その七十四 閉幕の儀

文字数 5,340文字

「女性って素晴らしいと思わないか? 何と言うか、神秘的だ!」
「ヴっ!」
 俺は飲んでいたオレンジジュースを盛大に噴き出してしまった。まさか今日の相手は、こんなヤバいセクハラ発言を真っ昼間の公園で平然と吐き出すとは……。
「おいおい、そう偏見を向けるなよ。別に俺もいやらしいことを言っているわけじゃない」
 ここで、庄子(しょうじ)武次(たけじ)からの弁明が始まる。
「人には一つの命がある。魂も一つだけだ。与えられた体も一つなのだ。ところが女性はその体に、新しい命を育める。自分とは違う体を作れる。そして産み落とされた子供には、全く違う魂が宿っている。あらゆる生物を神が創ったとしても、その神は自分と同じ行いを、女性にも許している」
 哲学的な話だった。言いたいことはわからなくもないが、ここで言わないで欲しい。
「……そもそも、魂や精神っていうのは、与えられるものなのか?」
「そう、そこなのだよ、氷威君! 我々が持つ心は、一体誰から与えられるのか! 精神とは、何か! そこが神秘的な部分だ」
 ただ、武次の理屈だと母親からもらうのでは? まあこれは指摘しないでおこう、絶対に話が長くなる。
「じゃあそろそろ問題に入ろうか。これは今から五年前の出来事なんだ……」
 やっと本題の展開だ。こっちの話ならどんなに長引いても全然いいぞ。

 俺の家族は四人。父親、母親、兄、そして俺。至って普通の家庭で、事実あの話を聞いたのは、社会人になってから三年目のこと。それまで怪しい要素は何も感じていなかった。しいていうなら、母親の故郷は結構な田舎で、のほほんと過ごせる反面、閉鎖的な感覚があった、程度だろう。田舎特有の風習とかはあったのだろうが、母親はそれを家庭に持ち込まなかったので、俺は全く知らない。

 それはある日、昼食を食べている時に始まった。
「おーい、庄子君! 電話だ」
 仕事場に電話がかかって来たのだ。相手は父親だった。どうやら俺の携帯に何度か電話したのに返事がなかったから、会社に連絡を入れたらしい。
「もしもし? 親父? どうしたの?」
「ああ、武次か。急用なんだが、仕事外せるか?」
「どういう用件?」
 父親は電話の向こうで慌てていた。俺はまず、何が起きたかを知りたかったから、聞き返したのだ。
「実は母さんが、実家に運ばれてしまって」
「何でだよ?」
 救急搬送されたとかならまだわかる。しかし実家に帰ってしまったことが、そんなに大事か? 父親と母親は仲が良かったから、いきなり離婚を切り出されたとかならわかるが、
「実は私にもよくわからない。ただ母さんが、公一(こういち)と武次を実家に連れてきてくれ。できるだけ早くに、って」
 事情は教えられていないらしい。それほど切羽詰まっているのだろうか?
 俺は一瞬、仕事の先輩に目を向けた。あまりにも父親の声が大きくて、向かいの席に座っている先輩に丸聞こえだった。先輩はアイコンタクトで許可を出してくれたので、
「わかった。今日はもう切り上げる」
「ふう、わかってくれてありがたい!」
「兄貴には伝えた?」
「ああ。公一も今仕事を抜けて家に向かっている」
「じゃあ俺も今から帰る」
 とりあえず、家へ。
 到着した時、既に荷造りが始まっていた。
「何泊かするのか?」
「一応、な?」
 キャリーバッグに適当に服を詰めるとそれらを車のトランクに乗せ、俺たちは出発した。
「今からだと、到着は午後六時くらいか」
 母親の出身地は田舎とは言っても、首都圏からそこまで離れてはいない。だから家の車でも移動は十分だ。

