その五十二 自害の頂

文字数 5,977文字

「いやいやいや、見せられても何とも言えないよ……」
 三浦(みうら)沙茄(さな)が俺に、自分の手首を見せた。そこには生々しいリストカットの痕跡が。
「私だって、やりたくないよ」
「じゃあ誰かに切られた? それは犯罪だろ、俺じゃなくてお巡りさんに相談しに行ってくれよ」
 しかしそれはできないらしい。事実彼女は何回か、警官に止められたことがあるのだと言う。
「全てはさ、あそこに行ったことで狂ったんだよ」
 その話を詳しく聞いてみる。

 忘れもしない、二年前の出来事。飲み会で、
「心霊スポット?」
 仲の良い友人が、そこに行ってみようと言い出したのだ。
「面白そうじゃない!」
 やめとけばいいのに、お酒のせいもあってか誰も止めない。
「それ、どこにあんの?」
「えっとね……。確か山の方! ネットに書いてあった」
「ネット情報なんかい! 信用できないわね~それ!」
 私はそう言ってその話題をやめさせようとしたけど、
「でも面白そうじゃん?」
「そう? 私はちょっと……興味ある!」
 友人は食いついてしまったのだ。こうなってはノリを合わせるしかなく、
「………で、どういうところなの?」
 話を広げさせた。

 その心霊スポットというのは、廃墟やトンネルといった人工物ではないらしい。
「山だよ。夜にその山に行くと、呪われるんだって!」
 話の内容はシンプルだった。それ故に詳細な内容や曰くはわからない。だからどうして恐れられているのか、その所以は不明だ。近くに住む人たちはそこを避けるが、理由を尋ねても答えてくれないらしい。

「行ってみようよ」
 結局、この日はその話題ばかりで終わった。

「本当に行くの?」
 同じ部署で働いている井郷(いごう)に私は聞いた。
「みんな、週末に行くってよ? 三浦ちゃんは行かないの?」
 行きたくない。と言えば、
「あ、怖いんだ。可愛いね~」
 と馬鹿にされかねない。だから、
「行くよ。でも何もなかったら、すぐに帰るからね!」
 どうせこの手の話、嘘っぱちだ。何もないに決まっている。
(最初だけ見て帰ればいいんでしょ! もう、面倒ね…)

 そして約束の週末。丹羽(にわ)が六人乗れる車を持っていたので、それに乗り込む。井郷は私と同じ会社近くのアパートに住んでいるので、最初に召集される。
「井郷ちゃんと三浦ちゃんは今、拾ったから。あとは久保田(くぼた)さんと蓮沼(はすぬま)ちゃんと臼井(うすい)ちゃんね」
 言い出しっぺの臼井ももちろん参加する。一人だけ、立派な懐中電灯を持っていた。
「じゃ、みんなそろったね? いない人いないね? じゃ、出発!」
 車は高速に入り、数十分走ると一般道に降り、そして山道を行く。

「着いたよ」
 丹羽がそう言い、車を止めた。何もなく、ただ暗い林が広がっているだけだ。
「ここ……?」
 幽霊が見えているわけでもないし、存在しているかどうかも怪しいが、人気がなくて不気味だった。
「じゃ、行くよ……?」
 臼井が先陣を切って、歩き出した。ほかのみんなは私も含めて、スマートフォンの足元を明かりで照らした。
「て言うか、林に入るの?」
 蓮沼が言った。
「え、駄目?」
「だって、歩けるような場所じゃないじゃん!」
「大丈夫でしょ? 草なんて踏まれてなんぼ! さあ進むよ? それとも蓮沼ちゃん、怖いの?」
「こ、怖くないし!」
 舗装も整備もされていない中を進んだ。私はストッキングを履いていたから大丈夫だったけど、そうじゃない久保田は草が痒そうだった。

 そして失礼なのだが、この日の探索はさっさと終わってしまう。
 理由は、何もなかったからだ。心霊的な現象は起きないし、鳥や虫が生息していないわけではなく、草木も枯れていない。つまりはただ不気味なだけで、それ以外は普通の林。だから発案者の臼井が、
「もうやめない?」
 と言い出したのだ。
「はい?」
 私は、それには大いに納得なのだけど、無責任さを感じたために聞き返した。
「だってさ、何も起きないし、何もないんだもん! つまんないじゃん! 携帯の電波も普通に生きてるしさ、写メとってもオーブ? みたいなのすら写らない!」
 面白くない、というのが彼女の主張。当然だ。文明的な要素はこの林にはないのだから。深夜にハイキングしているようなもので、進めるのだけど何もない。
「……戻る?」
 みんなが振り返った。ここで帰り道がわからない、とかなったらまだ面白いのかもしれない。けれど後ろには踏み潰した草木があるので、それにも困らない。

「何だったの、この山この林! 脚が痒くなっただけ! これが呪いだったら笑えるわ!」
 久保田が愚痴をこぼした。それに便乗して蓮沼が、
「だから行くの、って聞いたんじゃん…」
 と。私も、
「臼井ちゃん…。これに懲りて、もうこういうことは調べないことね」
 釘を刺した。一方の臼井は、
「いいえ! 今度は本物を探すわ!」
 結局この日は丹羽に家まで送ってもらい、終わった。

