事前に知る術を身につけたってわけだな? どうやったのかは知らないが」
「じ、じゃあ! 事件は防げるのね!」
 私が期待を込めて言うと、
「無理じゃないか? どこの森かわからないんだし、日本じゃないかもしれない。それに害獣に焔が勝てる?」
 と骨谷は言うのだ。
 彼の言うことは正しい。私は引き下がった。
「でも不思議なのは、たかが夢なのに妙にリアルな感覚なんだね? 迸る血潮、砕かれる骨、血の匂いに味…。普通そこまで覚えてられるか? 寝てる間に見る夢だぞ?」

 この日も夜、寝なければいけないと思うと布団に入りたくないぐらい憂鬱だった。
 また、人を殺す夢かもしれない。見たくないから、寝たくなかった。
 骨谷は未来に起きることを先取りして見ているって言っていた。だけどもしこれが、過去の出来事だとしたら?
「わわわ、わ、私は、本当に人を殺しているの?」
 信じたくなかった。でも一度そういう思考を持ってしまうと、捨てられない。
「もしもももししかして、寝ている間にこっそり抜け出して、森に行って、そこで本当に人を…」
 それ以上言う前にスマートフォンに手を伸ばし、骨谷に来てもらった。
「心配が過ぎるぜ? だいたいその話が本当だとしたら、昼間のことはどうやって証明する? 講義室を抜け出したとでも言いたいのか?」
「とにかく今日はここで、一緒に夜を明かしてよ! じゃなきゃ怖くて眠れない!」
 私は非常に子供っぽいことを言った。でも骨谷はすんなりと受け入れてくれた。後で聞いたが、私の目が本気だったらしい。
 私はベッドに、骨谷は床に布団を敷いて、部屋の明かりを消した。そして少し雑談をしながら、眠りに落ちるのを待った。

 やっぱり森の中に私はいた。月明かりが木々の間から差し込んでいる。
 私はじっとしておらず、気がつくと走り出していた。そして止まると、木の陰に隠れた。視線の先に土を掘っている男性がいる。その横にはデカいキャリーバッグが置いてあった。男性は急いでスコップを動かし、少しでも深く掘ろうとしていた。
 何をしているんだろうと考える隙もなく、私は男性の背中に飛びついた。
「うわ!」
 男性は暴れ出す。それもそのはずで、既に私が爪で背中を引き裂いたからだ。
「この野郎!」
 スコップを両手で持って、男性は私にそれを向ける。対する私は、爪と牙で迎え撃とうとしている。
 ジャンプして噛みつこうとする私。だが牙はスコップの柄に遮られた。そして男性がフルスイングをすると、私の頭に思いっきりブツかった。
(痛い!)
 言葉にできなかったけど、猛烈な痛みが私の頭から全身に走った。フラフラと歩くのが精一杯なぐらいだ。男性はそんな私に追い打ちをしかけてくる。
「この! 獣め! 俺を邪魔しやがって!」
 グサ、グサっとスコップの刃が私の体に食い込むたびに、激痛を感じた。
(これ以上もらえば間違いなく死ぬ……)
 そう思った私は、最後の力を振り絞って立ち上がり、そして逃げた。うまく走れなかったが男性は追いかけて来なかったので逃げ切った。
 だが、体が限界なのか、言うことを聞かない。一度休もうと思って地面に寝転がるが、そしたら起き上がれなくなってしまった。
(ああ、死ぬんだ、私…)
 怖くなかった。人を殺したから、必ず報いを受けるんだ。そう思うと簡単に死は受け入れられた。
 でも最後に、さっきの男性のことを誰かに伝えないといけない。そうしないと死んでも死に切れない気がした。だから瞼は閉じれなかった。
 だけど傷ついた体では何もできない。目を開けたままの状態で、時間だけが過ぎる。周りが明るくなってきたのを感じた。夜が明けたのだ。

 そしてその時に、理解しがたいことが起きる。
 何と目の前に、『私』がいる。ちゃんと人の姿をしていて、登山着で、下の方から登ってくる。
 近づいてきた『私』は、荷物を漁ると中から何かを出した。よく見えないけどそれがおにぎりであることは私がわかっていた。
(ここにいちゃいけない。近くにまだ、さっきの男性がいるかもしれない)
「ジジ!」
 やっとの思いで出せた声は、そんな鳴き声だった。でも効果はあって、『私』は、
「何よ、もう知らないから!」
 と言って遠ざかっていく。
 これで一安心、というわけにもいかない。どうしてもさっきの男性のことを『私』に教えなければ。
 でも意識が遠のいていくのを感じた。もう無理だ。そう思った時、『私』は登山道から引き返してきた。
 もう何も喋れない。息をするのもしんどく、変な音が喉からする。『私』が何を言っているのかすら、もうわからない。でも最後に、戻って来てくれたことに感謝したい。私は全身の力を腕に集中させて、腕を持ち上げた。その時体の他の部分の感覚は完全になくなった。

 骨谷に体を揺さぶられて、起こされた。
「いい加減に起きろぉ!」
「うう…。朝?」
「とっくに昼だ! この寝坊助!」
 私は起き上がると、すぐに着替えて出かける準備をした。
「おい焔! どこに行くんだ?」
「あなたも付いて来て!」
 目的地は、蔵王山。なぜそこに行かなければいけないのかを、私は車の中で骨谷に話した。
「…………………なるほど。つまり焔が登山をした時、近くで何か…死体のようなヤバいものを埋めようとしている男がいたというわけか」
「信じてくれる? こんな馬鹿げた話」
「見てから決める。だが夢には、そうさせる力があるんだな…」
 実際に道は夢で見たからわかる。すぐに目的の場所に着いた。よく見ると周りとは違って、掘り起こされたような形跡があった。
 私と骨谷は、そこを掘った。そしてキャリーバッグを掘り出して、あとは警察に通報して任せることにした。

 帰路につけたのは、日付が変わる頃だった。帰りの車を運転するのも私で、骨谷は自分の推測を聞かせてくれた。
「つまりだ。あの森には、守り神のような存在がいたんだ。森を汚す人間を排除していたってわけだな。だが最後に、返り討ちにあってしまう。そこでたまたま通りかかった焔に、全てを託した。夢に自分のやって来たことを見せることで、遺体を発見させたかったんだ」
 私も同じことを考えていた。私は夢ではなく、過去の出来事を見ていた。それは決して喜ばしいことではなかったけれども、守り神に選ばれたということは少し嬉しかった。

「…以上よ。少しは参考になったかしら?」
 俺は頷いた。
「ふむふむ。なかなか興味深い話だったよ」
「そう。でも一つだけ、残念なことがあるの」
 それは何? と聞くと教えてくれた。
「事件は解決したけど、死んだ人は戻って来ない。それと同じで、あの守り神ももう、いない。この森は誰のものになるのかしらね…」
 そうか。焔に最後を託したということは、守り神はもう、森を守ってやれないということか。そう語る焔の表情はどこか、悲しげだった。
 俺は山寺の近くの森林を見て、思った。
 この森は誰のものなのだろうか。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み