 着いた時はもうすっかり日が暮れていた。母親の実家には子供の頃に何度か行ったことがある。
「おじいちゃんとおばあちゃんに挨拶しないとな」
「それよりも、何で急に呼び出されたのかを知りたいね僕は。おふくろにメール送ったけど、うんともすんとも言わないんだぜ」
 玄関を開け上がろうとすると、祖父が、
「荷物はここに置いていきなさい」
「え? おふくろはここに来てるんじゃないの?」
 どうやら実家に母親はいないらしい。祖母が、
「駅の方に大きな寺院があるでしょう。そこに行って」
 確かに、その寺院はこの町……というより村にある。どういう名前だったかは覚えていないが。どうやら母親は今度こそ、そこにいるようだ。
 歩いて数分の距離だが、走った。そこの住職と僧侶、尼さんが俺たちを出迎えてくれた。
「おふくろはどうなっているの? どこか悪いところでも?」
「いいや、そうではない。でも、庄子さんにとってはすごく大事なことなんだ」
 それを教えて欲しいのだが、住職は、
「これを」
 と言って数珠を俺と兄に渡した。父親の分は何故かなかった。嫌な予感がしたが、尼さんによれば死亡したわけではないとのこと。一瞬だけ安心できた。
「では、中に入ってくれ」
 促され、俺と兄は寺院の中、本堂の仏間に案内される。
「あなたはここで止まって」
 しかし、父親はここでストップ。
「何故ですか?」
「部外者だから」
 それを言ってしまうと俺や兄も部外者に該当するはずなのだが、俺たちには何も言われないのだ。
 住職は俺と兄に、
「これから、特殊な儀式に参加してもらう」
 と言い、戸を開けた。仏間は二十畳くらいあり、奥の方には不気味な祭壇があった。
「おふくろ!」
 母親がいた。赤い和服を着て座布団に座っていた。顔は緊張していたが、息子である俺たちの顔を見たからか、和らいだ。
「公一、武次!」
 が、喜びも束の間、俺たちはギョッとする。母の隣にも座布団が用意されている。それにも誰か座っているが、それは何と骸骨なのだ。イメージで言うと、骨格標本に紫の和服を無理矢理着させたのを、正座させている感覚だ。しかも頭からは黒い髪が長く伸びている。
「これは、何?」
「まあ、ね。変わった風習があるんだ、ここには」
 母親はそれしか言わない。

 住職が話を進める。
「儀式を始める。参加者は一切、喋ってはいけない。二時間程度と予定している」
 本当に事情は何も説明されない。尼さんが俺や兄に駆け寄り、
「庄子さんの後ろに立っていてください。手は合わせて、顔の前に持ってきて。そして目を閉じて。儀式が終わるまで、目は開けないでずっと合掌し続けて。あとこれを」
 数珠を片手に通した状態で手を合わせた。すると尼さんが黒い毛布を俺に被せた。兄にも同じことをしているらしい。
「準備は整った! では、始めよう」
 住職の掛け声と同時に、おりんの音が鳴る。誰かが鈴を振っているのか、その音も響く。さらに木魚も叩かれた。
「………」
 俺と兄は、黙って耐えた。この意味不明な儀式が早く終わってくれと願いながら、黙って立って、合掌する。やがて住職や尼さんが読経をし始めたのだが、何を言っているのかは全くわからない。
「アアア、ギギ!」
 しかも母親がうめき声を出し始めたのだ。動作の音からして、横たわってもがいているみたいだ。
「ウウウウグ! アアアアアアア! ヌウウウウンンン!」
 かなり苦しい様子。それでも儀式は止まらず進む。
(ん?)
 しばらく時間が経つと、俺の真っ暗な視界に何かが現れた。それは白い丸で、中央が黒く、その部分が動いている。
(ひっ!)
 その見えた物は、目玉だ。目玉が俺のことをギョロリと見ているのだ。恐怖で我慢ができなくなった俺は、どうせ黒い毛布を被せられているのだからと思い、目を開けた。
(えっ……)
 俺の目の前には、合掌した両手だけがあるはずだ。しかしその合わせた手と手の間に、さっき見えていた目玉が出現する。今度は血のように赤い。
 瞼を閉じてても開けてても、その目玉は俺のことを見ている。そのことに気づいた時、
「おういえ、おあえあ、えああえあ」
「いおいお、おあえい、うああえあ」
「あええ、あええ、いおいお、あええ」
「おあえあ、いんえ、おえあ、いいあい」
 数十人が俺の耳元で、何かを囁いたのだ。
「うわ! うわあうわうわ!」
 もう恐怖に耐え切れず、俺は叫んでしまった。

