その十七 旧帝の錬金術師

文字数 6,502文字

 今回の話は、ちょっと特殊だ。というのも、語り手がいない。とは言っても、俺の体験談ではない。本来ならば、嵐山(あらしやま)清華(さやか)……俺のサイトにメールをくれた人物に取材するのだが、彼女が教えてくれた場所には、小屋が一軒あっただけ。そしてその小屋の中に、その日記は存在した。
 日記の持ち主は、嵐山博士。下の名前は記載がなかった。それよりも目を疑ったのが、博士は一八九〇年生まれなのに、二〇一三年まで日記は続いているのだ。一年に一冊のペースで書いていたらしく、その量は膨大だ。
「おかしいぞ? 博士は明治二三年生まれ。なのに二年前まで生きてたってのか? 年齢は、一二三歳? ギネス記録の木村次郎右衛門よりも長いじゃないか…」
 大学時代に明治研究会というサークルに所属していた俺だ。内容を吟味しても、博士が間違った日付を書いていない確信はある。
「大学四年間で勉学の片手間、明治のことだけ調べてたの?」
 祈裡のツッコミは置いておいて、本題に移ろう。

 博士の日記は、日清戦争の記載から始まる。この頃博士はわずか四歳。どれぐらい幼いか、今の尺度で言えば、年少の幼稚園児だ。義務教育も始まっていないが、博士は文字を書いている。しかも、漢字まで使っているから驚きだ。
 どうやら戦争を機に、日記をつけ始めたらしい。この時の内容は、時事ネタが多く、まだ錬金術師としての才気の片鱗は見えない。

 博士が覚醒したのは、その二年後だ。この年、博士はカブトムシを育てていた。日本によくいるあの角を持つ虫だ。ピンと来ない人はいないと思う。あの昆虫の寿命は、良くて一年。それは卵から孵化した直後からカウントした話であって、幼虫の状態で冬を越し、その後蛹になるから、成虫の期間はもっと短い。一夏の思いでと言われる所以がそこにある。
 しかしだ。博士のカブトムシは、成虫の状態で二回も越冬する。これは現代でもあり得ないことだ。博士曰く、
「自分の調合した餌が、寿命をいくばくか延ばした」
 らしい。
 錬金術は何も、物体を任意の金属に変化させることだけを指すのではない。彼らのゴールは、賢者の石を作り出し、不老不死を実現することだ。この時博士は、その錬金術の目的に意図せずして片足を突っ込んだ。後は、のめり込むだけだ。
 これ以降博士は、毎年のように昆虫を扱うようになる。その中には、失敗した時もあった。だが成功の方がはるかに多い。その才能を見せつけ、一部の大人には神童と言われ、また一部の大人には不気味がられていた。

 時は過ぎ、日露戦争終結。博士、齢にして十五。その若さで、医学にも手を伸ばす。戦争の負傷者が入院している病院で、自作の薬を用いて怪我を癒した。驚くべきことに博士は、医学書を一読しただけで人間の体の構造、臓器の位置関係と働き、どこの神経を傷つけるとどこが動かなくなるのかを理解していた。その博士にとって患者の治療は、赤子の世話をする如く。医者や看護婦に混じって医療行為をこなした。
 博士の薬は、特別な材料などは一切用いない。だが、効果は凄まじい。絶望的と診断された怪我を治し、患者の死期を延長させる。患者は口を揃えて、こう言ったらしい。
「まるで魔法だ」
 と。それに対し、博士は決まり文句を返す。
「僕も驚いている、考えた通りに事が進むから」

 患者の発言は、博士の好奇心を刺激した。
「魔法とは、面白い。魔術がこの世にあると言うのなら、我が物にしてみせる」
 と、言ったかどうかは定かではない。だが博士は少ない文献を頼りに、魔法にアプローチすることになるのだ。それも一般的な錬金術、貴金属の生成だ。
 流石の博士も最初は思うようには進まなかったらしい。失敗の連続。プライドを傷つけたことだろう。だが逆に、それが、必ずや成し遂げてみせると思わせるガソリンにもなった。
 やはり、得意分野とでも言うべきか。寿命の延長は博士にとって、朝飯前だ。その過程、用いた薬品の材料、行った日の気温、湿度など。ここから詳細に日記に記録していく。まるで、実験ノートのようだ。博士大好き昆虫での成功率は百パーセントに近づいた。

