その五十九 迷惑な客

文字数 5,753文字

 俺はフリーのライターなので、会社の経営や営業のノウハウなどは持ち合わせていない。

「誰にでも読んでもらえて怖いと感じてもらえる話を書ければいいんだ!」

 という、甘ったれた発想である。

「それは気楽でいいなあ? 僕なんかは酷い目にあったぞ……」

 今日の話相手はやたらとカフェの中をきょろきょろ見る。

「何かいるのかい? 知り合いがここで働いていたり?」
「違うんだ。アレがいないかどうかを確かめている! ここは知り合いの経営する店だから、いない方が助かるんだ」

 どんなクレーマーだよ、と思ったが、加藤(かとう)(さとし)曰くそれは生きている人間ではないようだ。

「実に! 実に不思議なんだが、それはこの近所では僕にしか見えない! そういう幽霊なのだよ」

 では、どんな性質を持った霊なのか。その生態を彼の経験談から紐解いていこう。


 僕は大学生になった夏、免許を取るために合宿に行った。隣の県の教習所だ。

「さあもう今日は疲れたぜ! 早く飯食ってカラオケして寝ようぜ!」

 一緒に行ったのは、高校時代の友人である石井(いしい)。彼と一緒にホテルに泊まった。オートマチックの免許なら二週間でいいので、その間はそのホテルに滞在するのだ。

「悪くはないな」

 夕食をそのホテルのレストランで食べた。豚肉が美味かったのを覚えている。

「でも面倒だな意外と。仮免試験に落ちたら延泊かよ……。卒検でも同じ。それだけは避けたいぜ……」

 免許合宿では、仮免と卒検がある。両方とも一日に一回しか行わせてくれないので、落ちた瞬間に合宿が自動的に延長される。それはホテルの方にも伝わるので、仮に僕か石井のどちらかが落ちた場合は、一人部屋に移される。両方とも落ちれば、この部屋で延泊だ。

「でもま! 落とさないように教えてくれるのが教習所だろう?」

 初日ということもあってか、かなり楽観的な考えを僕らは持っていた。
 教習所の日程は来た時に渡される。勝手に時間割が組まれており、座学の時間も指定された時刻と教室で受けることになる。大学と違って履修登録にミスることはない。

「明日は……午後からだ。じゃあ今日はもう遊ぼうぜ?」
「そのセリフを待っていた!」

 ホテルにはカラオケボックスもあったので、二人で日付が変わるまで熱唱した。


 異変があったのは、確か五日目ぐらいのことだ。

(…ん?)

 僕はその時暇つぶしをしており、教習所近くのコンビニに来ていた。その向かいにガソリンスタンドがあったのだが、そこに車が突っ込んだのである。

「うわあああ!」

 店内の客も通行人も驚いて腰を抜かし、悲鳴を上げた。幸いにも貯蔵されているガソリンには引火しなかったので、事故は大事には至らなかった。

 でも、そのコンビニのイートインにいた一人の客が、あることを言った。

「やはりな。アイツがいたと思ったら、やっぱりこれだ」

 その人だけは何も驚いておらず、缶ビールを買ってすぐに出て行ってしまった。

(まるで予め知っていたかのような口ぶり……。予言者でも気取りたいのか?)

 僕は気にならなかった。寧ろいい年して痛いセリフを吐いたその人を軽蔑したぐらいである。
 でも今思い返せば、何か知っているであろうその人を問いただすべきだった。


 その日の夜のことだ。

「おいおい、こりゃ酷い展開だな」

 カラオケには行かなかった。教習が本格的になってそんな余裕がなくなったのだ。酷い日には、朝一と夜一番遅くに実習があったりし、その間暇をつぶさなければいけないので精神的にも肉体的にもかなり疲れる。だから二人でゲーム機を持ち込んで、通信対戦していた。レースゲームもあったが車の運転は現実世界で腹いっぱいなので、トランプゲームをプレイ。

 ピンポーン、とインターフォンが鳴った。

「あ、誰だ?」

 教習所にもホテルにも、顔だけ知っている人はいるけど連絡を取ったり交流したりはしてない。

「間違えてんじゃないの?」

 その時間帯に、ホテルの作業員に掃除を頼んでもない。だから最初はその呼び鈴を無視した。
 だが、しつこくまたピンポーンと鳴るのだ。

「石井、見て来いよ」
「俺が? 加藤、お前が行けば済む話だろう?」
「じゃあ、ジャンケンポン!」

 僕は負けたのでベッドから起き上がり、玄関のドアに駆け寄った。覗き穴を見てみると、どうやら訪問客は同い年くらいの女性のようだ。

(何だろう? 暗い……ていうか、肌がすごい白いぞ?)

