その四十三 開けっ放し

文字数 4,701文字

 絵に描いたような田舎に来てしまった。何とビックリ、バスは一日に四回しか来ないらしい。周りはビルではなく森に囲まれており、自然豊かな場所だ。
「言っちまえば、完全に時代の波に取り残されてるんだがな」
 そんなのどかな村に住む青年の青井(あおい)宗次(そうじ)は、背筋も凍るような恐怖体験をしたという。
「いやーあれは夢であって欲しいんだが、現実なんだよなあ…」
「どんな話なんだ? この土地に由来する土着の伝承とか?」
 そうではないらしく、
「俺にもわからん…。何であれが出て来たのかは謎だ」

 田舎には、謎い伝承とかあったりする。神話の話とか、そういう類のヤツだ。でもそんなものは俺の村にはない。断言する。
 そもそも、歴史が浅い。この村は確か、二次大戦後にできた。だから言い伝えとかあるわけねえ。あったらそれこそ怪談だろ。
 村には神社も寺もない。農地と家と、あとは必要最低限の設備ぐらい。一応電気は鉄塔が持って来てくれてるし水は近くにダムがあるので両方通ってる。ガス? それは、うん…。まあ、都会になれた人にとっちゃ不便だろう。でも人間関係に疲れた人には魅力的なのか、割と若い人が農家デビューしに来る。村も人口のことを考えると文句も言えないし、だいたい来るものは拒まない。途中で心折れて帰ってしまう根性無しも中にはいたが…。
「暇だ……」
 俺は農業高校を卒業後、この村に帰って来ていた。大学に行く気はないし、そんな資金もない。それに俺は農業が好きなので、この村での生活が合っている。決して都会が合わなかったわけじゃないぞ。
 しかし、俺の父親も祖父もバリバリの現役だ。俺の出る幕はほとんどない。まずは基本を押さえようって話になって、座学だ。来る日も来る日も育てる野菜や米の特性、天候条件、流通なんかを頭に叩きこんだ。またトラクターの操縦もできた方がいいと言われ、運転免許も取得するために勉強もした。村には免許センターなんてないから、通いで取るのは随分と時間がかかった。

 二年ほど過ぎた頃だ。村に若い男がやって来た。ソイツは起業したのはいいが、あっけなく倒産して婚約者にも逃げられた、夢破れ者。
「気にすんなって。そんなこと、ここじゃ噂にもなんねえよ」
 年上のその男のことを、俺は励ました。村にやってくる人の大半は、そんな事情を抱えている。だから不幸が今更何だってっていう感じだ。
 俺はその男の教育係になった。相手はプライドすらも完全に失っている抜け殻のようなヤツで、でも真面目だったので俺の指示は全部聞いてくれた。体力こそ平均的だが手先は器用なヤツだったので、逆に俺が頼みごとをすることだってあった。

 信頼関係は絶対に築けていたはずだ。俺はそう確信している。
 だが驚くべきことに、その男は次の春にはこの村を去ってしまう。俺は引き留めようとしたが、父親は止めるな、人には事情がある、と言って手を差し伸べようとしなかった。
 でもどうしても気になってしまって、引っ越す前の晩に俺はその男の家にお邪魔した。
「おーす!」
 こんなド田舎に限った話じゃないが、玄関は開けっ放し、もしくは鍵を閉めないのが普通だ。泥棒なんていないし、盗るような物がまずない。田舎特有の習慣だな。
「明日か…」
 俺は気まずい雰囲気を壊そうと口を動かした。
「実家に帰ります。お世話になりました、青井さん…」
 当初、俺は自分の実力不足で、この男にキチンとした教育ができなかったのだと思った。だから男は嫌気がさして村から出て行くのだろう。
「それは違いますよ! 青井さんには感謝しかありません!」
 だが、そうではないらしい。
「じゃあ何で帰っちまうんだ? お前、農業は楽しいって言ってたじゃねえか!」
「そ、それは……」
 男は最後まで口を割らなかった。無理に聞き出すのも嫌だったので、俺も深追いはしなかった。

