その四十五 賽は投げられた

文字数 5,513文字

 夜の学校ほど、不気味な場所はない。一説によると、昼間は賑やかであっても夜に人気のない場所には幽霊が集まりやすいらしい。
 そして、怪談話の多くは大体が学校で起きる。いわゆる学校の怪談だな。昔は先生が泊まりこんで仕事をしていたようだが、今はそんなことはなくなった。幽霊からすれば、入り放題遊び放題の場所かもしれない。
「私の学校にも、怪談話があったのよ」
 俺の目の前に座る廿楽(つづら)絵美(えみ)はそう言う。
「でもさあ、どこの学校でも通用しそうな話ばっかりじゃない? どうせトイレの花子さんがあーだこーだは聞きたくないんだけどな…」
「違うわよ! そんな話が本当だって言うなら、私が逆に見てみたいぐらいだわ」
 だそうだ。
「となると、ありふれている話ではないと?」
 コクンと頷いたので、これは期待できそうだ…!
「何て言うか、願いを叶えてくれるけど、失敗したら魂を取られるっていう悪霊の話よ」
「それは聞かないな…。でも、何に挑戦するんだ?」
「ギャンブルね」
 うわ。今俺の脳裏には、聖閃に雀荘でボロクソにされた記憶がフラッシュバックした。
「賭け事は嫌いなんだよ!」
 トラウマがあるわけではない。だが、どうしてもそういうことには拒絶反応が出てしまう。
「賭けたのは私だから! それにもう済んだ話! あんたは関係ないでしょう?」
 まあそうだが。
 そして彼女が高校生だった時の出来事だそうな。

 私の高校には、面白い噂があった。
「夜の二時に美術室に来る。すると悪霊がサイコロで勝負をしかけてくる。勝てば何でも願いを叶えてくれるが、負けると魂を食われて廃人になる」
 誰が流したんだかわからない、しょうもない噂。私はクラスメイトの明智(あけち)三美子(みみこ)と話していた。
「でも、願いが叶うならどんなのがいいかな?」
「あんたさあ……現実見なよ? 夜中に学校に侵入してみ? 悪霊じゃなくて警備会社がすっ飛んで来るわよ!」
「あ、そうか……」
 それに、話がまず馬鹿馬鹿しいと思うのだ。
「何でサイコロ? 変じゃないのそれは? ギャンブラーでも召喚するわけ?」
 私はこの噂に否定的だった。当たり前だ、そんな幽霊の話は聞いたことがない。もし仮に私がその霊の立場だったら、勝負を挑まず相手の魂を奪う。だってその方が手っ取り早いから。
「でもさ、私頑張って作ったんだよ?」
「何を?」
 彼女は美術部員だ。だからなのか、美術室のロッカーを自由に使っている。そこから小物入れを取り出した。
「ジャジャーン! イカサマサイコロ!」
 それは、とんでもない品物だった。何と、サイコロの面が全て一。一だけじゃなく、二から六までのもある。各六個ずつある。
「暇なのあんた……」
 私は呆れた。こんなの漫画の世界でも認められないでしょうに。だってズルじゃん。
 呆れたので私は、その日はもう帰ることにした。

 次の日のことである。クラスの男子が盛り上がっているので聞き耳を立ててみた。
「俺、今日実行するぜ! 悪霊について調べたんだ!」
 どうやら男子の一人が、その悪霊に挑戦するらしい。
「勝てるのかよ?」
「大丈夫だって、楽勝だから!」
 私はその勝負の内容を聞いていた。
 ルールは簡単だ。サイコロを五個同時に振る。出目が全て五なら、挑戦者の勝ち。五回まで振ることができる。
「それじゃあ、不利じゃねえの? だって六分の一の五乗だろ、確率は?」
「それがそうでもないんだぜ?」
 もし五が出たら、そのサイコロを振る必要はないらしい。例えば最初に振って一つでも五を出せれば、次に振るのは四個で済む。さらに五が出れば次は三個…と、試行回数を減らせるらしい。
「いやいやそれでもきついだろ…」
 私でもわかる程度には、無理難題だ。だがその男子生徒は何故かポジティブで、
「俺なら勝てっから! 負けねえし!」
 と、大きな声で騒いでいた。