 一言で言うと、生気がない。それは小さなレンズを通しても伝わった。
 僕が覗き穴から顔を離すと、インターフォンを鳴らされた。だから仕方なく鍵を外してドアを開いた。

「何です………?」

 しかしそこには、誰もいなかった。

「え、ええ?」

 驚いて僕は廊下を見回したが、他の宿泊客すら一人も歩いていない。

(え? で、でも今、いたよね人が?)

 困惑してドアを閉じようとした時だ。生温かい風が僕の顔に吹いた。同時に、

「ありがとね」

 という女性のか細い声も聞こえた。

「だ、誰だ!」

 僕は怒鳴った。けど、

「おい加藤? 誰もいなかったんならドア閉めろよ? ゲームを再開しようぜ?」

 石井がそう言ったので、僕も気のせいだったと判断。

(疲れていたんだろう、僕ら……)

 インターフォンについては、故障していたのだろうと都合よく解釈した。


 ほどなくしてゲームも終わり、僕らは部屋を暗くして寝た。

「う~ん、う~ん」

 何か聞こえる。

「うう、ん。ううう……」

 苦しんでいるような声だ。先に断っておくけど、僕のではない。僕以外の誰かが声を出しているのだ。

(石井のいびきか? うるさいなあ…)

 そんなことで起きるのも馬鹿らしい。普段石井はいびきなんてかかない。きっとかなり疲れているのだろう。

「んん……。うう…。う~んう~ん…」

(だが待てよ? うなされている声をいびきで出すか?)

 それはおかしい。普通はガーガーとか、スガーとかグースカだろう。でも石井のそれはまるで悪夢でも見ているかのような声なのだ。

(大丈夫か、石井……?)

 僕は向きを変えて石井の方に顔を向け、目を少し開いた。

(ギョッ!)

 開いた瞼が、全開になった。

 なんと石井の枕元に女性が座っているのだ。生気のない肌、ぼさぼさの髪、そして黄色に充血した目……どれを取っても不気味だった。
 その女性は、石井の頬を撫でている。撫でられた石井は、

「ううっ。ん……」

 と苦しそうな声を出した。

(お化け? いやでもこれは、僕の夢なんじゃ……?)

 最初はそう思った。こんなこと、現実なわけがない。でも髪の毛を引っ張ってみても、目が覚めない。だからこれは夢の中の出来事ではないのだ。
 改めてその女性のことをよく見てみた。目からは怒りを感じる。石井のことを殺す勢いで睨みつけているのだ。

「ふうう~」

 僕はワザとらしく声を出して反対側を向いた。

(………何も見なかったことにしよう。石井には済まないが、関わりたくない! 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……)

 心の中で念仏を唱えて、布団の中で合掌もした。
 でも、

「意味ないよ」

 と、耳元で囁かれた。

「うわああ!」

 僕は飛び上がった。その声を聞いた石井も起きた。

「どうした加藤? 眠いんだ、起こすなよこんな時間に」

 スマートフォンで時間を見てみると、午前四時だった。

「い、今さっき、お前の枕元に、お化けが……!」
「はあ? 夢でも見てるんじゃねえのか? あ、でもなんか、寝心地はかなり悪かったな…」

 僕が指さした場所を石井が触ると、彼も絶叫する。

「濡れてる? な、何でこんなびしょ濡れなんだ? 寝汗ってレベルじゃないぞ! まるでペットボトル一本分の水をここにぶちまけたみたいじゃないか!」

 僕も触って確かめたが、確かにそこは濡れて湿っていた。

「ここに、生気のない女性が座っていたんだよ……」

 僕は見たことを全て説明した。すると石井の顔から血の気が一気に引くのがわかった。


 結局その日はそれ以上眠れなかった。寝ている間にあの女性が出て来るかもしれないと思うと、一睡もできない。
 そして朝になって、僕らはホテルに苦情を入れた。

「何か、変な感じがするんです」

 明け方の出来事は一から説明しても理解してもらえないだろうから、とにかくいちゃもんをつけて部屋を変えてもらった。

(これでどうにかなればいいけれど……)

 結果として、それは吉と出た。その日の夜は何事もなく無事に過ぎたのである。


「加藤、あの女子大生のこと知ってるか?」
「昨日来たばかりの子でしょう? オリエンテーション受けてるの見たよ」

 平和を掴んだ僕らだったけど、気になることが一つあった。

 僕らがいた部屋……五○八号室に、その二人の女子大生が入室したのだ。僕らと同じく合宿組で、昨日の夜に部屋に入って行くのを見た。

「大丈夫なのか、あの部屋?」
「さあ? でもホテル側も問題ないと判断したんじゃない?」

 深く関わりたくなかったので、それ以上は話題にすらしなかった。


 僕らの教習が延泊なく無事に終わろうとしていた頃だ。教習所でざわつきがあった。

「おい聞いたかよ? 事故ったらしいぜ?」
「ホントかよ?」
「何でも女子大生が、ダンプカーと正面衝突したって!」
「ええ、マジ? 無事なの?」
「意識不明の重体らしいぞ…」