 そして、博士が二十歳になった年に、それは起こる。
 カイコという蛾を知っているだろうか? 飛べない白い蛾で、人間がいないと生きることさえ不可能な昆虫だ。人類とカイコの付き合いはとても長く、歴史が始まる前に遡るくらいだ。この虫からは、絹が取れる。だが、それは繭を作る時にだけ吐く糸が原料。無限に収得することは不可能だ。
 しかし、博士の錬金術は不可能を可能にする。カイコに特別な薬剤を混ぜた餌を与えることで、蛹にならず、延々と餌の摂食と糸の吐き出しを繰り返す幼虫を獲得した。
 普通なら、これは大発見だろう。だが博士は公開せず、自分の中だけに留めた。何故かは不明だが、まだ不十分と思ったのだろう。その証拠に、蛹にならないということは、このカイコは子孫を残せない。そこだけが不完全な虫、錬金術としては大成功とはいかない。

 おそらく、博士には文献がやはり足りてなかった。だから同じ実験を計画しては繰り返しの日々だ。日本に錬金術の史はほとんどないので無理もないだろう。
 それが、覆る出来事が起きる。第一次世界大戦勃発。当時まだ、日英同盟は生きていた。だからこの時、既に医者となっていた博士は軍医として戦地を歩き、外国に赴き、友人を作る。英語がペラペラな博士からすれば、イギリス人と仲良くなるのは難しくも何ともない。戦時中であっても、博士の好奇心は衰えることを知らない。
「ヴァージル・ヴァイパー・ハイフーンとはいい関係を築けた。彼は私のことを一度も、黄色いサルと言わなかったし、錬金術の文献を日本に送ってくれた」
 その人物が送った本の中で初めて、博士は錬金術という単語を知る。そしてヨーロッパ圏内で行われてきた研究の数々も。博士がそのお返しを送ったかどうかは不明だが。少なくともこの一件以降、博士は国に一目置かれる存在となったことは確かだ。
 そして、ある文献に目を通した時、博士は目標を設けることになる。
「エメラルド・タブレット。これほど興味深い文献は世界に存在しないだろう」
 博士は、卑金属を貴金属に変えることができれば、資源に乏しい日本でも豊かになれると考えた。これも運命なのか、それは若い頃に数え切れないほど失敗したことだ。だが、今なら可能と博士は考える。
 試しに、落ち葉で実験をしてみたようだ。そしてその結果、粗かったようだが、鉄に変えることに成功したらしい。いい年をした博士が、嬉しさのあまり語彙力がなくなるほどに喜びを綴っている。そしてその成功第一号は、この日記のしおりとして使われている。鉄の葉っぱ。それが紛れもない証拠だ。鉄は貴金属ではなく卑金属だが、それでもただの落ち葉を金属に変えてみせたことは、大きな一歩だ。

 博士の快進撃は、世界恐慌をもってしても止めることはできなかったようだ。寧ろ逆。貴金属を生み出すことで、逆にガッポリ財を蓄える。それらは全て、錬金術に回されるお金。余程の余裕が生まれたのか、嵐山研究所という施設まで建てた。職員を増やして錬金術に取り組むのだ。
 そんなある日、博士は子供を得ることになる。とはいっても博士は、妻もいなければそもそも結婚すらしていない。博士からすれば、自分が生きている限り、子孫など必要ないのだろう。もしくは錬金術を使えば、命すらも作り出せると考えていたのか。
 では、その子供はどこから湧いてきたかというと、研究所の職員の息子だった。その研究員は夫婦で錬金術に取り組む熱心さを持っていたが、博士とは決定的に違う点があった。
望月(もちづき)夫妻は、命を大切にしない。錬金術の最終地点は不老不死なのだ。だから彼らの実験は、必ず失敗する」
 予言通り、夫妻の試みは失敗。二人は命を落とした。というよりも、成功する見込みのない実験に自分たちの命を使ってしまった。残された子供は、まだ幼い。現実を突きつけるにはどこか、後ろめたい気持ちだった様子。
「私は、夫妻の子供を自分の養子に迎え入れることにした。この子供に、私の錬金術、その全てを叩きこんでやろう。いつの日か、死者を蘇らせることができるようになったのなら、その時に実験の失敗を教えればよい」
 図らずも設けた弟子のような存在。博士は愛情と共に、錬金術の知識を注ぎ込む。

