その七十五 造られし神を仰ぐ 中編破

文字数 5,974文字

「ここが山繭家、か」
 数日後、再び本土に上陸した詠山たちは途中で道を教えてもらいながら、ようやくたどり着いた。一万坪くらいある土地に、十数軒の建物がひしめき合っている。周囲には桑畑があり、蚕を育てる環境は整っているようだ。
「新しい蚕の品種を発見したので、見てもらいたい」
 それで話を通し、山繭家の敷地内に入った。
「話は聞いていたよ。南国の船乗りさんたち、よく来てくれた!」
 一族の長、山繭(やままゆ)要御(ようご)は彼らを心地よく受け入れた。
(……)
 要御の笑顔に、詠山は一片の曇りがあることを見逃さなかった。ただこの時はそれが何であるのかまでは悟れない。とりあえずここは自分たちも知識を持っていることを表現する。
「素晴らしい生糸を産み出すのだな、本土の蚕も」
 一目見ればわかる。要御が着ている服は絹でできている。しかも質はかなり高いだろう。
「だが、我らの蚕も負けてはいない。ぜひ見てほしい」
 小さな箱に入れてある幼虫を詠山は差し出した。
「ほう? 見慣れない模様があるみたいだね……確かに新しい品種みたいだ。少し研究させてくれないかい?」
 その間、要御は詠山たちに、敷地内の民家を貸してくれることを約束。全員は泊まれないので、詠山は仲間を選抜し、それ以外の大部分は一旦神蛾島に戻す。
「紡績の技術も見学したいのだが、いいか?」
「是非とも!」
 他にも理由をつけては、詠山たちは敷地内を徘徊した。一族の従業員を襲ったり、家財を盗んだりはしない。自分たちは山賊や海賊の類ではないのだから、貴重な技術は見て盗む。蚕の飼育状況はどうなのか、餌となる桑の葉はどれくらいの頻度で与えているのか、糸繰車の機構はどうなっているか、など。
 また、山繭家の養蚕を研究しているうちに、詠山たちが完璧だと思っていた『姫月』の欠点も浮き彫りになった。一度に産む卵の数が多いこと、二度目以降の交尾を数回すること、孵化するまでの時間が短いなどの売りはあったのだが、蛹から成虫に羽化するまでの時間が長く、また室温は高く湿度は低い状況を維持しなければならないのだ。特に後者は本土では致命的な欠点だった。
(こんなことをしている意味はあるのか……? こんなことをするために、はるばる海を越えたのか、我らは?)
 現状、やりたいことができていない。そんな自問自答を繰り返す日々に焦りを感じていた。その日の夕方も詠山はうろついていて、その時にあるものを発見した。
「おや……」
 敷地の隅っこにある、社のようなものだ。何か神を祀っているようだが、どこか触れたくなさそうな雰囲気を抱かせる。
(何か事情があるな、山繭家には!)
 すぐさまそういう発想に至った詠山は、要御本人に直接聞くことに。
「ああ、そうだ……。その話、できれば考えたくないことなんだけどね……」
 返事が明らかに暗い。
「何でも話してくれ。我らはその方面に詳しいのだ」
 要御は娘の山繭(やままゆ)(いつき)に、お茶を淹れらせた。
「これ、お飲みください。心も温まりますよ」
 そして三人だけで、部屋で、語った。