 そう。ここまでは重要じゃないのだ。
 これから起きること。それが悪夢だった。

「えっ!」
 私と井郷の声が、会社の部署に響いた。
「それは、本当ですか?」
「……らしいよ?」
 同僚から、信じられないことを聞いた。
「臼井が、亡くなった」
 その知らせはすぐ、仲間に伝わった。みんなどうして臼井が死んだのかを疑問に思った。
「人間関係が上手くいってなかった?」
「そうとは思えないわ。だってこの前飲み会で飲んだじゃない? 彼氏とも仲良かったみたいだし」
 死因に引っ掛かったのではない。臼井は自ら命を絶ったのだ。その理由が見当たらないのである。
 葬儀にも出た。参列者は口を揃えて、
「どうして自殺なんか……」
 と言うのだ。私も言った。ちなみに手法は入水である。夜の海に入り、次の朝遺体が砂浜に打ち上げられたのだ。警察によれば、事件性はないらしい。そして遺書もない。だから彼女がどうして死を選んだのか、永遠に謎である。

「どうしてだと思います、久保田さん?」
「うーん。流石にわからない…? 人に言えない悩みがあったのかも。誰かを恨んでいたとか?」
「でも、遺書も残さず? 彼氏さんも、心当たりがまるでない、って…」
 数日の間、話題は臼井の死であった。

 でも数日後、話題が変わる。それは私が井郷とお昼休みに出かけている間に起きた。
「か、火事…!」
 会社から出火したのだ。慌てて戻ったが、既に消防車が駆け付けており、消火活動を行っていた。私と井郷は野次馬に混じって、
「何が原因…?」
「さあ?」
 そんな会話をしていた。
(事務所は禁煙だし、コンロは電気製……。何で火が出る?)
 その日は、仕方なく家に戻った。そしてニュースで鎮火したことを知った。同時に、久保田の遺体も発見されたのだ。
(泥棒か強盗が入って来て、久保田さんがそれを発見して、口封じに殺されて、犯人が火を放った…)
 私はそう推理した。けれども上司によると、
「火をつけたのは、久保田さん自身のようです。どうやら焼身自殺をしたみたいなんです…。みなさん、久保田さんが会社に怨みを抱いていた節に心当たりはありませんか?」
 また、自殺。

 私は井郷と丹羽、それに蓮沼を集めて、
「臼井と久保田さんが死んだのには、何か理由があるはず。関係していることがあるよ、きっと!」
 でも、二人の間には特別な絆とか確執はない。実際に警察も二人の携帯を調べ、事件性ではないという判断を下したのだ。
「でも、たまに飲み合う仲としか……。お酒が呪われてたとか?」
「そんなはずないよね……。それだったら私たちにも何か、あるじゃない?」
「確かに」
 警察、久保田の親族、会社の上司たちに私たちは何度も尋問された。でも、
「わかりません。つい最近も、一緒に遊んで楽しそうだったから…」
 としか言えなかった。

「ちょっとさ、考えてみない?」
 私は三人を集めた。
「あんまりこういうこと言いたくないけどさ、あの心霊スポットに行ったことが関係しているんじゃない?」
 馬鹿馬鹿しい考えだけど、それ以外に最近、変な出来事はなかったのだ。
「私も、同じこと考えてたよ」
 井郷は頷いてくれた。だから昼間にあの山に行って、何かしらの手掛かりを探ろうということになった。
「とりあえず、今は丹羽ちゃんを待とう。約束の時間は十一時だから、あとちょっと」
 霊媒師に会いに行くことも考えたが、それよりもあの場所に何があるのかを知りたかった。だから丹羽の車を待っていた。
「…遅いねえ。まだかな?」
「運転中じゃあ、電話かけられないし」
 待った。気がつけば十一時。午後のだ。
「あっ電話」
 井郷の携帯が鳴った。
「丹羽ちゃん?」
「違う、蓮沼ちゃんだ」
 きっと、遅すぎると文句を垂れようとしたのだろう。私は井郷が電話に出るまで、そう思っていた。
「えええ? に、丹羽ちゃんが!」
 しかし、違った。
 それは訃報で、丹羽が自殺したというのだ。何でも車の中で練炭を焚いたのだという。

