その七十五 造られし神を仰ぐ 中編序

文字数 5,722文字

「そもそもの質問なんですけど……?」
 ここで祈裡が切り出す。
「神代って一体何者なんですか? そんな日本政府逆張り集団、いつから存在してるんでしょうか? 教科書には一行も載っていませんでした」
 言ってしまえば、当たり前な疑問だ。
「確かに……。俺も気になる。従妹は教えてくれないし」
「それは兄ちゃんが、自分から聞かないからでしょう……?」
 辻本兄妹も知らない様子。
 表にできない事情が何か、あるのかもしれない。だから麗子は何も語らない……いいや自分が霊能力者じゃないから、語れない可能性だってある。
 しかし、
「わたくしが知っている範囲でなら、説明できますよ」
 意外にも、教えてくれると言うのだ! 
「お願いします!」
 俺だけじゃない。祈裡も陽一も雪子も、大きな声で頭を下げた。

 伊豆諸島の端の端に、もはや南国とすら思えるほどに本土とは気候がまるで違う島がある。そこに住む人たちはその島を、『神蛾島(じんがとう)』と呼んだ。一年を通して暖かいので、いつでも養蚕ができるのだ。そして絹を吐き出す蚕は神からの贈り物という発想があったので、
「神がこの島に住む私たちに、この蛾を贈ってくれた。ここは神の蛾の島だ」
 と、口をそろえる。