 山繭家は戦国の時代が始まる前から、養蚕をしていた。当時はもっと北……陸前の地で行っていたのだが、戦乱の世が終わる頃には今の場所に落ち着いている。
 山繭家の初代は、糸を吐き出す蚕と、その餌となる桑のことをとても大切に扱っていた。糸繰に使われる蚕はその時に死んでしまうので、その亡骸を丁寧に埋葬した。桑も枯れた際は感謝を込めてお焚き上げをする。
 しかし中には、
「どうせこんな虫ごとき、敬う価値すらない。桑だって、所詮は植物だろう?」
 と、良くない方向に考える輩がいる。初代はそういう者たちの扱いに困った。
(彼らには、いかに蚕や桑の重要さ大切さを説いても、理解してくれないだろう…。虫や木を平等な相手として見ていないんだ……)
 半ば仕方のないことと諦めの感情があった。相手は人語を操るわけではないのだし、金のなる虫という見方だってできてしまう。ひょっとすると、人が世話をしなければ生きることができない蚕に対し、偏見と軽蔑の念すら抱いているかもしれないのだ。
 初代は、暇なときに書物をよく読んだ。何か彼らの態度や性格を変えることができる言葉か教訓などがあればいいと思ってのことだ。だがそう簡単には見つからない。
 そこで、とある策を打った。
「みんな、大事な話がある」
 そう言って一族を呼び集めた初代は、とあることを語った。
「私たちが養蚕をし、戦乱の災厄に巻き込まれず、今もこうして続けていられるのは、絹之神(きぬのかみ)のおかげだ」
「何ですか、それは?」
「養蚕する過程で、失われる命は多い。蚕は繭の中で死んでしまうし、桑の葉は大量に食べられてしまう。言い換えれば私たちが発展するために生贄になる命がある。そんな儚い魂が集まり、神になる。そしてその神…絹之神は、私たちのことをいつも見ている、見守っている」
 一種の養蚕信仰を、彼は説いた。ただ、誰かからその内容を教えてもらったのではない。
「だから、蚕も桑も大切にしなさい。そうしなければ、私たちは神の祟りにあうだろう」
 その場で迷信をでっち上げたのだ。当然だが、絹之神などという神はどこにも存在しない。それっぽい名前を付け、そして神を仰ぎ、祟りにあわないために規律を守るという理由も造った。
「……なるほど、そうなのですか。ならばますます、ぞんざいには扱えませんね」
 大勢の心を鷲掴みにした、絹之神の迷信。初代もその表情を見て、
(これならいける!)
 確信する。
 だが、やはりと言うべきか。聞く耳を持たない者は理解する態度もないのである。
「馬鹿馬鹿しい。虫や葉っぱが、神になってたまるか! こいつらは金を吐き出すためだけに生きているんだ!」
 初代が話をしたその場だけは理解を取り繕い、解散して家に戻ればいつも通り荒々しく飼育した。
「もっと早く成長したらどうだ! どうせ死ぬんだから、もっと稼がせろ!」
 罵声も浴びせ、無性に腹が立ったので数匹、潰して殺した。
 数日が経って、事件が起きた。
「た、大変だ……!」
 仲間の家で騒ぎがあった。ここ二、三日、その仲間は家から出てこない。それを怪しんだ初代が、家に上がる。
 囲炉裏の横に、死体があった。その死体は何か、猛獣に食われたかのように体の部位が欠けていた。
(でも、獣が出たという話は聞いてないぞ? 壁や襖も壊れてないし、争った形跡自体がない。隣の家の者も、ここ数日は静かだ、と言っていた)
 犯人像が全く浮かんでこないのだ。家は村にあるのだから、猪や熊が出たのなら、もっと大きな騒ぎになっていないとおかしい。盗賊がやったにしては、金目の物が家に残されている。
「ん……」
 もう一度、仲間の死体に目を向ける。一瞬だが、動いた気がしたのだ。
「よく見えない……。えっ?」
 気のせいではなかった。動いている。いいや、蠢いている。
 なんと、蚕の幼虫が仲間の死体を食っているのだ。幼虫の体は本来、白色だが、今死体を貪っている幼虫は血のように暗い赤色をしている。そんな禍しくおぞましい幼虫が、ざっと見積もっただけでも五百匹はいる。
「ひえっ! こんなこと、あり得ない!」
 初代はたまらず腰を抜かした。
 蚕は桑しか食べない、餌がなくなっても共食いすらしない生き物なのだ。にもかかわらず、血肉を顎で切り裂いている。弱い脚で、死体の内部に入り込んでいる。今、骨を砕いて飲み込むのを見てしまった。虫を愛し大切にしている初代ですら、目の前の幼虫が化け物に思えた。
 だが、初代が驚いたのは、実はその点ではない。
「絹之神なんて、存在しないんだ……! 私が勝手に思いついた、妄想の産物のはずなんだ……」
 頭をよぎった考えがある。それは、仲間は絹之神の怒りを買って祟られて死んだ、というもの。しかしそれだけは起こり得ないことを初代は知っている。