 しかし、やはりそう上手くは行かないのだろう。次の日彼は学校に来なかった。
「どうしたんだろうね…」
「セコムに捕まって今頃は檻の中じゃない?」
 私は三美子の問いかけにそう答えたが、それも違うらしく、彼は病院にいるようだ。担任の先生の勧めもあって、週末に三美子とお見舞いに行った。
 そこで、驚愕することになった。
 彼は、生きてはいるのだが……生気を全く感じないのだ。
「何があったのよ?」
 いくら質問をしても、視点を変えず、声も出さず。意思疎通がまるで取れない。
「ちょっと、大丈夫?」
 三美子の声にも反応しないのだ。
 病院を出た私たちは帰りの電車の中で話をしていた。
「まるで魂でも抜き取られたみたいだったね…」
 その言葉が引っかかる。
 確か、悪霊との勝負に負けると食われてしまうんだっけ。
「確かにそんな様子だったわね…」
 病室のベッドに横たわる彼は、まさにそんな雰囲気だったのだ。
 その後も彼の様子は聞いていたが元の明るい性格とはほど遠い。人が変わってしまったかのようだ。

 三美子と別れて私は家に帰った。そして自室で考え事をしていた。
「もし、本当に悪霊がいるんだったら…」
 怖い、というよりは何かしなければという使命感が私の中で生まれた。実害が出ている以上、放っておくという選択肢は選べない。
「やるしかないわね…!」
 私は暗くなると、家を出た。
 三美子には、相談しなかった。すれば多分、来てしまうだろう。そうなると、三美子にも危害を加えてくるかもしれない。それは避けたい。
 途中、コンビニでサイコロを購入した。ちょうど五個入りの小さなパックが売っていた。
「これなら、事前に仕込まれたりはしないわ」
 私はこの時クラスメイトが負けた理由を、相手がイカサマをしたから、と分析していた。(多分、悪霊が用意したサイコロを振らされたんだわ。そしてそれはきっと、五が出ないようになっている! そんなイカサマはさせない。市販のサイコロじゃ仕込みなんてできっこない!)
 校庭の一角は、木が生い茂っていて影ができている。そこのフェンスを飛び越えて敷地内に侵入した。そして実は、理科準備室の窓は鍵がかかっていないので、そこから校舎に入る。
 暗く静まり返った校舎内を、私は美術室を目指して歩いた。一歩一歩踏み出すたびに、靴と床が音を奏でる。それが不気味なほど響くのだ。
 美術室には、無事にたどり着けた。
「でも、どうやって悪霊を呼ぶんだろう? それを聞くのを忘れてたわ……」
 今のは独り言だ。が、その声に反応したのか、黒板の方から音がする。
「え…!」
 チョークが勝手に動き出し、黒板に文字を書いているのだ。
「勝負に来たか?」
 白い文字は、その短い文章を成した。
「……ええ。叩きのめしてやるわ!」
 私が答えると、今度は黒板消しが動いて文字を消し、新たにチョークが書き込む。
「ルールは知っているか?」
「もちろん」
「では、始めよう」
 その文章が黒板に刻まれた時、ひとりでに美術室のドアが閉じた。私はそれに驚いてドアを開けようとしたが、ビクともしない。どうやら勝負が終わらないと帰れないらしい。携帯の電波も圏外だ。
「望むところよ…。絶対に勝ってやる!」
 私は席に着いた。そしてポケットから購入しておいたサイコロのパックを取り出した。
「あれ…?」
 悪霊は、サイコロを用意していない。向こうがイカサマをしてくるわけではないらしい。
(じゃあ、私のサイコロをチェックしたりもしないってこと?)
 ルールを知っていると答えたので、その辺の詳細は不明だ。とりあえずパックを開けてサイコロを手に取る。
「一投目」
 黒板にそう書かれる。
「えい!」
 私はサイコロを振った。出目は五が一つ。残りは外れだ。
「でも、五が一つ出たわ!」
 このサイコロはキープできる。だから私は残った四個を拾った。
「二投目」
 そして再び投げた。今度は四個のうち、二個、五が出た。
「やったわ! これでもう三個、五が出て……え?」
 目を疑った。振っていない一個は、出目が変わっていないはず。なのにそれが勝手に転がって、出目を変えたのだ。
「ち、ちょっと! 今のはルール違反じゃないの!」
 文句を言ったが、黒板には、
「三投目」
 としか書かれない。
(どういうこと? 五が出たら出目は取って置けるんじゃ………。まさか!)
 そう、そのまさかなのだ。
 そのルールは、嘘。実際には悪霊が代わりに振ってしまう。そして恐ろしいことに、そのことが誰にも伝わっていないのだ。終わるまで美術室からは出られないし、携帯も繋がらない。だから間違ったルールが知れ渡ってしまう。
「ま、待って!」
 私はどうするかを考えようとした。今、五は二つ。だがこれも次に振ると、出目が変わる。一発で五を五個出さないといけないのだ。
(無理じゃないの、それは……)
 不利とか、そういう次元の話ではない。不可能だ。
(ならば…)
 私は、サイコロを振らないという選択を取ろうとした。朝まで待てば、先生か生徒が見つけてくれる。最悪でも放課後まで待てば、三美子が必ず美術室に来る。そうすればこの状況を脱出できる。
 しかし、悪霊はそれすらもお見通しだったのか、机の上の五個のサイコロは勝手に動き出し、一か所に集まってぶつかり、目を出した。
「何? 今の……?」
 今回の出目は最悪で、五は一つもない。そして黒板には無情にも、
「四投目」
 と書かれる。
「え? 今のが三投目なの? 私、振ってないわよ?」
 これもトラップなのだ。挑戦者が振らない場合、悪霊が代わりに動かしてサイコロを振る。だから朝まで待つという作戦は不可能。
 あと、二回しか投げられない。私はサイコロを持ち直したが、手が震えた。
「も、もし……。五を出せなかったら……」
 魂を食われる。そうしたらあの男子生徒のように、廃人に。
(そんなの、絶対に嫌だわ!)
 だが、出せる自信もない。サイコロを投げないと悪霊に勝てないのだが、出目次第では負ける……というか十中八九この勝負は挑戦者に不利。
「こ、この!」
 私はサイコロを投げた。
(一発で揃えればいいんでしょ! 見てなさいよ!)
 しかし、五は一つも出ない。
 私の額から流れ出た汗が、頬を伝った。黒板には、
「五投目」
 と書かれた。
 泣いても笑っても、次が最後。
「嘘…。嫌よ、そんなの…」
 急に足がガクガクしだした。サイコロを持った右手はブルブルと震え、感じたことのない緊張感が全身に走った。
「出さなきゃ。次は絶対に……。そうしないと…」
 真っ白になりそうな頭を何とか押さえて、手の中のサイコロを見つめた。指には力が入らず、上手く握れない。
「きゃっあ!」
 無意識に後退りしていたのか、私は後ろのロッカーにぶつかった。その時、三美子の小物入れが落ちて来た。
「そ、そうだ…!」
 確かこの中には、三美子の作ったイカサマサイコロが入っている。
(それを使えば!)
 私は黒板に背を向けて、小物入れからサイコロを素早く左手で抜き取った。
「ま、待たせたわね…。最後の勝負を始めるわよ…」
 黒板には、特に何も書かれない。
「いくわ…」
 私はサイコロを左手で投げた。
 この時、私の勝利は決まった。
 何故なら左手のサイコロは五個とも、六面全てが五だから。どう振っても五しか出ない。私はこの勝負でイカサマをしたのだ。
(でもさ…。ズルをしてはいけないなんてルールは聞いてない!)
 出目は全てが五だ。
「願いは?」
 黒板に書かれた文章を見る辺り、悪霊はイカサマを黙認したか気づいていないか。多分後者だろうが、とにかく通った。
「消えなさい、この学校から! もう二度とこんな勝負は許さないわ!」
 背筋の凍るような恐怖を体験していたので、願いはそういうものだった。この悪霊の存在が許せなかったから、今すぐにでも消えて欲しかった。
 黒板消しが動いて、板書を消した。そしたら文字は書き加えられることはなかった。
 私は勝負に勝ったのだ。