 そんな島から、一隻の船が北にある本土を目指し出港した。まだ蒸気機関が日本に伝わっていない時代なので、動力は風の帆船だ。しかし不思議なことに、船は常に風を受け前に進み、どんな嵐が来ても波が荒れても船の周囲だけは穏やかで、航海は順調そのものだった。
「いよいよ本土か……」
 船長室の椅子に座る、ある人物がいた。彼はまだ随分と若いが、この船では一番の発言力を持っている。
「今こそ我らが、その力を存分に発揮するのだ」
 彼の名前は、神代(かみしろ)詠山(えいざん)。神蛾島だけでは収まりきらない野心が、彼と仲間を突き動かした。結果として彼らは、海を渡ることを選ぶ。
「我ら、依代人(よりしろびと)の出番が!」
 この世のものではない存在、つまりは幽霊や物の怪の類に干渉できることから、彼らは自分たちのことをそう呼んだ。理由は不明だが、島には結構な数がいたのである。
 彼らは本土の政府に攻撃するようなことは考えていない。
「武士は戦に出向き、民衆を戦いから守る。ならば我ら依代人も、怪異から民衆を守るべきである」
 神蛾島だけではなく、伊豆諸島の島々にもかつて彼らは足を運んだことがある。そして普通の人では解決できない問題に対処してきた。当然、守り切れずに受けた傷から流させてしまった血と涙も多い。そのような不幸を取り除きたい、自分たちにしかできないのならなおさらやらなければいけない。ある種の使命感も彼らは背負っていた。
 詠山は一旦、席を外す。帆船の内部の、一番大切なものが積んである部屋に向かった。
「様子はどうだ?」
「だから問題ない」
 御神籤(おみくじ)景丸(かげまる)はそう答え、積み荷の方に目をやった。そこには大量の葉が枝ごと積まれている。よく見るとその葉には、白い芋虫が無数に群がっている。
「蚕は元気、だな? 景丸、生命線の維持は絶対に怠るな!」
「ちゃんと承っている」
 なぜ蚕が重要なのか。それは彼らの戦略にあった。
 島の主な産業は、養蚕だ。質の良い絹による織物は、天女がまとう羽衣のように美しく軽く薄い。これが金にならない理由がない。
 彼らは、自分たちに足りないものを自覚していた。それは軍資金だ。島の経済規模は小さく、諸島の他の島に手を伸ばしたとしても満足に活動ほど十分な金額にはならない。
 だから、絹織物を売るのだ。幸いにも島独自の蚕の品種である『姫月(ひめづき)』は、繁殖能力にも秀でていたので、計画を立ててから短期間で膨大な数の蚕を用意できたのである。しかも島の紡績技術は毎年のように鍛錬され向上しているため、本土の同業者に負けない自信があった。
「そうか。このまま好調を維持しろ」
「理解しているつもりだ」
 多くは語らなくても伝わる。実際、詠山が景丸のことを蚕の管理の代表者に任命したのには、景丸が蚕の扱いが誰よりも上手く些細な異変も見逃さないと知っているからだ。
 詠山は部屋を出て、甲板へ向かった。通常帆船乗りは重労働なのだが、怪しい雰囲気に包まれているこの船では、苦労の汗は流す必要がないらしく、誰しもが涼しい顔をし談笑している。
「火の扱いには気をつけろよ? 海上なんだ、船に燃え移ったら逃げ場はない」
「余裕だ」
 神輿(みこし)物楼(ぶつろう)は火鉢で米を炊いている。ちょうど昼の時間なので、調理係の彼はそれらを仲間に振舞うのだ。炊き上がればおにぎりにする。米はなるべく節約したいので、必要最低限だけを使用する。
「水もついでに。海水を飲むわけにはいかないが、蚕は水を飲まないから、これは贅沢ができる」
 瓶に小分けした水も一緒に配る。
「あと、これも。島に流れ着いた南蛮人が、航海に行くなら持っておいた方がいい、って言ってた。毎日食べると良いらしい」
 柑橘類の果実も差し出す。詠山はそれを順番に食べ、
「なかなかの出来だ、褒めてやる」
 そう言い、他の仲間の分を受け取ると配りに回る。
「おい、朝露。ここに置いておくぞ?」
「ありがたいことに、腹が空いていた。私は彼に、礼を言った」
 甲板に広げた地図とずっと向き合っているのは、神威(かむい)朝露(ちょうろ)だ。片手に握った六分儀で、船がどれくらい進んでいるのか、方角は正しいのかを判断している。
「間違いはない。私たちは大した目印もない、だだっ広い海の上を、本土を目指して進んでいる。寄り道する予定はないので、計画通りに進んでいる」
「そうなら良い。くれぐれも道を外すな? 何かおかしいことがあれば、すぐに報告するんだ」
「私は彼の忠告を素直に聞き入れ、警戒心をより強めた」
 正直、詠山は地図を読むのが苦手である。目印に乏しい海上ではなおさら、自分たちがどこにいるのかわからない。だからこそ一番の心配は、本土にたどり着けなくなることだ。しかしその不安は朝露が拭った。
 甲板から、また船内に戻る。実は一人、連れていくかどうか迷った仲間がいる。神山(かみやま)乱銅(らんどう)がそうだ。些細な事故で出港前に足を痛めたので、島に残して療養させるべきという意見もあったが、海外の言語を巧みに操れる彼がいなくては本土に少なからずいるであろう南蛮人や朝鮮人と交渉できない。資金を提供してくれるのなら、国内外問わない方針なのだ。
「まだ傷は痛むか?」
 だが詠山は、彼を同行させることを選んだ。大神(おおがみ)公章(きみあき)なら、西洋の医学や東洋の薬草に詳しいので、船内で治療できると判断したからだ。現に乱銅の足は、船に乗り込む直前は青く膨れ上がっていて、自力で歩くことすらままならなかったが、みるみる内に回復し、
「もう、ほとんど感じないぜ」
 本土に到着する頃には完治するだろう。
「少しずつですが、快方に向かっていますよ」
「うむ。その調子で、早く治るように努めろ」
 公章がそう言うのなら、もう問題ではないだろう。二人に詠山は食料と水を配った。
 次は、武器庫に入る。最低限、刀や鎧、火縄銃は持ってきている。万が一、武力衝突が起きた際に対処するためだ。かつて本土で罪を犯し、神蛾島に流刑を言い渡された者の子孫である神楽坂(かぐらざか)毬道(まりみち)が、戦術面で一番詳しく、戦闘力も至高の域に達している。
「手入れはどうだ? 鈍らになっていたら、許さんぞ?」
「だから、いつも研磨してるってば! ま、使う時が来ないのが一番いいんだけど!」
 毬道の言う通り、血を流さず解決できればそっちの方が良い。
 武器庫の隣は宝物庫になっている。神蛾島で彼らが確保できた、わずかな軍資金だ。西瓜ほどの大きさの壺に収まりきるほど少ない。他には大量の絹織物が丁寧に折り畳まれて山積みになっている。この部屋を見張るのはこの船で一番金にがめつい十神(とがみ)遠谷(とおや)。はっきり言って、猫糞するような輩は船に乗せていないが、人間誰しも邪念はあると詠山は感じるので、念のため配置した。
「船の上じゃあ使おうにも使えねえし、盗って逃げることもできんし! 心配しすぎだぜ、詠山の旦那?」
「……万が一この船が沈没でもしたら、抱きかかえてでも海に飛び込めよ?」
「命を捧げても守ってみせらぁ!」
 詠山は毬道と遠谷に食料を配り終えると、自室に戻った。

「むう……」
 椅子に深々と座ってため息を吐く。仲間たちからは、あまり緊張を感じない。それは、心に余裕がある表れともとれるし、逆に真剣ではないという判断もできてしまう。この船には五十名ほどの依代人の同胞が乗り込んでいる。一人一人がこの計画を隅々まで理解しているはずだ。
(もっと強張っていてもいいと思うが…? それともまだ、本土に到着できていない。実感が湧かないのか?)
 悩む。気にも留めていない小さな穴が頑丈な城を崩す原因にもなり得る。
「あまり難しい顔をするなよ、詠山」
 そう言いながら船長室に入ってきたのは、桑浦(くわうら)回弩(かいど)だ。彼もまた依代人なのだが、少し特殊だ。詠山や他の仲間は、直接肌で霊に触れることができるし、経を唱えて撃退することもできる。しかし回弩は違う。霊を見ること触れることができるが、まじないの道具を用いても、長時間の読経をしても、その魂を黄泉の国へ送ることだけはできないのだ。
 だが彼には、詠山たちにはない強みがあった。札と筆さえあれば、どんな霊でも自分の僕にできる。相手の抵抗は全て無視できる。全く別の存在に生まれ変わらせることができる。その才能は神蛾島では滅多に見かけない。
「しかしな、回弩……」
「計画は俺も完璧だと感じてるよ。だが、時として思い通りにいかないさ。柔軟になろうぜ? 刀が折れたら戦いを諦めるのか? 他の手段で勝とうとするだろう?」
 また回弩は、詠山が幼い頃から対等に接することができる親友でもあった。やや短気で怒りっぽい詠山に、待った、をかけられる回弩の存在意義は大きい。
「一本道で行こうとするのは危険だ」
 現に彼は、詠山に何度も助言した。そうして軌道修正をし、計画の精度を上げたのだ。