 その子供は、博士の予想を遥かに凌駕する存在だった。博士を天才だとするなら、その子は鬼才。これは博士自身も認めている。まだ十にも満たない年齢で、博士の仕草を真似、錬金術をしてみせる。
「彼に尋ねると、いつもこう答えるのだ、『何も特別なことはしてない。やってみたらできてしまったんだ』と。私は、自分の右側に出ることのできる人を初めて目にした」
 博士は迷った。この子は将来、確実に自分を超える。この子がいれば、自分は用なしになってしまいかねない。ならば今、潰しておくべきか? それともこのまま育てるべきか? 相当考えたに違いない。何せこの日記、その思考期間だけが白紙だ。
 結果、博士は彼が必要と判断。特別な英才教育を叩きこむことにしたみたいだ。その厳しい教育に、博士の息子は決して音を上げることはなかった。

 ある日、政府から要人が研究所に派遣された。
「政府のお偉いさんは、『これからどこと戦争するかわからない。だから、政府の管轄になってくれ。軍事産業に優先的に貴金属を流してくれ』と言う。これは頼みごとではなく脅しだった。断れば、お得意の治安維持法発動だ。私は頷くしかなかった」
 戦争の音が近づいていく中、博士は不本意にも軍に協力することになった。自分の生み出した金属が、敵兵とはいえ人を殺めることになるのは、博士にとって許しがたい屈辱でしかない。
「私は、狂わない。できることに専念し、新たな地平は開かない。軍にとっては不都合かもしれないが、私の錬金術が命を奪うことになってはいけないのだ」
 博士の決意は固い。政府の要人も、難攻不落の博士にはきついことは言わなかったようだ。
 だが、軍は積極的な態度を見せない博士に怒る。
「今日、私の左手首が切り落とされた。彼ら軍人には、私の目が反抗的に見えるらしい。軍刀で、一振りだ。それだけで私の左手は、赤い血を流しながら床に落ちた」
 日付を参照すれば、軍人の焦りはわかる。ミッドウェー海戦に敗れた頃だ。戦況が傾いたその時、軍のエリートは予感したのだ、負けるかもしれないと。だから、金属の供給を急かした。それを博士が『無茶だ』と言ったら、逆ギレ。
「私は、息子を研究所から追い出した。彼は私より優れる。故に軍に連れて行かれれば、一生錬金術を使って金属を生産し続ける羽目になりかねない。別れは辛いが、彼には私の全てを教えた。新天地でもきっと生きて行けるだろう」
 身の危険を感じた博士は、息子を脱出させる。表向きは疎開だが、本当の行き先は博士にも知らない。日記にはただ、『もう一度会える日を待ち望む』とだけ書いてあり、それ以降息子について長い間、言及がない。
「こうして私は、大日本帝国唯一の錬金術師となった」
 まるでひとりぼっちのような言い草だが、間違ってはいないのだ。この時期、研究所から多くの人が、軍事工場に連行された。みんな、望まない仕事を強制されたことだろう。彼らは博士よりも遥かに錬金術において劣る。消耗品のように使われ、寿命を短くした。気がつけば、大きな研究所に博士が一人。
 博士の戦争に対する私怨は、日記を読んでいるだけでも十分伝わる。博士の目指した錬金術は、人の幸せを運ぶもの。だが戦争は、敵を殺すために使おうとしているのだ。しかも唯一手元に残った研究所すら、空襲で焼け野原になった。
 つまり戦争で、博士は何も得られず、ただ失っただけ。日記を書いている時の表情が簡単に想像できるだろう。