 あの五○八号室に入った人が、事故に遭ったらしい。周りの人たちは事故についての話を交わしていたが、僕と石井は違う。

「加藤、お前が見たっていう幽霊はさ、死神だったんじゃないのか? だってあの学生、死んだらしいじゃんか……」
「……」

 怖くて僕は何も言えなかった。もしもあのままあの部屋に宿泊していたら、死ぬのは僕らの方だったかのかもしれない。
 ちなみに二人部屋で、死んだ女子大生の友人は恐怖とショックで合宿を切り上げ帰ってしまったらしい。

 卒検に合格した僕らはすぐにその教習所とホテルを後にした。


「あの時に見た幽霊は、何だったんだろう?」

 その年の冬のことである。どうしても気になった僕は、一人でそのホテルに旅行に行った。

「曰くとか噂話が聞ければそれでいいな」

 と思っていた。
 件のホテルに到着。僕はエレベーターを降りて五階に来た。そして廊下を歩いてあの部屋を目指す。

「あっ……」

 五○八のプレートは剥がされ、代わりにスタッフオンリーの表示がしてあった。

 それだけ見れば、もう何があったのかを大体察せてしまう。

「何か、あったんだ……」

 あの後もあの女性の幽霊はこのホテルに留まり、死者を出しているのだろう。
 僕は自分の部屋に戻って、あの部屋に滞在しなくて本当に良かったと痛感した。

 しかし、いきなりインターフォンが鳴った。

「……………」

 その音は一発で僕の心臓の心拍数を増やした。同時に全身から汗が噴き出した。

「ま、まさか……」

 覗き穴を見てみると、

「うわあああああ!」

 あの女性の幽霊だ。覗き穴に人差し指を向けている。

(ぼ、僕が今度のターゲットなのか?)

 恐怖でその日は眠れず、次の朝すぐにチェックアウトした。


 地元に戻った僕は死なず、今日まで生きている。

「あれは死神とはまた別の幽霊だったんだな」

 でも気になることが一つある。あの幽霊は一体何だったのだろうか。
 もしも本当に死神なら、僕は死んでいないとおかしい。

「やっぱり手掛かりはあのホテルにある!」

 そう思い立って春休みに行ってみることにしたけれど、予約が取れなかった。それどころかネット上からホームページも消えている。まさかと思って現地に行ってみると、閉鎖されていた。


 何も手掛かりを得られずに地元に戻り、ファーストフード店に足を運んだ。席に着いてハンバーガーを食べようとした時のことだ。

「ああっ!」

 あの女性の幽霊が、店内にいたのである。どうやら他の客には見えていないようで、僕だけが認識できていた。
 もちろん僕は食べかけの昼ご飯を捨ててすぐに店を出た。

 その、二週間後ぐらいのことだ。その店が閉店した。


 ホテルは閉鎖、そしてファーストフード店は閉店。この二つのことから、僕はあることを想像した。

「あれは死神に間違いない。でも殺すのは、人じゃない。店だ」

 疫病神のような存在なのだろう。取り憑いた……入店した店を不幸、つまりは廃業に追い込むのだ。
 思えばその女性の幽霊が最初に出現したであろう教習所近くのガソリンスタンドは、更地になっていた。

 そしてどうやら僕は、あの幽霊に気に入られてしまっているようだ。地元だけではなく旅先でもよく見かける。見た場所を覚えておいて、数日経ったら調べることにしている。するとどこもかしこも閉店したり更地になったり……。


「なるほど。迷惑極まりないお客だね」

 俺はそう返事をした。

「でしょう? 僕はあの幽霊が気になって、サービス業に就職しなかったよ」

 加藤の話が正しければその幽霊は未だにこの世を彷徨って、お店を潰して回っているのだそう。しかも彼が行く先々で。

 彼との別れ際に、とある店の名前を教えてもらった。

「この地方の薬局か」

 理由は簡単だ。

「僕は見たよ。あの女性の幽霊をそこでね」

 そして後日俺がウェブで検索してみると、その薬局は火事に遭ってしまったらしい。元々赤字続きであったらしく、再建は不能であると加藤からの電話で知った。

「俺が本を出したら、その女性の幽霊には読んで欲しくないな……」
「本が売れなくなってしまうもんね…」

 加藤はそう返し、俺は電話を切った。
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