 いよいよ本土上陸の時が来た。約半月ほどの船旅は終わり、本格的に計画を実行する。詠山たちは伊豆半島を上陸地点に選んだ。まず小型船一隻で先に上陸し、事情を話して許可を得る。外国から来ているわけではないので、すんなりと通るはずだ。話術に適した神道(しんとう)正竹(みちたけ)神崎(かんざき)輝子(てるこ)がその役目を担う。目論見通りに進んだので一気に接岸し、錨を下ろして停泊、搭載してある小型船で陸地に向かう。
(これが、本土……か)
 詠山たちは人生で初めて、本州の地を足で踏んだ。伝書や口伝えでしか聞いたことがない、それこそ幻にも思える島に、到達したのである。
「偉大なる一歩だな」
「そうか? 我らには予想以上に呆気なく感じる」
 ここから、本腰を入れて活動する。まずは拠点となる場所を探し出す。
「遠谷、絹織物を金に換えてこい」
「任せてくらぁ!」
 それには資金が必要だ。近くの町まで移動し、そこで貴重品を換金する。彼らの予想では、相場よりも高値になる。
「どうですかい、この絹は? 軽いのに丈夫で、滑らか! これで編んだ布団や服は暖かいぜ?」
「う~む……」
 商人は実際に品物を手で取って指で触れ、確かめた。すると、
「それでこの値段? いやいや、あり得ないでしょう」
 気落ちするような口調で突き放したのだ。
「何だと!」
 瞬時に怒りを覚えた詠山を回弩が、
「よせ! ここで拳を振り上げたら、詠山! 自分で腹を切るか、誰かに首を切り落とされることになるぞ!」
 すぐさま制止する。
「理由を教えてくれないか? このままでは納得がいかない。それとも、安く値切ろうという魂胆なのか?」
 景丸が聞くと商人は、
「言い過ぎたよ、さっきは。でもね、より高品質な絹を知っている。しかもあなたたちが用意できる量よりも多く。おまけにそれは、あなたたちの提示する額より安いんだ」
 意地悪な発想で買い取りを拒否したのではなく、そこにはちゃんとした根拠があった。親切なことに町の呉服屋に案内してくれて、詠山たちも実物に触れることができた。
「………」
 みんな、衝撃的で、言葉が出なかった。神蛾島で生産できる絹よりも、確かに優れている。むしろ自分たちが用意したものでは、勝っている要素が見当たらないほどだ。これでは高く売れるわけがない。
(本土の養蚕・紡績技術の方が、我らよりも上なのか……!)
 朝露が呉服屋の店主にあることを聞く。
「この絹織物……その絹の出処を教えてもらえないだろうか? 私は失礼だと思いつつ、しかし知りたい衝動があったので、尋ねずにはいられなかった」
「ああ、いいよ。きみたちもそこで技術を学ぶとよい」
 店主は、問屋を介し山繭家(やままゆけ)の絹を仕入れていることを伝えてくれた。
「山繭家……。それはどこにある?」
「相模の方だよ。親戚一同……一族で経営しているらしいんだ」
 ここで詠山の頭にとある発想が過る。実際に山繭家を訪ねることは決定事項だが、
(我ら依代人の力で排除するか? しかし相手が依代人ではないのなら、そういうことをすれば、誰からも支持されず必要とされることもなくなってしまう……。ならば、味方につけるべきか?)
 武力か交渉か。そのどちらで山繭家を取り込むのか。流石の詠山もこれは仲間に相談する。
「……と、いうわけだが、何か意見はあるか?」
「俺は力ずくって発想、好きだぜ?」
「ですがそれでは恐怖で支配しているようで、乗り気になれません」
 乱銅の発言に即座に否定的な意見を述べる公章。そこで物楼が、
「なあ、こんなのはどうだろう? 一度、神蛾島に戻る必要があるかもしれないけど…」
 彼の案。それは、山繭家に潜入するというものだ。神蛾島産の蚕、『姫月』には絶対の自信がある。生糸の性能では劣っていても、『姫月』にしかない利点だって、すぐにはわからないかもしれないが、少なからずあるはずだ。だから『姫月』を山繭家に売り込み、ちょっとずつ資金を増やす。
「かなり長期的になるかもしれないから、金と食料事情を顧みると一度戻った方がいいかもしれない」
 他に良さそうな意見は出なかったので、その案を選択。
「とにもかくにも、山繭家に行ってみるぞ。船で行けるはずだ」
 停泊しておいた帆船に戻り、相模の方面に舵を切る。
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