 そして、終戦を迎える。
「一体、何だったのだろうか。大日本帝国の錬金術は、発展できなかった。それは私の責任ではない。国の責任だ。日本はこれから新しくなるが、私は馴染めるだろうか。それが不安である」
 当時の博士は、新しい研究を切り開く意思が持てなかった。
「人類の英知、文明の発展は、尊き犠牲の上にある。戦争は図らずも、科学を進化させる。しかし私の場合は別だ。錬金術は戦争のせいで、成長が止まった。日本は平和を誓うだろうが、これから先、きっとどこかで戦争は起きる。それに関わらないとは言い切れない。私は、旧帝の人物として生きることにしよう。新しい政府とは、一切の関りを断つ」
 博士はもしかしたら、殉死も考えたのではないだろうか。旧帝の人間として死ぬことは、博士なりのケジメの付け所だった。
 だが、そうはしなかった。
「私が死ねば、錬金術は失われてしまう。不本意だが、生きながらえるしかないのだ。日本の表舞台には、決して立てない。だが、今まで培った全てを私の頭脳と共に葬り去るのは、避けたい案件だ」
 博士は、生活に困らない程度に錬金術を使い、貴金属を生み出すとお金に換えた。そして住所を変更し、小屋を建ててそこで細々と生きていくことになった。

 戦争が終結して、随分経ったある日のこと。息子に関する言及がここで復活した。
「私の一人息子に会いたい。彼は空襲を抜け、生きているのだろうか。安否はわからない。彼が生きているのなら、私は死んでもいいのだ」
 だが逆に言えば、博士は息子の安否が確認できるまで生きなければならないのだ。一九六五年に七十五歳の博士は、いつ寿命が尽きてもおかしくはなかった。けれども、死ねない。博士は延命した。幼い頃に培った知識を応用したのだ。昆虫にできて、人間にできないわけがない。
 そして、博士の命は寿命を延ばした。一日を多く生きることになったのだ。博士は老いていたが、若返ろうとは思っていなかった。寧ろ老いを受け入れていた。錬金術師としてよりも、人としてありたかったのだろう。

 しかし、運命の日が来た。
「私の目の前に現れた少女は、嵐山清華。彼女は私の子孫を名乗った。私は察した。息子は、戦争の黒い炎で焼かれることなく、生き延びてくれたのだ。そしてやはり私よりも賢明だ、人として死ぬことを選んだようだ。今は彼の子孫が、錬金術を引き継いでくれている」
 ついに息子と再会することはなかった。最近、つまりは日記が終わる二〇一三年のちょっと前に死んだらしい。その息子は、博士のことを遺書に書き残した。残された僅かな手がかりから、子孫は博士の居場所を突き止め、訪れたのだ。
「私は、彼女から錬金術を見せてもらった。手に触る物は何でも、光輝く貴金属に変えてみせた。まるで息子を見ているようだった。よく見ると、同じ目をしている。寿命の延長は受け継いでなかったし、死者を蘇らせることは不可能だったが、それはそれでいい。生き物は寿命が来たら、死ぬべきなのだ。今の私が間違っているのだ。私は清華に、『もう寿命を引き伸ばすのを止めようと思う』と言うと彼女は、『あら、そう』と冷たい返事をした。しかし表情は真剣で、死について何か、考えている様子だった。そして『子孫として最後に、葬式をさせて下さい』と言うのだった」
 博士は、彼女の要求に頷いた。博士の寿命も、この日記も終わりが近づいた。
「もう、思い残すことは何も無い。私は長い時を生きた。その膨大な時の流れの中で得られた錬金術は、必ずしも人を幸せにする術ではなかった。清華がどのように錬金術を使うのかもわからない。どんな目的があって、受け継いだのだろうか。それは不明である。だが、私とは違う。彼女は現代日本の錬金術師なのだ。私は彼女の先祖として、生き方を示すことはしない。彼女の人生は、彼女が選ぶのだ。それが新時代の錬金術師に課せられた、永遠の課題なのだ」
 博士には、思い残すことがもうなかった。日記の最後のページには、こうある。
「私の息子の存在が、清華の中で生き続けているように、私も誰かの中で生き続ける。それが錬金術の到達する、不死なのかもしれない」
 と。
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