 それから数か月が過ぎただろうか。俺はまた、村にやって来た若者の教育係だった。今度は絶対に、彼らを帰らせない。そう思って俺は張り切っていた。

 その、数日後のことである。
 俺は、最初の男がこの村から出て行くことになった理由を理解した。

 その日は夏だった。でもクーラーをわざわざつけるような暑さではない。幸いにも風が吹いていたので、玄関を開けっ放しにし、心地よい風を廊下に寝そべって浴びた。そうしていると、ウトウトしてしまう。
「寝るか……。夕食まで時間あるし、ま、いいだろう」
 そうして俺はその場で寝た。
 その時だ。黒い影が玄関から入ってくるのだ。
(ん? 誰だ…?)
 何も珍しいことではない。村では日常的な出来事だ。俺も隣の家に、ノックもしないで上がり込んだことがあるぐらい。
 だが、様子がおかしい。髪の毛が逆立って見える。風の影響にしては、激しく揺れている。そしてその姿は、黒い。俺の目がおかしくなったのかと思ったが、玄関のオレンジの戸棚の方は色がハッキリとわかるので、そうではない。
(挨拶しないと………。あ…?)
 ここで、俺は気づく。自分の体が動かない。首すら動かせなくて、固定されているように玄関の方を向いている。
 影はゆっくりと近づいて来る。形は人だが、色は真っ黒。
「ううううう……」
 何やら苦しいのか、そんな声が聞こえてくる。
(お、おい! って、声が出ねえ?)
 いや、口すら動かせない。目も瞬きはするが、閉じれない。意識だけがその場に固定されているかのようだ。
 俺が困惑している間にも、それは迫ってくる。もう俺の足元まで来たというところで、急にその影はしゃがんだ。
 その時、黒い顔がハッキリと見えた。見覚えのない老婆だった。その充血した目は俺の目を捉えており、ピクリとも動かない。そして髪の毛をユラユラさせ、ゆっくりと迫る。
(や、ヤベえ! 何だコイツ!)
 俺は、逃げ出したい衝動に駆られた。でも体が動かない。金縛りってやつか?
 せめて視線を逸らしたくて首を振ろうとしたが、やはり動かせない。
 そうこうしている間にも黒い影の老婆の顔は俺に近づいて来る。何やら口を動かしているが、何を言っているのかはわからん。
(くっ!)
 この時、瞼が俺の意思に従った。目を閉じてこの得体の知れない不気味な存在をやり過ごそう。そう思った。
 もう俺の頭を通過するかというタイミングで、俺の耳元で、
「戸を開いていてくれてありがとう。これで上がれる」
 という声がした。
「う、うわあー!」
 俺は体を起こせた。汗をびっしょりとかいており、心臓の鼓動も随分と速まっていた。
 黒い影は、どこにもいなかった。俺は家中を探したが、本当にどこにもいない。
「ゆ、夢か…。ふう、焦らせやがって……!」
 ただ、家の中には一つだけ異変があった。
 仏壇が、破壊されていたのだ。

「あの黒い影の老婆が何者だったのかは、わからねえ。でも、夢じゃなかったことは確かだ。きっと俺が最初に教えていた男も、それに遭遇したんだろうな。命の危険を感じたから、アイツは実家に帰ってしまった…」
 宗次は、当時の仏壇の様子を写した写真を俺に見せてくれた。
「こんなに…酷く、か…?」
 人間の仕業とは思えない。言われなければ仏壇かどうか、わからないレベルである。
「俺は、あの老婆の声が未だに耳から離れねえ。だから、いつも家の鍵をかけるようにしてる。この村にやって来る若者たちにもそれを徹底させている。そのおかげか、今のところは誰も逃げたり死んだりはねえな」
 正体不明の幽霊というのは、怖すぎる。この世の者とは思えない存在は、人間とコミュニケーションを取ろうとしない。それが追い打ちにもなっているのではないだろうか。
 最初に宗次が言ったように、この村には土着の話はない。老婆の正体は、不明だ。