 次々に仲間が死んでいく。それも全員が自殺なのだ。
「こんなこと、あり得ない!」
 蓮沼は発狂しているかのような声を上げていた。
「決めた! 行きましょう」
 私は決断をした。
「またあの山に?」
「神社だよ。除霊してもらえる場所を探して、祓ってもらわないといけない!」
 まだ会社が復旧できていなかったので、日中暇だった。だから私たちはネットカフェに足を運んだ。家で調べることもできるのだが、一人でいることが怖かったから、人の気配を求めた結果だ。それに家のパソコンよりも性能がいいので、あの山の伝承などもわかるかもしれない。
「そっちはどう?」
「全然…。除霊なんて依頼、受け付けてないよこの寺も。それにあの山についても何も。ただ、呪われている心霊スポットとしか…」
 画面と睨めっこしても、何も進まない。ただただ目が痛くなってくる。
「そう。蓮沼ちゃんの様子も見てくるね」
 井郷は私の席を離れた。数秒後、
「きゃああああああ!」
 悲鳴が店内に響いた。そしてその声の主は、井郷だ。
「ど、どうしたの!」
 私は席を立ってすぐに彼女のところに駆け付けた。
「あ、ああ……。は、はす、蓮沼ちゃん、が……」
 彼女はテーブルに伏せている。その体を揺すりながら私は声をかけた。
「どうしたのはす……」
 私の口が、そこで止まった。蓮沼はなんと、死んでいるのだ。
「ひえええああああああ!」
 私も大声を出してしまった。

 蓮沼の手には、薬瓶が握られていた。どうやら服毒自殺をしたらしい。
「監視カメラには怪しい人物は映っていませんでした。またこの瓶からは、蓮沼さんの指紋しか出ていません。つまり、彼女は最初からこれを持ち込み、自分の意思で飲んだということです…」
 婦警は私たちに事情を説明してくれた。でもそれらは右耳を通って左耳から出て行く。
「友達が、四人も死んだ。みんな自殺した…」
 これが恐怖でしかないのだ。残されたのは私と井郷のみ。
「ねえ三浦ちゃん……。私たちも、死ぬの?」
「そんな。馬鹿なこと言わないで!」
「死にたくないよ、私!」
「私だって!」
 臼井たちも、死ぬ意思はなかったはずだ。でも自殺した。
「ねえ井郷ちゃん、もう場所を選んでる余裕はない。近場でいいからお祓いに行こう」
「うん」
 私たちは近所の神社に行き、事情を説明し、厄払いの形でお祓いを受けた。
(これで、助かればいいんだけど……)

 その日の夜、井郷は、
「一人になりたくない…」
 と言ったので、私は彼女の部屋に泊まることにした。
 布団をくっつけて寝ることに。しかし井郷は私の腕を掴もうと手を伸ばした。
「大丈夫だって! お祓いしたんだから!」
 私は井郷の体を自分の布団に寄せ、震える彼女の体を抱きしめて眠った。
 次の日のことである。
「ん……井郷ちゃん?」
 寝ている間に放してしまったのか、私の布団に井郷がいない。
(朝ご飯の準備をしてくれているのかな……)
 そう思って立ち上がると、彼女と目が合った。
「う、うぎゃあああああああ!」
 首を吊って死んでいる井郷の目とだ。私が寝ている間に、彼女は首吊り自殺をして死んでしまっていたのである。

(次は、私……)
 そう考えると、体の震えが止まらない。食事も喉を通らない。自分だけでもいいから、助かりたい。そう思う。
 でも体は勝手に、風呂にお湯を溢れるまで貯めていた。そして気がつくと、果物ナイフを右手に握っている。左手首を切り、湯船に浸した。
 やがて、私は意識を失った。

「……」
 目覚めた時、病院にいた。友人たちの死を目の当たりにした私のことを心配し、両親が来てくれたのだ。そして間に合って、私は助かったのだ。
「なんて馬鹿なことをするの!」
 母は真剣に私を叱ってくれた。私は泣きながらその説教を聞いた。
「私だって、死にたくないよ。でも……」
 その先が、わからない。自分はどうして死のうとするのか、そのワケが。きっとあの心霊スポットに行ったことが関係しているんだろうけど、だからと言ってそれは死ぬ理由にはならない。
 その後、母がアパートに何日か泊まった。その間、私は何度もリストカットをしたので、もうこれ以上の都会暮らしは無理と判断され、父に故郷に連れ戻された。

「私の中には、自殺衝動なんてないよ? でもね、気がつくと死のうとしちゃう。信号を待っている間に車の前に飛び出そうとしたり、寒い日の夜に寝間着だけで外に出て公園で寝ようとしたり。でも全部、一応失敗に終わってる」
 沙茄の話はそれで終わった。俺は、
「そんな、血塗られた場所があるのかよ……」
 震えていた。彼女の話は嘘ではない。証拠に、俺と沙茄は喫茶店でケーキを頼んだのだが、彼女はフォークを頸動脈に突き立てようとしたのだ。もちろん慌てて止めた。
「私、きっと死ぬんだよ。止めてくれる人がいなければ、絶対に…………」
 食べ終えた後、彼女は家に戻った。道路に飛び出されては困るので俺は玄関まで送り届けた。
 沙茄たちが行った山の名前も場所も知らないがきっと、そこには霊的な何かが潜んでいるのだろう。それも、足を踏み入れた人を死に誘う凶悪な存在だ。
「生者はそれに抗えるのだろうか……」
 霊は時として信じられない力を発揮する。生者の生気では太刀打ちできないのだろうか。生きること自体は、武器にはなり得ないのかもしれない。
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