 存在しない神から天罰が下るわけがない。

 その後、これ以上怒りを買うことを恐れた初代は死体に群がる幼虫を回収し、死ぬまで面倒を見た。全ての幼虫が、人間の頭髪のような感触の黒い糸で繭を作り、その中で蛹にならずに死んでいった。
 絹之神の怒りはそれで終わらない。一族の間で、疫病が流行った。同じ村に暮らしている他の人たちには何ともないのに、山繭家の血を引くものにだけ、発症する病だ。発病するとみんな、頭髪や全身の毛が抜け落ち、食欲がなくなり何も食べることなく、やがて体が茹でられているかのような高熱に侵され、死ぬ。
(これも、絹之神の怒りなのか……?)
 虫をぞんざいに扱う者を殺すだけでは鎮まらない。もっと血が、命が欲しいのだろう。
 悩み抜いた末に初代は、一族の中から絹之神に生贄を捧げることを選ぶ。すると効果があり、病は不思議なことに次の日には止んだ。

「未だに絹之神の祟りはあるんだ。一定の間隔で、一族の中でだけ、おかしな病が流行り出すんだ。髪が抜けるとその合図。最後に流行ったのは、十年くらい前だ。その時は、斎の母……私の妻を生贄にして、ようやく治まった」
「なるほど」
 詠山は初めて聞く神とその伝承に、興味を示した。そして深刻な表情をしている理由も悟った。
「近頃、また病が出始めている、というわけだな?」
 黙って頷く要御。普通ならその話を聞いて、気の毒だと思うだろう。だが詠山は違った。
(そういう話があるのなら、山繭家を我らの味方につけることは容易い)
 多大なる野心が、同情心を排除していた。
「我らに任せてはくれないか? その神……絹之神を鎮めてみせよう」
「無茶を言うな……」
 山繭家の人間も馬鹿ではない。今までに一度だけ、侍や僧侶などを大勢雇って討伐できるかどうかを試したことがある。だが結果、送り込んだ者たちは誰も戻って来なかった。さらに最悪なことに、まるで神に盾突いた罰と言わんばかりに、一族の半分が病が一気に進行して死んだのだ。
「絹之神に人は勝てない。抗うことすら許されないんだ。ならば従うしかない。そうやっていけば、一応は山繭家は安全なんだから……」
 その言葉には一種の諦めの感情がこもっていた。しかも今回、生贄に名乗り出たのは彼の愛娘である、斎だ。
「山繭家のさらなる発展と安泰のためなら。お父様、私の命は惜しくありません!」
「やめさない、斎! そういうことは冗談でも言ってはいけない!」
「一族の他の人が死んでしまうことの方が、私は自分が人柱になることよりも嫌です!」
「確かに誰かは犠牲にならなければいけないことだが……!」
 彼女は山繭家のためを思って手を挙げている。だが父である要御からすれば、痛すぎる犠牲だ。何としても娘を生贄に差し出すのは避けたい。
(だがそうしている間にも絹之神が原因の病は流行る。だから要御は頭を抱えているわけだな?)
 急いで解決しないといけないことなら、相手に考える隙を与えない方が得策だ。
「要御殿! 我らが絹之神に負けると思うか? その負の予想を覆してみせようではないか!」
 ここで提案する。まずはいつも通りに斎を生贄に差し出させる。そこで詠山が待ち伏せをして、絹之神を討つ。
「これならたとえ我らが負けたとしても、我らが勝手にやった自業自得の結果と言える。山繭家は関係ない、きちんと生贄を捧げているのだから。しかし我らが勝てば! 斎は死なずに済み、しかもこれから絹之神を恐れることもなくなる!」
 だが詠山は大真面目である。彼は、さながら須佐之男命が櫛名田比売を守るために八俣遠呂智を討ち取るかのような、神話みたいな計画を成功させると断言した。
「………わかったよ。そこまで言うのなら…」
 渋々首を縦に振る要御。