 だが、後日驚くべき情報が俺のパソコンに入ってきたので俺は急いでタクシーに乗り、現場に急いだ。
 カフェにその待ち合わせをした人物はいた。
「待ってたよ。君が天ヶ崎氷威だろう?」
 今度の男は、谷口(たにぐち)泰我(たいが)。宗次とは異なり、都会のマンションに住む高校生だ。
「メールの件は本当かい?」
「ああ、そうだよ。僕は見たんだ。あれは絶対にこの世の者じゃない! 幽霊だよ」
「いや、そうじゃなくて…」
 俺は、泰我の体験を否定したいのではない。ただ、
「黒い影の老婆……。そこが本当かどうかを聞いているんだ」
「本当だよ。嘘ついて何になるのさ? 僕が見たんだ、嘘は吐かない!」

 泰我の話をここでしよう。
 彼が中学生の時のことだ。彼の両親は共働きであり、暗くなるまで家に帰って来ない時もしばしば。彼自身も部活で遅い日がある。
 その日は、部活に塾もあったらしい。そして両親は共に出張。つまりは家に、彼しかいない。
「今日は帰ってカップラーメンでいいや。さっさと風呂入って寝よう」
 泰我は疲れていたために、寝ることだけを考えていた。そして玄関の鍵をかけ忘れてしまう。
 そして、彼が風呂に入っている時に起きる。
「うう、うううう」
 唸り声のようなものが聞こえたらしい。
「換気扇でも壊れたかな?」
 人の声のように聞こえたが、今夜は両親はいない。だから機械類の故障と思っていたらしい。
 しかし、風呂のドアをバンバンを叩く音も聞こえるのだ。
「な、何だ!」
 泰我は裸のまま飛び出すと、信じられないものを見る。
 黒い影の老婆が、家の仏壇の前に座っていたのだ。
「え、だ、誰…?」
 さっきまで湯船に浸かって温まっていた体に、一瞬で冷や汗が走る。
 それは、髪の毛が揺れており、そして泰我の方を向くと、目が充血していた。
「ひえええ!」
 腰を抜かした泰我は尻餅を突いて倒れた。老婆は体の向きを変えると、彼の方に近づいて来る。そして逃げ出そうにも、何故が体が思うように動かない。
 幸いにも、瞼は閉じることができた。ので、思いっ切り目を閉じた。
(どうか、このまま過ぎて行ってくれ…!)
 だが、おそらくすれ違うと同時に、
「ドアを開けておいてくれてありがとう。これで入れた」
 という声がした。
「ぎょええ!」
 驚いて目を開けると、そこには誰もいなかった。
 ただ、仏壇は原型を留めない程度に破壊されていたという。

「……あれが幽霊でないなら、何さ?」
 泰我の話は、普通ならただの恐怖体験に聞こえる。だが俺には、、宗次の話と共通点が多いために関係があるように聞こえる。
「鍵は、閉めてなかったんだよね?」
「そうだよ。すぐに警察を呼んだんだけど、上がってもらう時に施錠されていないことに気がついた」
「んで、仏壇が破壊された、と」
「小さい仏壇だったけどね。それはそれは、見るも無残さ」
「そして、現れたのは黒い影の老婆」
 泰我はコクンと頷いた。
 彼の話を聞き終わって帰路に赴いている間に、俺は情報を整理していた。
 もしかしたら、新しい怪談が生まれているのかもしれない。鍵が開いている時にだけ家に侵入し、仏壇を破壊して回るという謎の老婆の幽霊が。遠く離れた田舎だけでなく都会にも出没するその得体の知れない存在は、行動原理も不明だ。
 だが、一つだけ対策はできる。
 今日、ホテルに戻ったら絶対に鍵を閉めよう。孤児院出身の俺には仏壇もクソもないが、だからと言ってその幽霊の襲撃に遭わないとは限らない。
 開けっ放しは、邪悪な幽霊の侵入すらも許してしまうのだ。
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