「ねえ絵美? 私のイカサマサイコロ知らない?」
 週明け、私は三美子にそう聞かれた。
「し、知らないわねー」
 目を逸らしながら私はそう答えた。
 実際には知っている。でも不正を働いた証拠は残せないと思ったので、あの勝負の後すぐに三美子のサイコロは全部、バラバラに砕いてから校庭の花壇に埋めた。
 その後、悪霊は現れなかった。しばらくすると噂話すらも消えて、私が卒業するころにはあの男子生徒も回復していた。

「そんな幽霊が?」
 漫画のような話だ。でも絵美は事実だと言う。
「とにかく、私は勝負に勝ったわ! だから悪霊は消えた! 三美子には勝手なことをしたけどね…」
 しかし、俺的には魂のかかった勝負でズルもクソもないとは思う。
「あんな勝負は二度とごめんだわ。私って運勢良い方じゃないからね」
「何でそう思うんだい?」
 俺が聞くと、絵美は、
「だってさ…。私が勝ったって話をしても誰も信じてくれないのよ。三美子ですら、嘘でしょうって言うの。あの時悪霊は私の不正を見逃したけど、それ以降はズルいことしようとすると絶対に自分に返って来るのよ」
 その話によれば絵美は、遊びでイカサマをしてもすぐに見破られてしまうそうだ。
「インチキしないで頑張れっていう、悪霊からのメッセージじゃない?」
 俺は彼女にそう言った。
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