「う~ん?」
 気が付くと、俺は布団の中にいた。横を向くと兄も寝ている。ここは寺院の違う部屋らしい。この部屋には父親もいた。
「ああ、気が付いたかい、武次!」
 母親も普段着に着替えていた。
「おふくろは大丈夫なの?」
「ああ。おかげで」
 兄も目覚めた。
「あれ、ここにいたっけ? 僕は…?」
 兄にも何が起きたかわかっていない様子だ。俺は儀式の最中に声を出してしまったことを思い出し、
「声、出しちゃったんだけど……」
 隠さず申し出た。すると母親が、
「誰でも出してしまうよ、この儀式では。私も昔ね、あんたたちと同じ立場で参加したことがあるんだけど、すぐに悲鳴を上げてぶっ倒れたよ」
 と言う。耐えられる者はいないらしく、声を出してしまうのはしょうがないことと割り切られているようだ。それでも形式上、参加者には沈黙を求めるらしい。
「無事に目を覚ましたのですね」
 住職がこの部屋にやって来て、無事を確認して言った。
「すみません! これは一体、どういう儀式なのですか? 何故妻だけでなく息子たちも参加し、私だけが除外されてしまうのですか? この地域には、何があるのですか!」
 俺の気持ちを父親が代弁してくれた。
「そうですよ! 僕は儀式中に声を出してしまったのに、気がついたら布団の中? 意味がわからない! 納得できる理由を!」
 兄も声を張り上げた。俺もうんうんと頷いた。
 すると住職が、
「誰にも他言しない、約束は守れますか?」
 外部に漏らさないことを条件に、教えてくれた。

 母親は生まれたこの村には、とある信仰があった。
「女性はその身に新たな命を宿すことができるが、その期間は限られている。そして期間中、いつでも新たな命を産み出せるわけではない。選ばれなかった、すなわち産まれてこれなかった命があるはずだ。その命を、期間が終わったらすぐに供養する。そうしなければ、産まれてこれなかった命が、女性とその子供たちを不幸にする」
 というものだ。
 つまり母親は閉経の時期だったために地元に呼び戻され儀式を受けたのだ。
「村の女の子たちは、ある時期にみんなが一斉に開幕の儀に参加します。しかし、子供を産む産まないは個人の自由。期間が過ぎる前に亡くなられることだってあります。だから閉幕の儀だけは、個人単位で行うことになっているのです」
 そういう風習がある、と納得することに。
「つまり……。妻とその息子である公一と武次が、何か怪奇的な存在によって不幸にされるかもしれないから、儀式に参加した、ってことですか。夫である私だけは、この村の血筋ではないから、参加できなかった……いいや参加する意味がなかった、ということですね」
「そうです。できるだけ知られたくない風習なので、あなたの参加は許可できませんでした」
 ここで俺は住職に疑問をぶつけた。
「儀式の最中、目玉のようなものが見えたんです。それは何ですか?」
 同時に兄も、
「何か、大勢の囁き声が聞こえました。それも一体、何だったんですか? 僕にわかるように説明してください」
 頷いて住職は、
「その目玉は、神様の目と考えられています。産まれた子供を確認しに来るのです。そして聞こえた声の主も、神様のものと考えられています」
 閉幕の儀を行うことで、女性とその子供たちが神々に見守られることになり、不幸は訪れなくなるという。
「口外だけはしないでくださいね」
「神様か、産まれてこれなかった命が怒るからですか?」
「そうではないです。ただ、結構デリケートでナイーブな風習ですので。この村以外では、気味悪がられるでしょうし。面白半分に儀式に参加したり取材されたりするのも困ります」
 念押しされた。
 この日は、寺院に泊まった。次の日には、家に帰ることができた。

「それ、俺に教えていいのか?」
 武次の体験した話は以上で終わりだが、彼は他言するなと言われたはずだ。なのに今、俺に伝えてしまっている。
「神様やその、産まれてこなかった命が怒らないから、言っても大丈夫っていう判断?」
「違うよ」
 と、武次は首を横に振る。
「俺はね、一部怪しんでいるんだ」
「と言うと?」
 彼が抱いている疑問。それはあの囁き声に関してだ。
「目玉は神様のものだってことには、納得できる。理由もちゃんとあったから。でもあの囁き声は、とても神様の呟きとは思えないんだ」
 その根拠は二つあるらしい。
 一つは、数が合わないこと。目玉は一つだけだったのに、声は何十人分も聞こえたからだ。
「そしてもう一つ。俺にはあの囁き声、悪口を言っているように聞こえたんだよな……」
 神様の声だとしたら、愚痴を聞かせる理由がないのだ。何せ見守ってくれる存在なのだから。
 武次にはあの囁き声が、
「どうしてお前が選ばれた?」
「命をお前に奪われた」
「返せ、返せ、命を返せ」
「お前が死んで俺が生きたい」
 と言っているように思えたらしい。
「多分、囁き声は神様のものではないよ。産まれてこれなかった命の、憎しみと怨みが、産まれた子供たちに文句を言っているんだ」
 この推論、いい線をいっている気がしてならない。
 武次の母親の村は、そのことをわかっているのだろうか? 邪推になるが、わかっていてあえて、何の対策をせずに聞かせているのだろうか。
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