「……と、いうわけだ。我らの最初の任務が決まった」
 絹之神の話を聞いた日の深夜、一本の蝋燭の揺らめく火が灯るだけの暗い部屋で、詠山は仲間に事情を打ち明けた。
「じゃあもう、それでいいじゃないか!」
「覚悟はいつでもできている。そう、いつでも動ける!」
「私は喜んだ。本土に渡り、鈍りそうだった体をやっと動かせるのだ」
「潰し甲斐がありそうな相手だな! 楽しみだぜ!」
「薬草を多めに調達しておきます。命が潰えてからでは遅いので」
「無理難題を斬ってこその武人ってもの! 武器は臨戦態勢だ!」
「さ、早速準備にとりかかっかぁ!」
「神がどんな言葉を喋るのか、気になりますねぇ! 聞いてみたいものです」
「交渉して従わせる? そんなつまらないことは選ばないわ」
 仲間たちは、詠山に異議を唱えなかった。そもそも詠山は、反対意見は聞き入れない方針だし、頷かない者は神蛾島から連れて来てすらない。
 上陸してから退屈な日常でくすんでいた目の色を変え、絹之神の討伐に向け各々支度を始める中、回弩は一人何をすることもなく縁側に座って話を聞きながら月を眺めていた。
「回弩、お前にも同行してもらいたい」
「それは、自信がないから、じゃないよな?」
 詠山の実力は確かなものだ。それは回弩が一番よく知っている。だから自分に頼る理由も何となく察せる。保険をかけておきたい時にだけ、詠山は回弩にこういう話をするのだ。
「わかってるよ。俺はお前に何度でも手を貸すさ」

 指定の日時が近づいた。陸前の山の中に竹林がある。そこに生贄が運び込まれる。絹之神は夜になると姿を現し、生贄を貪り終えるとまた消えると言う。一行は前もってその地域に移動し、あとはその晩を待つだけとなった。
「だ、大丈夫……。落ち着いて………。怖くなんか、ない、から……!」
 要御の前であれだけ強気な発言をしていた斎が、日に日に弱音を吐くようになっていた。一人でいるとよく震えていることもあった。心の奥には恐怖があり、それが体に染み込んできているのだろう。顔色も良くない。
「心配はいらない。お前はその竹藪の中に行く、だけでいい」
 反対に自信満々な詠山。その日は今夜であるというのに、近くの河川に行って、
「見てみろ、面白いぞこれは! 神蛾島では見たことがない類の生き物だ、気に入った!」
 捕まえたその生き物を手に乗せ斎に見せる。蝦のような体なのに、蟹のような腕がある。それを見ると彼女は少し頬を動かし、
「確かに、ちょっと珍奇でおかしいですね」
 笑顔を見せた。その時詠山は、小さくても幸せな人々の生活と命を自分たちが守らなければいけないという使命を感じた。
 詠山はその生き物を十数匹捕まえ、水を張った水鉢に入れていた。彼はこの手の生き物に目がなく、見るのも触れるのも育てるのも、食べるのも好む。だが今回は、神蛾島に持ち帰ることを選んだ。
「名前は何というのでしょうか、調べてみたいですね」
「うむ!」
 斎がその名前を知るには、生きて帰らなければいけない。そういう意志が、彼女の中にあることを詠山は見抜く。だからこそ、絹之神は絶対に打ち負かさなければいけないのだ。
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